平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

坂本竜馬暗殺の時

2009年12月25日 | 幕末

 1866年寺田屋で襲撃を受けた竜馬は愛妾・お龍に助けられて、寺田屋から近江屋へ宿舎を変えた。 逃げることができたが、その翌年に近江屋で再び襲われた。近江屋は京都の由緒ある醤油屋であり、龍馬はそれまで宿舎としていた寺田屋が幕府に目をつけられたので、近江屋に移ったのである。 幕末の1867年に坂本龍馬と中岡慎太郎が京都河原町近江屋井口新助邸において暗殺された事件を近江屋事件という。 この時の暗殺犯は京都見廻組の仕業であるとされる。 近江屋に移った直後の11月、伊東甲子太郎が尋ねてきて、新選組に狙われているので三条の土佐藩邸(近江屋のすぐ近く)に移ったらどうかと勧めたが、龍馬は近江屋に留まった。 そしてその二日後に龍馬は襲われた。 暗殺当日には風邪を引いて河原町の蛸薬師で醤油商を営む近江屋新助宅母屋の二階にいたとされ、当日は陸援隊の中岡慎太郎や土佐藩士の岡本健三郎の訪問を受けて、中岡慎太郎と龍馬が話をしていたさなかのことといわれている。 
当初、刺客は新選組の仕業とされ、池田屋事件などもあり、新選組に対して徹底した粛清が行われている。 大正時代になって元見廻組隊士だった今井信郎、渡辺篤の口述で、佐々木只三郎らが実行犯であると証言していることから、現在では見廻組実行説が通説となっている。

河原町・蛸薬師は錦市場の東の入り口近くにある 

 

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 北辰一刀流・竜馬 | トップ | 坂本龍馬脱藩 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む