緑の月がみえる世界

画家・内海満昌

時間に関する考察

2017-06-29 21:36:47 | 日記

以前から思っていたことで、たびたび機会があれば発言してきたことに、

時間は人間が便宜上考えた概念であり、本来は存在しないものである、というものがある。

しかしそれは古くはイマヌエル・カントが唱えていたことであるということをつい最近知った。

 

タイムトラベルは不可能であると思う。

その理由は時間というものは本来存在しないものであるから、というのが自分の考えだった。

時間ということばのあとに「変化」ということばを足せば、本来の姿に近くなるのではないだろうか。

わかりやすく言うと、

たとえば「1秒前の世界」も「五分後の世界」も存在しない。

在るのは「今」だけである。

これはことば遊びではなく、宇宙にある時間(=変化の経過)はひとつしかないということである。

そんなことはない、アインシュタインは宇宙のある場所では時間の流れ方がちがうことを言っている、

という意見がある。

なるほどたしかに重力により時間の過ぎ方は変わるのかもしれない。

しかしそれは時間経過のスピードがちがうだけであって、宇宙にある変化経過は単一である。

 

すべての物理変化が停止すれば、それは時間(変化経過)が止まったといえるかもしれない。

 

自分が言いたいのは、

我々は本来みるべきもの、観察すべきものを何か見落としているのではないかということである。

なぜ物理変化が起こるのか、

なぜ陽子は崩壊するのか(現時点では陽子崩壊は観測されていない)、

身近なことでいえば

なぜ生物には寿命があるのか、ということになるだろうか。

 

宇宙にあるのは空間と物質だけ、

時間という概念を消すことで、より考えやすくはならないだろうか。

 

 

 


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テレビ

2017-06-27 18:37:58 | 日記

ギャラリーと小梅が入っているイトノワさんが京都テレビ生放送で紹介された。

帰宅後録画をみせてもらった。

昨日の時点ではりくも連れて行って映してもらえ、と言っていた。

きくと、

連れていきはしたがリハーサルの段階でぐずりだし、

じいちゃんが連れて帰ったという。

 

小梅部屋もいまのレンタルペースなら今のままでよいが、

この先ドレスをもっと増やす必要性がでてくると、

何か考えないといけない。

 

自分的にいろいろやってみたいプランはあるが、

休みの日はだいたい骨董の仕入れにいくので、

あまりそこまで動く気力がないのが現状。

 

 

 


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たまごサンド

2017-06-24 16:03:38 | 日記

最近京都のたまごサンドが話題になっている。

新しくできた有名な店も知っているが、

まだ行ったことはない。

年にたぶん6~7回くらい、

あそこのたまごサンドがたべたい、と思って行く店が

博物館の近くにある。

今日行ったら、禁煙になっていた。

外国人客が以前にも増して増えてきたからだろう。

ここは珈琲もおいしい。

そしてたまごサンドも一人前がかなりたっぷりある。

いつもきれいな子たちが接客している。

挨拶もはきはきしていて気持ちがよい。

なので、禁煙にはなったが、

今後も行くと思います。

 

おしゃれなカフェ、スタイリッシュなお店というのは苦手だ。

提供されるものがおいしければ本当はそれだけでよい。

なので、床が油でねとねとしている薄汚い中華屋さんにもたまに行きます。

 

りくは町中を歩いていて、

きれいなお姉さんが通りかかると後をついていこうとすることがある。

お店に行ってきれいな店員さんがいると、

その子の前に立ち止まり、にこにこして、話しかけてもらえるのを待っている。

そういうのはまちがいなく自分の血だろうと思う。

 

 

フリーマン・ダイソンの「科学の未来」をよく読む。

ダイソンはダイソン球で有名な科学者である。

もしも進んだ科学文明を持つ知的生命体がいたら、

彼らはその惑星系の主星のエネルギーを100%有効利用するため、

その恒星を球体で覆うだろうというもの。

さらにダイソンは宇宙にある(であろう)文明のレベルを分けている。

自らが生活している惑星のエネルギーをすべて有効利用できる種族、

自らが存在している恒星系の恒星のエネルギーをすべて有効利用できる種族、

そして自らが存在している銀河のエネルギーすべてを有効利用できる種族、

である。

地球はこのうち最初のタイプ1にも達していない。いわばタイプ0のレベル。

 

科学がすべてではないと多くの人がいうけれども、

もし今我々が50億年後の世界にいるならば、そんなことは言えないはずだ。

膨張する太陽から、救いを得るには精神論だけで解決はできない。

 

政治の話をするときに、

同時に環境のことを考えることのできる人間がどれほどいるだろう。

芸術の話をするときに、

経済に目を向けている人間がどれだけいるだろう。

 

 

 


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市電とりくぼん

2017-06-17 18:55:04 | 日記

うめこうのなかの休憩所・古い市電です。

京都の市電は日本で最初にできた市電だとか。

限られた時間ですが、一緒にいられる時間はなるべく一緒にいます。

 

 

 

 

 


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どうでもいいこと。

2017-06-14 21:56:54 | 日記

昨日さんぽの帰りにりくのためにパンを買った。

りくがおいしそうに食べているので、自分も食べてみた。

そのときいわゆる「ほっぺたが落ちそう」な感じになった。

しかしそれはまあおいしいが、それほど特別では・・・というレベルのおいしさだった。

なので妻に、

ほっぺたが落ちそうっていうけど、そんなにおいしくなくてもそうなるよな、というと、

それは単に表現じゃないの、と言われた。

いや、そんなことない。実際になんかほっぺたに変化があるだろと言っても、

それは表現の類でしょ、という。

さきほどふと気になって調べてみると、

おいしすぎてたくさんほおばるからその重みでほっぺたが落ちそうになるというのと、

ほっぺたの内側にある唾液線が刺激されてそのまわりの肉が疼くことという答えとがあった。

最初のはなんともばかげた回答だ。

たぶん10キロくらいの鉄球でも入れないかぎり、その重みでほっぺたがさがることはないと思います。

妥当なのはやはり、唾液腺が刺激されて、というもの。

 

自分がたべておいしいと思うものをりくの口にいれてやると、

これいけるじゃん、という顔を多々する。

いつかりくもこの使い古された表現を使うことがあるのでしょうか。

 

なにそれ、とか言われそうですが。


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