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Sakula@南淡路・吹上浜-1

2017年09月05日 | 彩木里紗 齋藤このみ 山部さくら 桜田美里

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出雲王朝74-稲佐の浜

2017年09月05日 | 記紀創世紀

 出雲大社の祭神・大国主命は国譲りの際に稲佐の海に隠れた。これが根本となって、出雲大社の神在月には旧暦10月10日になると日本中の神が出雲にあつまってくるという。この神在祭では、日本全国の八百万の神々が海蛇に導かれて「稲佐の浜」にお着きになられて、神職の方々に先導されながら、出雲大社の本殿を目指される。そして出雲大社で7日間もの間、会議をするのであるが、実は、神々が本当に会議をする場所が出雲大社の境内以外にもある。それは「出雲大社の境外摂社・上宮」と言う場所で、会議のことを『神議り』という。

 出雲国造家による行事のひとつが8月14日の深夜に執り行われる神幸祭で別名身逃げの神事といわれるものである。行事のクライマックスは8月11日から始まる。出雲大社の近く、稲佐の浜で禰宜が海水で身を清め潔斎所に籠る。13日の晩には出雲大社の摂社で櫛八玉神を祀る湊社に参拝し、稲佐の浜の塩掻き島に参拝する。この一連の行事は道見という。そして14日の深夜、出雲大社境内のあらゆる門が開かれ狩衣を着こんだ禰宜が右手に青竹の杖、左手に真菰の苞と火縄筒を持って、裸に足半草履の格好で姿を現すと祝詞をあげ神幸を始める。禰宜の役割は大国主命のお供であり、神幸する禰宜の姿を誰一人見てはいけないというところが謎である。もしも見られたら穢れたとして最初からやり直すという徹底ぶりである。誰にも見せない祭など他には例はない。

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神原みお@阿伏兎-5

2017年09月05日 | 上矢りせ 神原みお 華純 きょん

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