平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

出雲王朝25-出雲の須我神社と末裔・蘇我氏

2017年07月16日 | 記紀創世紀

 6世紀の末、蘇我氏と物部氏は仏教の導入を巡って戦った。つまり出雲と蘇我氏には因縁めいたつながりがあると考えられる。出雲大社本殿の真裏にある摂社は素鵞の社で、祭神は素戔嗚命である。素戔嗚命が出雲に建てた最初の宮は須賀にあった。この地は清々しい場所であったというのが由来であり、これを須我神社という。

日本最古の神社・須我神社

須我神社の奥の院 ここでミミ木兎(出雲の使い)に出会ったのですが撮影できずでした

 一方蘇我氏は宗我とも書き、スガとも読める。蘇我氏は7世紀の飛鳥で繁栄を極めたが、彼らは方墳という独自の埋葬文化を持っていた。実はこの方墳は古墳時代の出雲で盛んに造営されていた。一般に蘇我氏は渡来系と言われているが、この発想は誤りかもしれない。日本書紀は蘇我氏の祖にあたる人物の系譜をばっさり切り落として無視しているからである。では蘇我氏の祖を割り出すことはできるのか。第8代孝元天皇の時代に活躍した建内宿禰の子に蘇我石川宿禰というのがいて、この末裔が蘇我氏だったというのである。

 奈良の春日大社の祭神、タケミカヅチとフツヌシは葦原中国を支配しようとしたタカミムスビが出雲に送り込んだ神であり、出雲の敵とも言える。春日大社の祭神にこの2神が選ばれたのは8世紀のことで、鹿島、香取両神宮から春日大社に勧請された。春日大社一帯が藤原氏の私物になったのは平城京遷都の後であるが、平城京整備が進んでいた頃時の権力者・不比等は史書編纂を急がせており、記紀神話が不比等思惑を織り込んだものであると考えると多くの謎が解ける。ところで春日大社本殿の脇にある三輪神社の祭神がスクナヒコナ命とあるのはどういうことか。大物主なのでは? 

 春日大社の一帯は元々柿本人麻呂と縁の深い和珥氏の所有地であった。藤原の出現によって古き良き時代の神々は没落して鬼呼ばわりされていった。大和朝廷を代表する三輪の神も藤原氏によって鬼呼ばわれされた。しかし三輪の神が大物主ではなくスクナヒコナ命なのは何故だろう。日本書紀では大物主と書かれているのに、春日大社はこれを無視しているのである。つまりこれは藤原氏だけが知っている歴史の真相に則って祭祀が行われているということだ。そしてこれは、本当の三輪の出雲神が大物主ではなくスクナヒコナであることを示しているのかもしれない。

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