戦いの二日目、徳川海陽丸は薩摩の軍艦を砲撃し圧倒的な勝利を収めた。徳川は大阪湾から薩摩を追い出したのである。昭和42年海陽丸の調査が始まり、復元がなされた。当時としては最強のクルップ砲が威力を発揮した。そして鳥羽では幕府軍が勢いを盛り返していた。陸軍改革の成果ともいえる伝習隊は薩摩のミニエー銃よりも強力なシャスポー銃を持っていた。かくして新政府軍は後退したが、伝習隊は逃げる敵の追撃はしなかった。滝川具挙には戦いの戦果よりも戦い方を重んじる傾向があったようだ。滝川は徳川の指揮をとるのが役目ではなかったともいえる。鳥羽街道の司令官は竹中丹後守であった。徳川陸軍のNo.1竹中重固のことで、竹中半兵衛の末裔である。このとき竹中は兵をそのまま残して淀の本営に行っていた。淀本営は鳥羽街道と伏見街道の分岐点に位置し徳川軍の本陣が置かれていた場所である。さらに竹中に代わる指揮官・佐久間信久までが伏見を離れていた。陣笠をかぶって馬上で指揮をする佐久間は格好の標的であり、薩摩に狙われた。かくして幕府軍の指揮系統は乱れ、この日も敗北することとなる。
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