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「教育の理想について」 ①

2010-03-09 11:26:23 | 宗教と政治

「教育の理想について」 

幸福の科学学園那須本校落慶記念御法話 2010.3.7

みなさんこんにちは。そして、同時におめでとうございます。(拍手)全国全世界の多くの皆様方のご協力を得まして、宗教法人格取得、満19年目の記念すべき日に、幸福の科学学園那須本校を落慶出来ましたことを心から嬉しく思いますと同時に、今日までご協力、運用のため、内容を作るための御精進に感謝したいと考えます。

新しく入ってくる人のために話すのかと思ったら、全国から教員経験者や元教員を中心に集められたということで、昨日あたり聞いて、私が考えてたのと話が違うけど、教員研修しないといけないかもしれないけど、無視した話になるので、聞いてください。
「教育の理想について」という大きなテーマですので、今実験校的スタートを切るところですので、高いレベルのハードルを設けますと運営スタッフや教員スタッフが非常に緊張の中にスタートを切ることになるのであまり大きなことを言いすぎないほうがいいけどはじめは緩やかに少しずつ前進しつつ、だんだん立派なものを作っていこうと考えております。

中学、高校で教わったこと自体は忘れていく。社会に出ると、新しい知識を勉強しないといけなくなる。そうすると大事な10代、勉強して中間、期末、実力テストで勉強した努力は何だったのかと問われると思うんですね。私は自分自身の体験を振り返って思うんですけど、学校の大きな機能として感じたことは、勉強の仕方を教えてくれたことが大きかった。
実社会に出たら、個人の戦い。個人での勉強の仕方になるが、学校ではどういう風に勉強するのかを教えてくれた。実社会は専門に合わせて勉強しないといけない。
それに適切な学校があるわけではないし、自分でテキストを買って勉強をしないといけない。
学生時代に培った力が応用力となって生きてくる。努力のやり方を教えてくれたとこが大きいと思う。
実社会で仕事をすると学校時代で思っていたような・・・テストでいい点を取ると、学校では褒められるけど実社会で寂しいのはそういうテストがないということ。中間テスト期末テスト実力テストもない。点数をつけてくれて、給料はこれだけですよとはならない。実社会の評判は成し遂げたものの成果、客の評価、同僚の評判、上司の評判、いろんなもので出来ている。点数とは違うものが出る。
教育を突き詰めると学生の時と、卒業をしてからは違う。学生時代に学んだときの内容と違うけど、仕事出来て実社会に出て社会的尊敬受ける人間に育つようつながっていかなければならない。基本は仕事ができて社会人として生き延びていける、世を渡っていけるということ。
欲を出せば、皆さま方に人にお返しできる、御恩を返していける人物を育てないといけないということになります。
そうすると教育者の生き方の念頭に置かないといけないのは、与えられた教科、割り当ての教科を教えつつも、「実社会に出て、この子が仕事をして認められ、上手い家庭運営できる、役に立つ教育をしないといけない」ということを、心の奥底に願い続けていないといけないということ。今教えてることそのものズバリは役に立たないかもしれないけど、判断に苦しんだ時にそれが役に立つものの考え方、努力の仕方を教えないといけない。
学校の中でも人間関係があるけど、人間関係の結び方、問題が起きた時の解決の仕方を教えて、社会人になった時、立派になれるように教えようと心の奥にないといけない。
それを別の言葉でいうとすると、私はだから本当の勉強の仕方を教えることができるというのは、仕事の仕方を教えることにつながるものだと思う。
世の中に出て評価されることができる教育。それにつながる教育。
世の中で評価される仕事をなしていくにはどうすればいいか。学生時代どうすればいいか。学生時代の子供たちに教えてほしいことは古い言葉になるけど、どうしてもどうしても教えてほしいのは勤勉さ。

古い言葉になるかもしれないけれど、勤勉に努力する者は認められるし、必ず道が開けるということをしっかり教えてほしいんです。学生時代ほど、仏法真理の縁起の理法があたるとこはない。学校は、数学、英語でも的確に勉強すれば出来なかった勉強ができるようになったり、はっきり効果が出てくる。原因、努力があって効果が出る。勤勉を中心として努力の大切さ。
自分自身で確認でき、やったらやっただけ成果がでる、と子供たちに自覚させることが教育にとって大事なこと。たまたま運がよかったり、援助を受けて道が開けることはあるけど、自分で道を開けるように作っていくことが学生時代は大事。そうだからこそ、他の人が助けてくれたり、天の援助を受けられることが多くなる。

ビッグチャンスが来る。他の人の援助が出てくるというのは、努力精進を周りは見逃さないから。努力精進の心を持ってる人は人材ですのでおしいですから、発展させたい人は人材を逃さない。上の人たちが必ず見逃さないで、そういう人に然るべき教育を与え高度な仕事をさせようとしてる。そうしないと会社は潰れる。他力と言っても本人が重ねている精進が認められたというとこが、他力にあたっている。もとは自力。生徒の時代に、中学・高校の生徒の時代にきちんと学ぶことが大事。
学業中心だけど、実社会で役に立つのは生徒会の活動や、運動部で活動したり、文化部で活動したりしたことが、他の職業につながっていくことが多い。そういうことを含めて考えておきたいと思います。

