漆工芸・スクラッチボード画/前田浩利のブログです。

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漆工芸前田浩利《飛騨白川郷。越中五箇山の民家》を描く。

2016年09月15日 | 白川郷今昔物語
ブルーノ・タウト氏
出展/ウイキペデイア辞典



(昭和初年・1926年頃の遠山家) ---写真出典/柳田国男・今和次郎共著「民家図集」緑草会編



京都に滞在中のブルーノ・タウト氏が白川郷を訪れたのは、1934年(昭和9年)でした。
松古孝三さんはブルーノ・タウト氏と通訳1人を伴って京都から白川郷まで同行案内されました。
ここで上記の写真を見てください。昭和初年頃の遠山家の写真です。
「ポッカ」と呼ばれこの地方で日常の生活必需品を運搬する人夫さん5名の立っている道路が
飛騨街道で国道です。俗に7尺道路といわれて、左右2尺は草道で中央の3尺が歩道として歩ける道です。

ブルーノ・タウト氏は、この長い険しい峠道をどのような思いで歩かれたのでしょうか。
京都で桂離宮や金閣、銀閣、西本願寺等、神社仏閣を拝観したあとの飛騨街道への旅になります。
白山連峰の二千米級の険しい山々の連なる峠道です。厳しい風土と共に生き続けてきた合掌民家の
最初の出会い--遠山家を見て“かやぶき屋根が実に美しい、まるで褐色の毛皮そっくりだ”
と、案内の若き松古孝三さんにもらした感慨の言葉でした。松古さんの情熱と献身的な現地紹介
は、この大合掌民家の真姿を正しく世界に伝える礎になったのです。
ブルーノ・タウト氏は、この遠山家の1棟を多角的に調査し長時間研究されたといわれています。
   その後、荻町集落には入られずに京都に戻られました。

  

(ブルーノ・タウト氏の--桂離宮を拝観して--のデッサン帖は、後日公開します。)
--前田浩利・記





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  《遠山家屋根葺替工事》
――昭和50年4月16日~22日まで――
ブルーノ・タウト氏と松古さんがこの遠山家を調査訪問されてから32年後の葺替え工事となりました。(前田浩利・撮影)





遠山家80年目のお化粧---
写真/前田浩利・撮影


《遠山家三代目の屋根葺替え昭和の大修理》
白川郷の合掌民家の構築順序が一目で解る写真です。----伝統の葺替え工事の各部分工法、
縫木と溝梁を太い木のつる(ねそ)で縫い合わせながらの骨格造りです。広くて大きな屋根をこの構造のみで構成
しますが、板や釘1本も使用しません。その後、すのこを全面に引き下部の部分から順次上部に重ね葺きしていきます。
この段階で茅師の技術が問われます。30年持つか100年耐えられるか---の違いです。柳田国男先生は、
「日本人は、生まれぬ孫彦の為を思って苦労します。村で草分けと云い、家でご先祖という人の努力には、よく見れば--その用意--が
正しく有りました」とのべられています。 こうした村落の伝統、風物、風景を今一度再現していきたいと思います。


---前田浩利・記



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ジャンル:
芸術
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