平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

幕末151 1863年 長州攘夷論

2017年01月02日 | 幕末

 岡田以蔵が勝海舟の護衛をしていた頃、坂本龍馬は越前の松平春嶽の元に赴き、5千両を引き出すことに成功した。これは越前藩の年間予算である。またこのとき生涯の友となる越前藩士・三岡八郎と出会う。三岡は五か条のご誓文の起草や明治政府の財政確立に貢献する人物である。そして春嶽の政治顧問を務める横井小楠とであうのもこの時である。越前から帰ってきた龍馬が姉・乙女に宛てた手紙に書かれた 「日本を今一度洗濯致したく候」というのは有名である。

 このような時に頼れるのは、萩で攘夷論者から逃れるように暮らしていた高杉晋作である。頼りにならない武士を見限り有志を兵とする奇兵隊の創設である。ほぼ引退していた高杉晋作に奇兵隊創設の全権を与えたそうせい候はほんとうに暗愚藩主だったのか。攘夷の嵐が吹くなか、長州ファイブを留学させた藩主の意義は大きい。奇兵隊創設は1863年6月7日。この頃イギリス艦隊は横浜で、鹿児島攻撃の準備を着々とすすめていた。旗艦ユーリアス号は、ペリー艦隊のサスケハナ号のような外輪式ではなくスクリュー式であり、防衛性能は優れている。砲門もサスケハナ15に対して35門もある。また艦隊のうち5隻にはアームストロング砲が搭載されている。これらの艦隊と戦った薩摩藩は、攘夷不可能を悟った。一方長州藩は馬関戦争で一方的にやられたにもかかわらず攘夷可能と思い込んでいる。

 両者の違いは何なのだろうか。長州には天皇への忠誠を御旗に外国との戦いに勝てると思い込んでいる構図は、帝国陸軍不敗神話と同じである。昭和前期の大日本帝国陸軍の大砲、小銃は日清戦争の頃から進歩していないにもかかわらず、白兵戦で勝てると思い込んでいる。つまり大和魂である。一方海軍はというと全く違う。ゼロ戦は世界最高水準であったし、戦艦大和を有する機動部隊も世界最高水準であった。山本五十六は敗戦を自覚していたし開戦反対派であった。陸軍の長州的観念論が日本を破滅に導いたのである。薩英戦争の意義は薩摩に攘夷不可能と思わせたところにある。薩摩の家老小松帯刀はイギリスと和平交渉を行い、以来薩摩とイギリスは日本の改革に歩調を合わせる。

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