浦西孝浩の活動日記

活動の記録

命 

2016-10-16 20:02:51 | 福祉

10月15日 16日

オホーツク重症心身障害児(者)を守る会会員のお子さんの葬儀に参列。

行政視察の途中で事務局から電話が入る。

仲間の12歳の本人が亡くなった知らせ。

ウッ。

7月から9月にかけてオホーツク管内の18市町村のうち5市町村を在宅重症児(者)の地域生活に関する要望書を抱えて首長に面談、その生活支援を要望した。

もちろん、亡くなったAちゃんの自治体にも。

 

重い身体と知的の重複障がいを抱えた重症児者の命の時間は

くやしいけど、けっして長くない。

オホーツクでも、この3年のうちに3名が特別支援学校在籍中に亡くなっている。

毎日がエンジンフル回転。そんな具合に体力を使って希望の朝を毎日迎えている。

たぶん、健常者には理解できないかもしれない。

なら末期がん、存命が数年を言われて生きる家族と一緒。と言ったら理解ができるだろうか。

 

通夜の住職の言葉 「人は人に迷惑をかけていきるもの」

その通りとは思う。でも言葉足らず。

その言葉に「人は 互いに と付け加えてほしかった」。

 

障がいを抱えるものは迷惑かけて生きている

障がいを理解し得ない人たちには、そんなふうに聴こえた人、いなかっただろうか?

 

「優性思想」

あの相模原の施設での19名の障害者殺人事件が記憶に新しいだけに

お坊さん、修行たらんな~

 

12歳で逝く

会えば、いつもピュアなほほえみで挨拶してくれたAちゃん。染みわたるようなエネルギーを発する宝石のようなAちゃん。がんばったね。ありがとう。だいじょうぶ。あっちには慶一兄ちゃんが待っているからね。

みんなで、これからの父さんたちの生きる時間を見守っていてね。

おっちゃんも、もう少しだけがんばるから。

と、つい、こんな言葉しか浮かばない。

 

命を全うするという時を迎えた時

何を想い?

 

自分のその時は、どんなだろう?

何もかも中途半端

でも、いつも子どもたちに背中を押されて生きている

高すぎる山かもしれんけど

 山の頂に登るということはどういうことか。

 

死ぬまで進め

休むな

足が動かなくなれば  手で進め 手がだめになったら  指で

指がだめになったら 歯で雪を噛んで進め それもだめなら

目で それも尽きれば 想え ありったけの力で 想え

想え!

 

葬儀に出向く車で見ていたDVD エベレスト 神々の山嶺 ラストに目の前に飛び込んできた遺言に釘付けになった。

生死のはざまで日々の暮らしを紡ぐ重い障害を抱える人たちの存在に感じるエネルギーの発露と共鳴

そう、一番、身近に寄り添う家族が

それを世に伝え、世の在り方を問わなければ

誰がやってくれるの?

 

魂 

SOUL

キミはかぐや姫

今夜は空に時放され

満月と遊ぶ

だね

 

ありがとう

みんな、がんばるよ~

 

 

 

 

 

 

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