平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

出雲王朝22-出雲と天皇家の類似

2017年07月13日 | 記紀創世紀

 出雲国造と天皇家が似ているのは大嘗祭の神事だけではない。神膳の供進の直前にでてくる小道具、天の羽衣にもある。これは多くの神話に登場するありきたりな衣装のように思われているが、実は非日常的な特殊な代物なのである。竹取物語ではかぐや姫が月に帰る直前に、天の羽衣を着るのを躊躇う場面がある。なぜなら天の羽衣を着ると人の世の記憶がなくなり人ではなくなるからである。このように天の羽衣はこの世とあの世を行き来する神聖な衣なのである。大嘗祭のクライマックス直前に天皇は湯カタビラを着て沐浴をすると明衣に着替えてユキ殿にはいる。この湯カタビラが天の羽衣と呼ばれているものであり、この瞬間、天皇は人でなくなり神の御霊を継承する。

 伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神も天の羽衣伝説を持ち、この羽衣を失ったことで空を飛べなくなったように、かぐや姫が天の羽衣を着て月に帰るように、天の羽衣には鳥のイメージがつきまとい、出雲とも強い因果関係がある。出雲国造神賀詞には、玉などの神宝や白馬とともに白鵠を献上していたとの記載がある。白鵠とは白鳥のことをいう。出雲と鳥のつながりといえば、事代主神の鳥あそびがある。日本書紀によれば出雲の国譲りの際、事代主神は美穂埼で鳥あそび、つまり神事をしていた。これが神社の鳥居にも通じている。そして大国主命の遣いがミミズクであったり、神武天皇の遣いが八咫烏であったりと、鳥霊信仰は太陽信仰と同じく存在したのである。この鳥信仰は出雲の風葬、水葬と関係しているという。出雲の高貴な人が他界すると籠に死体を収め高い山の常緑樹に吊るして風葬にしたという。出雲の猪目洞窟では、弥生時代の人骨が見つかったが、風葬であった。

 紀ノ國の熊野でも風葬の伝承が残されている。紀ノ國熊野は素戔嗚命の母伊邪那美が葬られた地であり、出雲と紀ノ國が風葬で繋がっているのである。既に述べたが八咫烏はもともと熊野の出身で、神の使いとなって神武天皇を案内した。何故カラスが神の使いとして出雲系の全国の神社で重視されたのだろう。カラスは雑食性であり、遺骸をかごに入れた風葬に於いてカラスに食べさせた。熊野では遺骸を狼に食べさせたように、烏や狼は魂をこちらからあちらへ連れて行ってくれる神の使いなのである。よくよく考えれば、出雲国造の祖・天穂日命は天皇家の祖天照大神の息子・忍穂耳命の弟にあたるのだから、近しい親族なのであり、祭祀形態が似ているのは当然なのかもしれない。

出雲大社では出雲国造の祖・天穂日命が祀られている

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