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9条改正の是非-9条、平和ブランドを 捨て去る理由はない-

2007-05-06 07:31:26 | 国内政治
9条、平和ブランドを 捨て去る理由はない

 18.9条改正の是非
■変えることのマイナスが大き過ぎる・改正すると、戦後日本の基本軸があいまいになる

・米国の単独行動主義への、大きな歯止めを失う

・9条は、「国際公益の世話役」としての日本への信頼の基盤になる

 憲法9条を改正し、集団的自衛権の行使などに制約のない普通の軍隊を持つ。改憲論もさまざまだが、最大のポイントはここにあるだろう。さて、日本の戦略として、この改憲はプラスなのかマイナスなのか。損得を吟味してみたい。

 改憲論者が主張する第一のプラスは、憲法と現実との「ねじれ」の解消である。9条で戦力の不保持をうたっているのに、現実には自衛隊が存在する。憲法の条文のままに現実が読めるようにすれば、自衛隊違憲論争に終止符を打てるし、防衛政策をめぐるさまざまな解釈をすっきりできる、というものだ。

 第二に、集団的自衛権の不行使とか、海外での武力不行使といった、9条から導き出された日本の防衛政策の原則をなくせば、米国との同盟をより確かなものにできる、という主張がある。

 第三に、軍を持つことは主権国家として当然の権利なのに、占領軍から9条を「押しつけられた」のだから、それをただす。そんな意見も聞かれる。

 護憲論からすると、こうしたプラスの多くはそのままマイナスに転じる。社説17であげたように、戦後日本がつくりあげてきた「資産」を失うからだ。

 日本が米国の同盟国として、踏み込んで軍事的な役割を担うようになれば、米国がかかわる戦争に直接、関与せざるを得ない事態がでてこよう。それを受け入れる合意が国民の間にあるとはとても思えない。

 自衛隊が普通の軍隊と違うのは、集団的自衛権を行使せず、海外で武力行使しないといった原則を持つからだ。あの戦争への反省に立って打ち出した「不戦の誓い」を具体的に支えるものなのに、それを撤廃すれば、戦後日本の基本軸があいまいになる。周辺国の不安を招き、地域の緊張要因になる恐れがある。

 さらに、社説14で述べたように、9条は強大な同盟国・米国からの過大な要請をかわす盾の役割を果たしてきた。それがなくなった時、米国の政策に際限なく振り回される恐れはないか。

 歯止めや盾の役割は、政治が果たす。民主的に選ばれた国会、内閣がそのときどきの民意に基づいて判断していけばいい、という考え方もある。

 理屈はその通りかもしれない。だが、「外圧」という言葉に象徴される戦後の対米関係を考えた時、政治が本当にその役割を果たせるのか、心もとない。

 イラク派遣の時のことを思い出してほしい。小泉前首相が米国の判断を支持し、自衛隊を送ることまで決断した際、理由の一つとして強調したのが日米同盟だった。つまりは、米国の求めはむげにはできぬということだ。

 陸上自衛隊が無事に戻った時、前首相は胸を張った。戦闘に巻き込まれず、犠牲者も出さなかったと。そのことは良かった。だが、それは9条の原則と何とかつじつまを合わせようと、比較的安全な場所を選び、危険の少ない任務に専念した結果でもあった。

 9条に照らして疑問のある派遣だったが、実は9条に救われていたのだ。それがなければ、開戦の当初から米軍と戦闘正面に立ち、多くの犠牲者を出した英国のようになっていたかもしれない。

 日米同盟の安全装置としての9条のメリットは捨てがたい価値がある。

 そもそも、この60年をかけて培ってきた日本の「平和ブランド」を手放す損失は大きすぎる。日本ほどの経済力を持ちながら、軍事に厳しく一線を画す。このユニークさは国際社会にも知られ、重要なソフトパワーになっている。それを生かしてこそ、「国際公益の世話役」として日本への信頼を築くことができる。

(出所:朝日新聞HP)
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