平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

出雲王朝1-出雲国について

2017年06月22日 | 記紀創世紀

 久しぶりに哲学者であり考古学者・梅原猛氏の著書、森浩一氏、関裕二氏の著書を読みあさっている。古代出雲の謎を解こうというものである。いやぁ、実はそんなたいそうなものではなく、古代出雲王朝とポートレートのコラボをしてみたくなっただけのことである。さてモデルさんは何方に声をかけようか。

 今まで出雲国というのはフィクションの世界であると考えられてきた。しかし荒神谷遺跡や、加茂岩倉遺跡が発見され、四隅突出型墳丘墓といった山陰から富山に分布した古墳が数多く見つかった。これらは前方後円墳の時代を遡ること200年前に権力があったことを意味し、出雲神話にふさわしい考古学的な遺跡が数多い。荒神谷遺跡は出雲国風土記に記された健部の郷にあり、ここはイズモタケルを騙し討ちにしてヤマトタケルの家来が住み着いた所でもある。出雲建は大国主命政権崩壊後も細々と続いた出雲王朝の最後の王であったのかも知れない。大量の銅鐸が出た加茂岩倉遺跡はカモ氏の祖である大国主命の愛児・アヂスキタカヒコネの宮殿があったと思われる。近くには磐座を神体とする矢櫃神社がある。この一帯は大国主命の神財を置いたとされる神原地区であると風土記は語る。いずれの遺跡に於いても青銅器は丁寧に埋納されており、そこには大国主命への深い哀惜の念が込められているように思われる。

 出雲神話とは何か?日本書紀ではオオクニヌシは建速須佐之男命の子としているが、出雲の繁栄をこの2代で片付けているのは甚だおかしく、出雲王朝は6代の繁栄があり、建速須佐之男命と櫛なだ姫の間にできた神・ヤシマジヌミから17代もの系譜を古事記は語るのである。しかしながら出雲国風土記では、語ってはいけない歴史をほのめかしている。つまり世間一般には語ることはできないが、自らの子孫には語り継がれてきた歴史があり、それが出雲最大の謎なのである。

 建速須佐之男命が出雲の国に流罪になる直前の古事記には、農業の始まりが記されている。八百万神はオオゲツヒメに食物を乞う。オオゲツヒメとは国生みで登場する神である。伊邪那岐命・伊邪那美命は淡路の後に四国を生む。この四国は伊予のエヒメ、讃岐のイヨリヒメ、粟のオオゲツヒメ、土佐のタケヨリワケ。乞われたオオゲツヒメは鼻口尻などから食物を取り出して献上、建速須佐之男命は汚いものを献上したとしてオオゲツヒメを殺すのである。この時、カミムスビは五穀を拾って種にした。この神、出雲王朝を守護する神として登場する。オオクニヌシが兄弟神に殺された後、オオクニヌシの母・サシクニワカヒメの願いで生き返らせた。その後カミムスビの子・スクナヒコナと一緒に国づくりをしたことでも登場する。スサノヲや大国主命の話は農業全盛の時代であり、青銅器の時代つまり弥生時代であると考えられる。

大国主命を祀る出雲大社

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