日常

The Shawshank Redemption ショーシャンクの空に

2009-04-07 13:06:16 | 映画
■redemption 贖罪・救い

『ショーシャンクの空に』 を観た。
大感動。
かなり面白かったー。
高校生の頃、WOWWOWで親と偶然見て、隣に親がいたのに号泣して、それがなんとなく恥ずかしかったのだけ覚えてたんだけど(ストーリーも、脱獄の話ってくらいしかほとんど覚えてなかった。)、改めて今見ると普通に感動してしまった。


『ショーシャンクの空に』の原題は『The Shawshank Redemption』。
redemptionを英語の辞書で調べると、
******************
【redemption】
1 買い戻し、(約束の)履行.
2 救助、救出.
3 (犯罪に対する)償い、あがない、
4(キリストの犠牲による)罪のあがない、贖罪(しょくざい)、救い.
5(抵当などの)弁済、償還、(貨幣の)兌換(だかん).
******************
こんな意味がある。

この映画では聖書が効果的に出てくる。
ノートン所長は聖書の教えを囚人たちに説いてまわる存在だが、自分自身が一番欲望にまみれた存在であり、ノートン所長にとっての聖書は単に心の荒廃を表面的に隠す偽善的表現にすぎない。


贖罪はキリスト教の用語。
元々は、犯した罪に対して償いをするという意味の法的な概念だったけれど、ユダヤ・キリスト教において、神に対して人間の罪が償われ、神と人間の敵対関係が和解されることを意味するようになった。

『旧約聖書』では、祭司が動物を犠牲として捧げて贖罪が行われた。
『新約聖書』では、大祭司(キリスト)が自分を十字架で犠牲として捧げ、その贖罪が永遠に有効なものとなったと説かれる。パウロは、そこに神の義と愛の交わりがあるとしている。

そんなキリスト教的理解があると、この映画は更に深く味わえた。


最近は、日本人含めて、ある国の価値観の根っこを考えるとき、宗教や哲学の理解なくしては理解できないということをよく感じる。

自分にとって、宗教・思想・哲学を学ぶ必要性がやっとわかってきた。
自分に切実さを持つまでに30年かかった。


日本だと神道、儒教、仏教。
アメリカだとキリスト教、ユダヤ教など。

もちろん、他に思いつくだけでもイスラム教、バラモン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、陰陽道・・新興宗教などあるし、それぞれ色んな派に文化している。

この辺りの宗教の世界観を大まかに理解するだけで、格段に理解が深まるのを感じる。



野町和嘉『聖地巡礼』

閑話休題。

この前、恵比寿の写真美術館で見に行った野町和嘉さんの『聖地巡礼』という写真展も、人々や国家が、いかに宗教的な意識で価値観を決定して、時代や世界がうごめいているるかを俯瞰的に感じることができる、素晴らしい写真展だった。
ちなみに、野町和嘉さんの「聖地巡礼」という写真集も、500ページ近くある大型本で6000円弱っていうのは、安いと思う。
さらにちなみに、野町さんはイスラム教に改宗してまで、イスラム教の聖地メッカを撮影している。野町さんをそこまでさせた、イスラム教の圧倒的なエネルギーを、野町さんの写真からはいつも感じる。雑誌「風の旅人」にも創刊号から出られている方なのです。


■Exodus

少し脱線したけど、高校生の時と少し違う感覚で見れたのは、アメリカの価値観の輪郭を大きく形どっているキリスト教の理解も含めて楽しめたこと。

たとえば、ノートン所長が帳簿と思って金庫から取り出した聖書が、脱獄に使われたハンマーの形でくりぬかれているんだけれど、そのページは旧約聖書の「出エジプト記」だった。
「出エジプト記」(Exodus)とは、旧約聖書において、モーセが、迫害されていたユダヤの民をひきつれて、エジプトから脱出する物語。

ノートン所長から、奴隷のように自由を奪われた主人公のティム・ロビンス(アンディ・デュフレーン)が、ショーシャンク刑務所から脱獄するシーンと重なって見えた。まさに、Exodus。