振り返ると勉強する力を身につけたのが、仕事の基礎になってるのは間違いないが、以外に役に立っていると思うのはクラブでみんなをまとめて練習をしたり、リーダーシップを鍛えたり、発揮して生徒会で、まとめて会議して、学校の運営について糾弾したり、話したり、先生と交渉したり、判断したり、新聞を編集したりしたことが今の仕事につながっているところがある。(この部分はかなり前後が入れ替わっているかと思います。)
それは科目に関係なくすべてが学びのチャンスと考えたほうがいいかと思います。
また現在教員をやっている人が多いとのことで、先生方の参考になることを言わないといけない。先生と言われるのは厳しいこと、辛いことです。そう思っていないなら甘いですよ。ほんとに甘い。免許をもらって先生だと思っているなら甘い。日本の教育の状況は、生徒を集めなくても失業しないように出来上がっている。企業なら、お店ならお客を集めないと失業する。国公立は地区割りで守られてきたし、教育の免許を持っていれば20代で先生と言われ、定年まで守られてきた。世間は客が来ないと倒産する。最近は統廃合も増えたけど、基本的にはそうなっていない。先生と言われるなら、その人に教わりたいといって、人が集まってくるようでないと先生ではない。それが最低限だと思う。

生徒を縛りつけないといけないようでは先生とは言えない。学校対塾・予備校の戦いがある。(学校の先生は)塾の先生を良くいわない。今日は塾だと言えば、塾に行かせないようにわざとホームルームを長くして生徒に文句を言わせたりする。帰さないようにして戦っている人もいる。お客様がない場合の職業・・  

悔しいのはわかるけど、基本的に自力で生徒を集める力があるかどうかというとこが大きいと知らないといけない。学校だけでなく、宗教法人なら、支部でもそう。信者が何百人「あなたが支部長です」となるけど、本当の宗教だったら、その人がいたら信者が増えるようでないと支部長と言えない。何人いるから支部長だと割り当ててもらったというのは違う。どうしたら人気のある先生になれるか、努力がいる。給料は変わらないけど、子供たちに学ぶことの喜びを教えることができて、彼らが教わることに喜びを感じる。自らの生きがいにつながることで子供たちの未来に夢を与えることができるのは嬉しい。プラスアルファの努力をしないといけないと思うんです。

最低限で済まそうと思うと生徒も最低限にとそうなる。学校に睡眠を取りに来たり、授業中に運動したりする人も出る。キャッチボールをしたり、気分転換に学校に来る。誠に悔しい限り。やはり尊敬を勝ち得ないといけない。

専門を深く掘り下げる努力をすることが大事。専門についてプラスアルファの努力をして給料分より別に、自分として専門領域を掘り下げることが大事。それは必ず伝わっていく。不思議だけどわかる。見えてるわけではないけど、必ず伝わる。プラスアルファで努力をしてるのがわかる。それがオーラになって出てくる。尊敬となる。

一昔前子供たちに尊敬する人を聞いたら、親でなければ学校の先生が出ていた。今は塾の先生が出たりする。予備校で一学期が終わって残っている生徒が三分の一だったら腕がいいと言われるくらい厳しい。いろんな塾、予備校を選ぶので、効率のいいとこを探し移っていく。ゆったりと座ってることはない。役に立たなければ見切って他の所に行く。
一般の店と同じ。事務局で授業を聞かれていて内容をチェックされる。先生が人気があるかをチェックしている。学校だと教員全部の授業を校長先生が盗聴すると嫌がられる。準備をしてない授業を不意打ちで見られるのは望ましくない。世間は厳しいのが現実。プロとしてはプラスアルファの努力をすることがいる。

例を言うと、うちの出版から「自助論」という本が渡部昇一監訳で出ている。スマイルズの本。中村正直が明治時代に訳した。当時の知識人で読まなかった人はいないという本。渡部昇一さんが書いた本の中に、英語の先生を尊敬していて、上智大の英文科に入って先生に会いに行った。先生が一つ質問をする。「Now a days」今日では、とか現代ではという言葉。Nowは今。a は一つ。Day 日にsがついている。a になんでs がつくのか聞かれたが答えられなかった。夏休みに郷里に帰って英文科の先生みんなに聞いた。延々と文法の本を探したけど、どこにも出てなかったけど、1,2年たって細井先生の書かれた「英文法範例」に説明を見つけたと喜びを書いていた。
>sは複数形ではなく副詞を作るsというのがある。副詞化するs。
近代英文法の歴史の中に出ている。副詞化するものだった。今の英米人に聞いても英語国民に聞いても説明できる人はまずいない。知っている人はいないですよ。そういう風になってるとしか言わない。
私も大正6年に出た英文法の本、昨日朝、次男が期末テストで、徹夜で勉強をしていたので、朝見回りに、本当に勉強してるかと、4時5時に見回りに行った。自室にいない。台所にいない。

下で正心法語がかかっている。暗闇で寝てるのか・・2回目に巡回したら社会の暗記モノをやっている。「寝ないでいいのか」と言ったら、「寝たら忘れるからそのまま行く。朝まで寝ない。」というので私もお付き合いしないといけないので、英文法の本を読んでいた。それがその本。
そのくらい古い本を読んでると、古い考えが出てくる。何とも言えない考えが出てくる。シェークスピア、ディケンスなどの古いのが出てる。作家が書いてるけど間違っている。実際に使われていて英文が変化してきてるとあげている。

 [②に続く]

午後UPします

                      


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