フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 私はテレビドラマ研究者なので、テレビドラマを見るのが仕事の一つです。毎日毎日新しくテレビドラマが放送されるので、それを見るだけでもたいへんな苦労です(でも楽しいですけどね…)。
 そうやって新しいテレビドラマを見続けていると、ふと、今のドラマではなく以前のドラマが見たくなるときがあります。それも、5年以上経って、細かい記憶が薄れてしまっているものがいいのです。先日珍しく眠れなくて、久しぶりにそういう気持ちになってしまい、たくさんあるDVDディスクの中から取り出してみたのが、7年前のドラマ 『夏の恋は虹色に輝く』 (2010年、フジテレビ系)でした。
 この作品は大森美香の脚本、松本潤と竹内結子の主演で制作されたドラマです。平均視聴率は12.3%で、当時の「月9」ドラマとしては特に高い数字ではありませんし、特に大きな評判になった作品でもありません。しかし、私はこの作品がどことなく忘れられず、それがなぜなのか考えたくて、少しですがこの作品を見直してみました。

 設定はこうです。楠大雅(くすのきたいが・松本潤)は売れない俳優。父親は既に他界した大スターの楠航太郎(伊東四朗)。ニューヨーク留学など演劇の勉強もそれなりにしているが、大スターの2世のイメージ通り考えが甘く、俳優としての仕事はほとんどない、いわゆる有名人のダメ息子。しかし、その大雅が、夫と死別したシングル・マザーの北村詩織(竹内結子)と出会い、次第に変わっていく…、というストーリーです。

 ちなみに、私の俳優の好みということで言えば、私は松本潤も竹内結子も、特に好きなわけではありません。どちらかと言えば、好きではない方で、松本は俺様的な雰囲気が強いと思いますし、竹内のセリフ回しは不自然に感じることがあります。なのですが、このドラマで二人が演じる大雅と詩織を、私はすぐに好きになってしまいました。
 2世俳優の甘やかされたお坊ちゃんでありながら、そこから懸命に抜けだそうと努力する大雅にはついつい応援したい気持ちになってしまいましたし、事故死した夫のためにも残された娘のためにだけ生きていこうと決意しながら、少しずつ大雅の気持ちに心が溶かされていく詩織の心の揺れに、こちらもつい心が動かされそうになりました。

 大森美香の脚本は、いつもながらよく出来ています。大森は、過去に『ランチの女王』や『不機嫌のジーン』で竹内の特徴を知りつくしていますし、近年は朝ドラ『あさが来た』で多くの視聴者に支持されています。 ただ、『夏の恋は虹色に輝く』のような直球の恋愛ドラマを書く脚本家というイメージはないのですが、この作品は、細かいセリフまで見事に作られていると思います。
 たとえば、大雅と詩織の電話の場面(第5回)。お互いにひかれつつある二人ですが、ストレートに気持ちを伝える若い大雅に対して、シングルマザーの詩織はその気持ちに素直にはなれません。そんな中、大雅の家のパーティーに職場の人たちとともに招かれた詩織は、家に戻ってから、大雅の携帯に電話をかけて、感謝の気持ちを伝えます。ただ「お礼の気持ちを伝えるだけ」のはずの電話。しかし、大雅が電話を切りたくないようすを示し、二人で話しているうちに、詩織は「それ(お礼)だけで電話なんかしちゃいけないよね。わかっているのに。」とつぶやくように語ります。 
 「個人的な電話なんかしちゃいけない。それはわかっているのに…」という意味は、「それでもあなたに電話をかけたい。あなたの声を聞きたい。」という、とても控えめな愛の告白でもあります。どんなストレートな愛の告白よりも、このもどかしくて回りくどい告白は、はるかにその思いを伝えていますし、だからこそ、この回りくどい告白はより切実に、より切なく、見る者に響いてきます。

 さらに、今回見直して、気がついたことがありました。それは大雅と詩織の会話にはさまれる「沈黙」の意味です。
 たとえば、さきほどの場面と同じ第5回の後半。福岡にいる夫の実家に里帰りする詩織と海(詩織の娘・小学生)が乗る高速バス。そのバスの出発直前に大雅は大急ぎで駆けつけます。そこで交わされるのが次のような会話です。

(大雅)このままいなくなったらどうしようって。
(詩織)嘘みたい。そんなこと言うために、そんなにあわてて走ってきたの?
(大雅)そうだよ。
(大雅)もういいよ。だったらいいんだ。じゃあ、気をつけて。
(詩織)大雅さん、私、帰ってくる。帰ってくるね。

 書き出してみれば、たったこれだけの会話です。しかし、この場面にはとても長い時間が流れます。なぜなら、会話の間には沈黙の長い時間があるからです。
 大雅の「このままいなくなったらどうしようって。」から詩織の「嘘みたい。そんなこと言うために、そんなにあわてて走ってきたの?」の間には、なんと30秒の間が空きます。その間には二人の表情だけが映され、最後の方に、詩織の「ウフフ」という小さな声がはさまれます。さらに、大雅の「そうだよ。」から、同じ大雅の「もういいよ。だったらいいんだ。じゃあ、気をつけて。」までには26秒の間が空きます。

 もちろん、こうした「間」には意味があります。その前のことばが心に沁み、その心を少しずつ動かす時間がこの「間」なのです。こうした「間」の重要性を、このドラマは気づかせてくれました。
 しかし、こうした「間」の重要性を感じるものの、これが今のテレビドラマではきわめて珍しいということも同時に指摘しなければなりません。このドラマは今から7年前のドラマですが、今ではもはやこのようなドラマの作り方が既にできなくなっているかもしれません。
 現在のテレビ視聴者はきわめて短気になっています。そして、そのためにテレビドラマのテンポがとても速くなってきています。そんな中で、上記のような「沈黙」を重視する人物関係の描き方はきわめて難しいと思います。
 珍しく眠れなくて、この『夏の恋は虹色に輝く』を見たために、そんなことをあらためて感じました。



※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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