■Mr.Childrenの歌詞

あと、Mr.Childrenのアルバム「It's a wonderful world」の4曲目に「one two three」という曲がある。
これはすごく好きな曲で、ミスチル好きの人とカラオケ行く時だけ歌う曲の一つでもあるんだけど(あまりにマニアックすぎて普通のカラオケではなかなか歌いづらい)、ここにも「ショーシャンクの空に」が歌詞として一部出てくる。
この「one two three」を聞くたびに、「ショーシャンクの空に」をもう一度見直してみようとは常々思っていた。


===================
one two three
作詩・作曲 : 桜井和寿
===================

「戦闘服よりはブレザーがよく似合う」
浴びせられた最終の嫌みが胸をえぐる
君の目からすれば いかにもステレオタイプの半端者だっただろう

高らかな望みは のっけから持ってない
でも だからといって将来を諦める気もない
ぬるま湯の冥利と分別を知った者特有の
もろく 鈍く 持て余す ほろ苦い悲しみ

客寄せ用の無数の風船が
気圧に逆らって散っていった
破裂寸前の自分の心境を それとダブらせてみたりして

僕ならいつも冗談めかしてたりするけれど
ずっと ずっと 考えているんだ
その場しのぎで振り回す両手もやがて上昇気流を生むんだ
別の未来へと向くベクトル 寂しくたって
一歩 一歩 踏み出していかなくちゃ
胸の奥で繰り返す秒読み
今 前人未到の未来へ 1. 2. 3!

要人を乗っけた黒光りの車
間近で鳴らすクラクションに老人はたじろぐ
いろんな人いるなぁ 僕は君のことを思い出してた 横断歩道

目の前のリングが有刺鉄線でも
そこに立つチャンスをそっと狙ってるんだよ
逆転勝ちをしてる光景を目に浮かべ ニヤリ
いつか君に見せよう 戦闘服のカウントスリー

薄暗がりで僕が見ていた一筋の光に手をやって
世にも奇妙な力手に入る
なんてある訳が無いけれど

ビデオに撮った「ショーシャンクの空に」見てからは
もっと もっと 確信に近いな
暗闇で振り回す両手もやがて上昇気流を生むんだ
大人になりきれなくて逆恨みしたけれど
うんと うんと 感謝しているんだ
愛しき人よ 君に幸あるように
もう 後ろなんか見ないぜ 1. 2. 3!
===================



■芸術は尊い

ここから映画の感想。

詳細な映画の感想やストーリーは、ネットで検索すれば星の数ほど出てくるので、このブログでは自分がこの映画を通して感じたことを素直に書くことにしよう。


この映画で象徴的に出てくるのは
「音楽は決して人から奪えない」とか
「心の豊かさを失っちゃダメだ」とか
「心の自由は誰にも奪えない」
という台詞。


悲惨な刑務所生活の中で、彼らが幸福を感じるのは大それたものではない。
「音楽を聴く」、「本を読む」くらいの何気ない有り触れたことである。
強烈に不自由で人間性を失われた彼らが求めているのは、音楽であったり、書物から得ることのできるものであった。


それは、心の自由のようなもの。
それは、僕らが人生の中で本当に求めるべきものなのかもしれない。
僕らが「欲望」と呼ぶ大部分は、資本主義の大きな流れや、テレビやメディアで幻想を見させられているだけで、本当に必要とはしていないのかもしれない。現実を侵食するほどの大きな夢の中に飲み込まれているのかもしれない。だから、眼を覚ます。



フランス革命を描いた『ベルサイユのばら』(2009-03-22)の感想でも同じ事を強烈に感じた。

最終的に囚人たちが求めているのは、表面的な身体的自由ではなく、誰にも奪えない『精神の自由』『魂の自由』。
囚人が求めたものと僕らとが遠い世界とは思えない。


精神や魂の世界は無限に広がる。そこは神聖な場所。
この映画で描かれるように、神聖な領域に届くのは芸術だと思う。
だからこそ、芸術は尊い。改めて自分はそう思う。
そこに有用とか無用とかは必要ない。神殿は有用とか無用とかの尺度とは違う次元に存在している。




