平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

さくら@沖縄守備隊・陸軍第32軍総司令部の地下壕

2017年06月15日 | 太平洋戦争

 太平洋戦争中の沖縄戦において、日本陸軍は首里城の下に地下壕を掘り、陸軍第32軍総司令部(牛島満司令長官、長勇参謀長)を置いた。地下壕入口は、守礼門から園比屋武御獄石門の前を通って円鑑池に向けて行く途中にある。1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦・ミシシッピなどから砲撃を受けたために27日に焼失したという。さらに日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の多くの文化財が破壊されている。戦後、首里城跡に琉球大学が置かれ、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、1992年11月に正殿を中心とする建築物が再建されて首里城公園が完成した。

 ところで陸軍第32軍とは何かというと、1944年3月15日に編成され沖縄本島だけではなく近隣の群島、諸島をその守備範囲として米軍の上陸に備えた守備隊である。この作戦は八原博通・高級参謀によって立案されたもので、司令部はここ首里に置かれ、米軍上陸後は先に紹介したように嘉数台地、前田台地を第一線として戦い悲惨な戦いとなった。私がいつも思うのは、沖縄戦の戦略を立てた高級参謀・八原博通大佐の戦後処理である。歴史を学ぶとき、英雄が何故英雄と呼ばれるかの一つに戦後処理がある。八原博通は大本営参謀・作戦課の軍人である。沖縄戦の作戦を立案し、沖縄県民を巻き込み、23万人とも云われる犠牲者を出したのにもかかわらず、何ら責任をとらずに生き延びている。海軍司令部の大田実少将や牛島満陸軍中将の生き様とは大きな違いがある。日本では、司令された軍人は玉砕・自決し、司令した軍人は無責任に生き延びる構図があり、戦後70年間、公式には何も反省されていないのである。靖国問題はこういうところから始まる一面を持つ。前に少し紹介したが、日本も現在のドイツを見習わなければいけない。ドイツはヒトラー政権の下で極めて残虐な行為を行ったが、国民全員で反省をし教育をすることで戦後処理を世界に発信している。ドイツに旅行に行けば日常からそれらを読み取れる面があるのである。一方、日本はというと日本帝国軍・大本営、参謀本部は70年間何も語らず、何も責任を取らず沈黙を続けている。70年も経った今では生き残っている軍人官僚はほとんどいないだろうが・・・。

 旧海軍司令部地下豪は現在公園として整備されて戦歴が後世に語り継がれている。しかしここ陸軍第32軍総司令部地下壕は何ら整備されることなく放置状態であり、ご覧の通り戦争史跡として無残と言わざるを得ない。その理由はどこにあるのかを考えることが私の根本である。追ってその理由についての持論を紹介したい。

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