後山の子明石のふるさと自慢&オカリナ日記

主な内容・・・①後山の子明石のふるさと自慢、②趣味のオカリナ&コカリナ日記、③趣味の新聞投稿、④愛唱歌「山の子の歌」

わが家と作東バレンタイン広場のイルミネーションです

2015-12-26 23:50:11 | わが家

 わが家作東バレンタイン広場のイルミネーションです。
 わが家でも、ささやかな冬のイルミネーションが始まりました。わが家のはどちらかと言うと、「クリスマスの・・・・」ではなくて「冬のイルミネーション」です。内容は昨年と全く同じで、期間は12月1日から来年の2月末までの予定です。時間は夕方5時ごろから深夜12時ごろですが、スノーマンの親子だけは太陽電池なので、快晴の日には午後9時すぎまで光り、雨天の日には1時間もしない間に光らなくなります。ささやかなイルミネーションではありますが、後山地区では今のところわが家だけなので、よく目立ちます。東粟倉工房から金花橋までの道路から見上げれば真正面なので、よく見えます。
 作東バレンタイン広場は12月24日(木)の夜に、母のお世話になっているグループホームからの帰りに写真を撮りに寄りました。こちらはもちろんクリスマスのイルミネーションです。

2つの高齢者施設のクリスマス会でオカリナ演奏をしました

2015-12-24 23:43:02 | オカリナ&コカリナ
今年は美作市内の2つの高齢者施設のクリスマス会でオカリナ演奏をしました。
 一つは、12月17日(木)の午後、養護・特別養護老人ホーム作東寮のクリスマス会で、オカリナクラブ「H~O~T沿線」の出番は扇舞に続いて2番目でした。作東寮は例年訪問していますが、職員の中に芸達者な人が多く、私たちの持ち時間は10分間しかありません。曲目は①「証城寺のたぬきばやし」②「汽車ポッポ」③「喜びも悲しみも幾歳月」④「北上夜曲」⑤「青い山脈」の5曲で、①はメンバーの一人によるたぬき踊り入り、⑤は後山の子明石のリコーダーに合わせてみんなで歌い、残りは参加者6人による二重奏です。
 もう一つは12月22日(火)の午前中、旧英田町福本にあるロマンシティー英田のケアハウスのクリスマス会です。H~O~T沿線のメンバーが少なそうだったので急遽オカリナ&コカリナ津山の人達にも呼びかけたところ2人が応援にかけつけてくれ、合計7人で演奏することができました。午前10時から約30分間で、曲目は①「ジングルベル」②「証城寺のたぬきばやし」③「雪」④「汽車ポッポ」⑤「高原列車は行く」⑥「大きな古時計」⑦・⑧「線路は続くよどこまでも」&「汽車」⑨後山の子明石のリコーダー独奏「俵星玄蕃」⑩「喜びも悲しみも幾歳月」⑪「北上夜曲」⑫「高校三年生」・・・・その後アンコールがあり、⑬「花嫁」と⑭「青い山脈」を演奏し、結果的には40分ぐらい演奏しました。このケアハウスの職員の中に、後山の子明石が若い頃(27才?)に担任をした教え子が一人いて、向こうから声をかけてくれました。彼女はすでにベテランの領域で、介護職員の中でも中心的な存在であるように見えました。

「あわくら小唄」の歌詞が4番まですべてわかりました

2015-12-11 21:46:30 | ふるさと
 旧東粟倉村に伝わるふるさとの歌(=ご当地ソング)と言えば「後山音頭」「あわくら小唄」の2曲です。
 このうち「後山音頭」は、昭和30年前後に元村長・井上良太郎氏が作詞した歌詞に地元のだれかが作曲した元歌を、昭和40年代に有名な作曲家が編曲し、歌手の栢みどりがレコード化した。当時の盆踊りの歌として20年間ぐらいは使われたので、旧村民ならだれでも知っている歌になっていましたが、いつの頃からか盆踊りそのものがなくなり、「後山音頭」も滅多に歌われなくなりました。
 それよりもっと歌われなくなったのが「あわくら小唄」です。昭和30年代には、「後山音頭」の元歌よりも洒落た曲として、多くの村民に歌われていました。しかし、先の「後山音頭」の編曲・レコード化の結果、「あわくら小唄」の方はほとんど歌われることがなくなってしまいました。それから約40年が経過し、今では曲を知っている人は少数の高齢者のみになってしまいました。そこで「あわくら小唄」を再び旧東粟倉地区の愛唱歌とするために、1番から4番までの歌詞を紹介します。(特に、3番の歌詞がほとんど忘れられていました。)
 メロディーは、できるだけ元歌を尊重したものを後山の子明石が採譜し、五線紙に表現してみようと思っています。

            あ わ く ら 小 唄

                               作詞  大杉 堅
                               作曲  河野 好

1.青む日名倉ツバメが飛んで~ 千種念仏も 噂にのぼるネ
  ヒラメ釣りすりゃ深山の渓に 遅れ桜が 遅れ桜が ヒラヒラヒラと~

2.若衆音頭に娘の手振り~ 冴えるばち音 子供も続くネ
  月はまんまるあの道仙寺 谷のつゆ草 谷のつゆ草 キラキラキラと~

3.刈田うそ寒 吉田の小谷(こだに)~ どこへそれたか 出て来ぬ猪(シシ)にネ
  あくび殺して構えた銃(つつ)に 行者しぐれが 行者しぐれが ハラハラハラと~

4.雪を交えてサラサラサラと~ 船木(ふねぎ)おろしが 雨戸をたたくネ
  牛に食わせてこたつにもぐりゃ さわらぎ狐が さわらぎ狐が コンコンコンと~

  ※ ヒラメ・・・・ヤマメ・アマゴのこと   うそ寒・・・・肌寒い
    さわらぎ・・・・「東青野の宮土居の谷の奥」をさす地名
    行者・・・・行者山・後山のこと   船木・・・・船木山のこと
    深山・・・・駒ノ尾山のこと   日名倉・・・・日名倉山のこと
   

4年目のソバの刈り取りが順調に進んでいます

2015-12-06 20:55:09 | 農業
 休耕田にソバの栽培を始めて今年で4年目になりますが、これまでで一番順調に収穫作業が進んでいます。6列ある畝のうち5列までは刈り取りが終わり、残り1列になりました。結局、気長に手刈りが一番!ということに落ち着きました。刈り取りが終わればしばらく乾燥して、足踏み脱穀機にかけ、その後唐箕で選別して優良な実を出荷・・・・となります。
 過去の3年間の特徴は、
 1年目(2012年)は、ヤマモトの一番下の田んぼで栽培面積は7a。生育は一番良かったが、シカ12月総選挙と最後はまで降り出し、収穫は約6㎏、内3㎏を出荷。
 2年目(2013年)は、マナゴウの田んぼで7.6a電柵は設置したものの、土が肥えておらず、全くの不作。やはり最後はが降り出し、収穫は約3㎏(これを出荷)。
 3年目(2014年)は、ヤマモトの中の田んぼで10a。肥料をしなかったので、茎も小ぶりで実も少ない。電柵を設置したが、枯れた松の木が風で倒れかかり破壊され効果なし。この年も12月総選挙があり、選挙が終わった頃はの中。実は約5㎏、内3㎏はJA勝英・英北支点から出荷「上」の評価を受ける。
 4年目(2015年)の最終報告は後日行います。