■希望 HOPE

心の自由を方向付けるものは「希望:HOPE」という概念だと思った。


ティム・ロビンス(アンディ・デュフレーン)が言ったセリフ
===================
「人生には二つの選択肢がある。
必死に生きるか、必死に死ぬかだ
(Get busy living or get busy dying)」
===================

この映画にあるように「希望 HOPE」が人生を方向付ける。


ラストの言葉。
===================
国境を超えられるといいが。
親友に会って握手ができるといいが
太平洋が夢で見たように青いといいが
俺の希望だ

I hope I can make it across the border.
I hope to see my friend and shake his hand.
I hope the pacific is as blue as it has been in my dreams.
I hope.
===================


こんなエピソードを思い出した。
ジェームズ・ホイットモア(ブルックス・ヘイトレン)という老いた囚人。
彼は刑務所内では教養のある静かな人として尊敬を受けている。彼は40年の刑務所生活から、仮釈放を受けて外での生活を送る。ただ、40年も刑務所内で過ごした彼は、外での生活に価値を見いだせず自殺してしまう。

モーガン・フリーマン(レッド)も仮釈放されて自由な身となるが、老いたブルックスと同じような不安にさいなまれる。
レッドも「必死に生きるか、必死に死ぬか(Get busy living or get busy dying)」と葛藤した。
結果、彼は生きることを選んだ。


そのきっかけのシーン。
ショーウインドウから拳銃を見て自殺の念に駆られるが、その横にある方位磁針を見て「希望 Hope」を見出す。
そして、「必死に生きる(Get busy living)」方向性を選んだ。そこがパラレルワールドの分岐点。

拳銃ではなく方位磁針を選んだ理由は、ティム・ロビンス(アンディ・デュフレーン)と刑務所内で誓ったほんの「小さい約束」だった。
傍から見ると、ほんの些細な約束に過ぎない。ただ、身体的な自由を奪われても精神的な自由を20年間思い続けた「念」を方向付けたものこそ「希望 Hope」という概念だった。その些細な概念で生きることを選択したのだ。


人生は辛いかもしれない、楽しいかもしれない。儚いかもしれない。素晴らしいかもしれない。悲惨かもしれない。
どういう言葉で脚色しようと、人生そのものはニュートラルだ。人生への方向づけ、羅針盤がどの方位を向くのか。それがその人の人生になる。




■よしもとばなな

ばななさんは、『キッチン』文庫版のあと書きでこう書いている。
(→『キッチン』(2008-08-18)


===================
私の実感していた
「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいきつい側面がある。
それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。

もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。
そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。
多少の工夫で人は自分の思うようにできるに違いない」
という信念を、日々苦しく切ない思いをしていることでいつしか乾燥してしまって、外部からのうるおいを求めている、そんな心を持つ人に届けたい。
それだけが私のしたいことだった。
===================




『TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)』文庫版最後のインタビュー。
(→過『TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)』(2008-08-25)

===================
------------それでは、ばななさんは、必ずしも人生について肯定的ではないんだ。
吉本:ええ、むしろ否定的です。あまりにも否定しているので、
せめて小説ではそれを救うようなものを書きたいと思っているんです。
・・・・
自分もそういう意味では、
ある種のハッピーエンドを絶対書くと決めているんです。
===================


これは人生に対して「希望 HOPE」という方向づけをつけることだと思えた。



【『風の旅人』 36号 「時と転」】(2009-02-07)

『風の旅人』の「時と転」(36号:2009年2月)で佐伯編集長が巻頭言で書いていた文章が心に響いた。
===================
【時と転】
===================
砂漠の中を歩きながら、砂嵐に巻き込まれると、
視界がきかず、混沌とした世界に感じられるが、
全体を眺め渡せる場所に出ると、
局面ごとの様相や、動きの方向性が見えてくる。

時代や社会の急激な動きの中に巻き込まれると、
視界の中に飛び込んでくる物事に意識がとらわれ、
混沌とした世界に感じられるが、
そこから距離を置くと、様々な関係性が見えてくる。

