平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

出雲王朝9-出雲王朝による大和支配

2017年06月30日 | 記紀創世紀

 大国主命は越の国のみに留まらず各地に領土を広げて支配していったと考えられるが、古事記を読む限り、出雲王朝が大和をも支配したことは確実と思われる。神武天皇は日向からはるばる遠征し、大和の長髄彦、饒速日の子、宇摩志麻遅命(物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる人物)を滅ぼして占領した。占領軍が権力を保つには、かつてこの国を支配していた大国主命一族の血を引く女性を娶り、その子を次の天皇にすることが必要であった。選ばれたのは 勢夜陀多良比売といって三島湟咋の娘と、大物主の娘・富登多多良伊須岐比売である。多多良というのは、出身氏族が製鉄と深い関係がある東部出雲地域であったことを物語っている。富登多多良伊須岐比売を神武天皇が娶った。神武天皇が亡くなったとき、日向豪族の娘・アヒラヒメとの間にできた手研耳命は、富登多多良伊須岐比売を娶り、神武天皇の異母兄弟三皇子(神沼河耳命、日子八井命、神八井耳命)を殺そうとした。しかし、神沼河耳命は神八井耳命の武器をとって手研耳命を殺し、第二代綏靖天皇の座に就いた。恐らく神武のあとを継ぐのに、日向の血を引くものでは大和の支持は得られなかったのであろう。明らかに出雲の血(富登多多良伊須岐比売の血)を引く神沼河耳命が座に就くことで、神武王朝は安泰を保つことができたのである。

 しかし以降は大国主命系の女性で皇后の位につくものはなく、物部系の女性が多く正后の座についている。これによって物部氏が実は出雲の出身と関りがあるのではないかという説があるのである。

鵜葺草葺不合命が眠る吾平山陵は日向の豪族の地

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