平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

幕末191 1878年 紀尾井町の変

2017年06月12日 | 幕末

 1878年5月14日、大久保利通は、霞が関の私邸から馬車で赤坂仮御所に向かっていたところ、紀尾井坂近辺で暗殺犯6人に襲われ日本刀で斬殺された。紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったことから紀尾井坂と呼ばれるようになったが、元々紀州徳川家の跡地が清水谷公園となり、現在大久保公哀悼碑がある。暗殺犯のリーダー島田一郎は石川県士族で29歳、陸軍軍人として中尉にまでなって、西郷に共鳴して下野していた。副将格の長連豪は22歳、島田と同じく加賀藩出身の士族で、鹿児島の私学校にも留学した経験があり、桐野利秋や別府晋介とも親しかった。残る4人は杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一、浅井寿篤でいずれも30歳以下の不平士族であった。彼ら6人は翌日揃って宮内省へ自首すると、臨時裁判が行われて7月27日の判決とともに処刑された。実は大久保が当日乗っていた血染めの馬車は現在岡山県倉敷市にある。

 維新の三傑 大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允が亡くなった今、政治は伊藤博文、黒田清隆、大隈重信、軍事は山県有朋、大山巌に任されることとなる。彼ら年長の大隈、山県でさえ大久保の8歳年下である。そんな彼らが大日本帝国の構築をすべて任されることとなり、いかなる運命を辿ることとなったかについては、別途紹介する。

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