世界が混沌に見えたり、秩序的に見えたりするのは、
どこを、どう切り取るかという意識次第である。
意識が変わると、視点が変わる。
視点が変わると、世界が変わる。
===================



人生には、何らかの方向づけ・矢印のようなものがあり、そのことで自分の視点は変わる。
視点は、究極的には『生きる・死ぬ』の方向づけすらも運命づける事があるようだ。



■生命の肯定

『自分』が大海原を進む舟だとすれば、羅針盤としての方向づけをするのは『他者』。

友人との交流や対話。日常。
そういうものが人の人生を静かに方向づけていると思う。

『希望 HOPE』とは、『生命の肯定』に近いかもしれない。

個人的に辛いことがあろうとなかろうと、楽しいことがあろうとなかろうと、世界や自然は何も変わらず存在し続けている。宇宙は流転する。
『生命は存在しているだけで既に尊く、まず生命そのものを肯定することからはじめの一歩は始まる。』。これは医療を通じて感じた実感だ。

こういう感覚は、『経験』や『体験』が、自分の中を通過することで初めて得られる感覚なのかもしれない。
だからこそ経験や体験は重要なのだと思う。生きているだけでも体験は訪れるけれど。



・・・・・
とまあ、色んなことを悶々と感じた作品でした。
こういう風に、自分の中に何かがグルグル回るのが、いい作品の証しなのかもしれませんね。自分の中に溶け込むプロセスに時間がかかる。
「何か感じる」ということは、生きている証拠です。
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3 コメント

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Unknown (mayu)
2009-04-08 11:55:58
わたしも、ミスチル経由でショーシャンクを観ました(笑)。以来、すごい好きな映画のひとつです。信念のパワーを感じます。水面を平然と泳ぐ水鳥が、実は水面下では必死に足を動かしている、そういうシーンをいつも連想します。もがく先にはきっと何かがある、と。「必死で生きるか、必死で死ぬか」このセリフ一番好きです(まねしてるわけではないんですが、琴線に触れる場所が被ってて。笑)生きるってそういうことなんじゃないかと最近漠然と思います。
あと、あらゆる事象は結局「認知」の問題なので、どう帰属するかですね。
Unknown (雨音)
2009-04-08 14:59:55
私の友達で映画評論家になりたいと本気で思っていた人がいます。

もう10年以上前のこと、彼に「お奨めの映画は?」と聞いた時にこの映画があったので、すぐにビデオを借り、この映画を含め数本観ました。
今ではストーリーを思い出せないのですが、その時に感動して涙を流した記憶があります。

もう一度み観なければ…

改めて振り返ると、日々の生活に追われ、なかなか映画を観ようと思う気持ちになれなかった年月が経っていたんですね。

いなばさんに同調しようとするわけではありませんが「TUGUMI(つぐみ)」も好きな本です。

私は難しいことは書けないのですが、ここにコメントを投稿していらっしゃるIsさんの書評にあった「見田宗介」さんの社会学ゼミナールに4月から参加することになっていたので、いなばさんの繋がりの中の繋がりに神秘性(偶然ではない必然性)みたいなものも感じました。

あと「ムハマド・ユヌス」氏のグラミン銀行のお話も、いなばさんのお友達のブログの中に出ていて、そこも、ちょっと繋がりみたいなものを感じました。
数年前、家族が学校の政治経済のレポートを提出する時に、私に聞いてきたので「グラミン銀行」のこともアドバイスしておきました。
そのことも含めて「近代社会」というテーマのレポートをまとめて提出したところ、学期末の成績は10つまりAをもらえていました。

いなばさんが、いろいろ考えることは必然であって、人それぞれが、それぞれの時にいろいろ考えることがやってくるのでしょうね。

いなばさんのおっしゃるとうり、考えるという(感じたり・思ったりすることも含めて)ことは、自然にやってくることであって、決して強制されて出来ることではありませんものね。
考えてたりしている最中に「そんな神経質になら無くてもよいんじゃない?」みたいな声をよく聞きますが、ちょっと違うんじゃあないのかな?と逆に思ったりするのですが、たいていは、めんどうなので受け流してしまうことにしています。

あと「開く、閉じる」に関しては深いトピックになりそうな予感がしています。
最初のあたりはミスチルに引っ張られて脱線してしまった。 (いなば)
2009-04-09 01:47:38
>>>>>>>>>>>>>>mayu様
ミスチル経由!!これは嬉しい。

僕はあの「one two three」ってのはかなり好きな曲の一つなんですよねー。
『IT'S A WONDERFUL WORLD』ってアルバムの最後の曲で、

************************
Oh Baby 通り雨が上がったら
鼻歌でも歌って歩こう
この醜くも美しい世界で
************************
って歌って終わるとこが、いやー桜井さん天才だなーと思いましたね。笑


あと、
************************
Oh Baby 通り雨が上がるまで
カプチーノでも頼んで待とうか?
この醜くも美しい世界で
************************
という一節で、「カプチーノ」というのを聞いてから、基本的にコーヒー屋で飲むのがカプチーノになった気がします。8割はカプチーノ頼み見ます。

あ、全然、途方もなく関係ない話でしたね。笑


「必死で生きるか、必死で死ぬか」このセリフいいですよね!!
実際、見た人は、あそこは誰もがグッとくるとこだと思いますよー。
あんな風に、人間ってほんのちょっとしたことで生にも行くし、死にも行く。
だからこそ、僕ら医療者はHopeのような、生命に対する何らかの方向性の自覚が必要なんだろうなー。って、自分の仕事に引きつけて考えちゃいましたね。

『あらゆる事象は結局「認知」の問題なので、どう帰属するか』
→哲学的ですねー。
僕も、どう世界を解釈していくか、どういう物語を重ねていくか、そういうのはかなり大きい要素だと思っています。
それは、やはり脳で世界を認知しているという前提がある以上、ある程度バーチャルであることが前提になっているわけだし、色んな編集作業とか・フィルタリングがかかっているわけで、まずそこを自覚して、自分にとって極力リアルと思える物語をどう重ねていけるかということだと思いますね。
それには、やはり自分だけでは勿論限界があって、向日葵が太陽の方へ向かって伸びていくように、自分にとっての太陽のような道しるべがg必要なんだと思います。それは、きっと尊敬できる他者ということなのかと思いますね。


>>>>>>>>>>>>>>雨音様

映画評論家のような映画好きでも確かに好みそうな映画ですよね。
エンディングとかも、比較的色んな人にも受けがいいように作られているなぁという感じもしましたし。
よく作られてるなーという感じと言うんでしょうかね。

見田宗介先生さんのゼミ、面白そう!
僕も6月からせっかく東大に戻るんで、前みたいに文学部とか他の学部のゼミとかに潜り込めたらなーとか思ってますが、なかなか時間の束縛が長そうで難しいかなぁ。
見田宗介先生のゼミって朝日カルチャーセンターとかですか?あれって面白そうなのいっぱいあるんですけど、なかなか僕らには出にくい時間でやってるんですよねー。
でも、雨音さんのようなちゃんとお子さんを育てられているような方が、ああいう講義に出て学びの場に行くって言うのは素晴らしいですね。
僕も、自分の心を磨くため、死ぬ直前まで学び続けたいと思ってます。

僕が考えていることは、まあ大きな流れの中で、「おのずから」そうなっていると思いますね。そして、「みずから」ブログに書き連ねているんだろうと思います。
まあ、人間30年も生きていると、それなりにいろいろなものを考えたり感じたりするもので、その辺は正直に向き合っていかないといけないとも思います。自分とは一生付き合っていかないといけないものだし、どうせいづれ考えないといけないことなんでしょうしね。

「開く、閉じる」に関しては、まあ大したこと書けないとは思いますが(笑)、自分を開くことって大事だなーと常々思っているとこなので、少しまとまったらブログにもUPしてみようかと思っております。しばしお待ちを。無駄に長くなりそうだなー。なるべくコンパクトにしようとは思ってるんですけどね!

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