浦西孝浩の活動日記

活動の記録

北見市議会12月定例会 質問報告 その1)障がい福祉と手話言語条例制定について

2016-12-11 20:18:32 | 福祉

12月9日(金)質問、最終日の一般質問、トップバッターで46分の質問時間で5点

やらせていただきましたが、ちょっと時間配分を、しっかり調整していなかったために

最後まで伝えられずの大失敗。

反省

 

ですが、

 それでも、誰かに用意してもらうのではなく、政党とも関係なし。

今、自分に飛んできた、そして感じた課題をぶっける機会として、取り組ませていただいてよかったです。

 

で、最初の質問は

 

神奈川県相模原市の障がい者施設での事件を題材に、そういえば北見市長の障害福祉に関する考えを

誰一人、耳にしていない。ならば、この機会に

市民に向かって発信してほしい。

そんな動機でお聞きした。

そのあとには、9月の研修会に参加した手話言語条例の制定を求める市民の集い。

前向きな一歩を示すべきで、質問の一つに。

公明党のゴウダ議員にも、複数でやりましょうと声かけて。

★エピソード

議会、質問初日の夜。質問前の再確認をと原稿を読んでいて、手話の話なのに、もし当事者の人が傍聴に来ても

通訳がいなければ、当事者は蚊帳の外。ありえない~で、22時過ぎに議会事務局長に電話。自分の質問に、その対応、どうだろうか?の相談。

騒ぐわけでもないし、議場内は調整時間も無いので無理。でも、傍聴席でなら。で、実現。

 

物事を進める手順、そんなのわかりきったこと。と言わんでね。

そうやって一つ一つを重ねて、自治体の施策につながるので。

 

で、質問の朝。10時からの本会議前、9時に議会に着けば、すでに北見ろうあ福祉協会の役員さんたちと

手話通訳の人たちが来ていた。挨拶を交わしての本番。

まず、相模原市の障がい者施設の事件について

神奈川県重症児を守る会の会長さんの言葉を引用させていただき、あの事件に対する考え

市長の障害福祉に関する考え方、スタンスを聞かせていただき、そのあとに手話言語条例制定に関する考えと

まずは、障がい福祉施策二連発。

 

それが、以下の原稿で

す。

◆   質問① 障害者福祉の理解を広げる取り組みについて

本年4月、障がい者差別解消法が施行されました。

バリアフリー、ノーマライゼーション、インクルーシブと障がいを抱える人たちの地域生活の環境づくりについて平成26年1月の国連の障害者権利条例の批准に伴い、この年を前後して障がい者虐待禁止法、障がい者総合支援法、障害者優先調達法、そして本年の障がい者差別解消法と、この数年の間に目まぐるしく障がい福祉に関する法整備がなされました。

このように国による障がい福祉に関しての法整備がなされる中において、北海道は千葉県に続き、全国2番目と先駆けて平成22年4月、障がい者条例を施行し、広い北海道、オホーツク地区、そして北見市においても、暮らす地域の障がい福祉に関する課題が一歩一歩と改善の歩みを進めているところです。

 

現在、北見市は合併10年を経て、平成29年度をスタートとする10年間の障害福祉のあらたな指針となる障がい者計画の策定中ですが、

そのさなかの7月に神奈川県相模原市の障がい者施設において入所されていた障害を抱える19名の命が絶たれ、26人が重軽傷を負うという、これまで経験したことのない殺傷事件が起きました。

 

事件から4か月が過ぎ、今、振り返り検証するなかで、障がい福祉を含めた支えあう地域づくりの取り組み、教育の場においては本人への特別支援教育ばかりでなく、北見市民の健常、障がいのわけ隔てないコミュニケーションの必要性など、ともに暮らす市民の障がいへの理解を深め、人間性を育む取り組みを、しっかりと進めていかなければならないとあらためて考えさせられました。

 

今回の事件は健常者と障害者の垣根のない社会をつくる歩みに、大きな衝撃を与える犯罪でした。それは、この北見市に暮らす市民にとっても他人事として受け流すわけにはいかない話です。

最近はヘイトスピーチと呼ばれる、人種、出身国、思想、宗教、性別、そして障害などに基づいて、個人や集団を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動がマスコミ報道などでも話題として目にします。このような世相の中で起きた事件ともいえます。この凶行に及んだ犯人の供述には「世の中の役に立たない障がい者に、国は膨大な税金を使っている。だから障がい者がいなくなればよくなる。親も家族も疲れ果てている。親も障害のある子がいなくなればいいと思っている。職員も毎日、暗い顔で働いている。だから障がい者を抹殺した。」という一方的な優生思想に基づく犯行理由です。

障がいがあってもなくても、人の命の尊さ、重さは、みな同じ大切なものです。親であるなら子どもに対する愛しさは計り知れません。その命を奪うことなど、いかなることがあっても、許されるものではありません。重い重複障がいを抱える重症児者の人たちは、常日頃から命の危機にさらされ、そのたびに多くの人たちによる献身的な看護などにより救われていますが、その一方では、たった一つの命を守ることで、社会に対して、生きる喜びや命の大切さを示してくれています。

働いての経済的な自立はできなくても、人のこころを育む大きな仕事を担ってくれています。今回の犯人の主張が大きく取り上げられることにより、日頃は障害児者に対して、まったく関心を持たない人までもが同調し、それが偏見や差別につながってしまうことはないでしょうか。また、今回の事件では亡くなられた方たちの名前が実名を非公表として、公表されませんでした。犯人の人権やその家族の守秘義務は守られても、亡くなった人たちの人権はこれでいいのでしようか。実名非公表で、生きてきた存在を否定され、亡くなった後も人権がない。何のために生まれて来たのか。

とてもいたたまれない想いが胸に重く、のしかかります。

NHKでは事件後の10月23日、この事件の容疑者の発言「障害者は生きていても仕方ない」が大きな波紋を呼んだことを踏まえ、障害者と健常者がともに生きる社会を実現することの大切さを考える番組を放送しました。

 今、改めて見直されている言葉「この子らを世の光に」を、生んだ、日本の障害者福祉の父、糸賀一雄さん。障害者一人一人が光り輝く存在だということを訴え続けた彼の人生を描いた、2007年に放送された「この子らを世の光に~ともに生きる社会をめざして」の再放送でした。

この子ら  世の光を」ではありません。「この子ら  世の光に」です。 

障がい児者を地域づくりの中心に据える障がい福祉の原点ともいえる言葉です。

 

北見市をオホーツクの中核都市というのであれば、障がい福祉に関する視点で、これからどのような地域づくりをしていかなければならないのか。

前市長の桜田真人さんは子どもを中心としたまちづくりを思い描き、その中には障害児者も含めた誰もが暮らしやすいまちづくりへの思いを示しておりましたが、残念ながら途上に終えることになってしまいました。

それだけに桜田前市長の意思を継ぐと仰っている辻市長には期待するところですが、辻市長は選挙立候補に際して掲げた「笑顔ひろがる 北見に!」の八つの公約のひとつ「支える」には、「高齢者や障がい者をはじめ、地域で暮らす市民の皆様が、生きがいをもって暮らすことのできる地域福祉を推進します」とあります。

また平成28年度の市政執行方針「支えあい、一人ひとりを大切にするまちづくり」においても、障がい福祉に関しては公約と同様の文言の範疇を超えておらず、辻市長の障がい福祉に関する基本姿勢、思い描く障がい福祉のまちづくりの考えについて、ぜひ聴きてみたいと関心をもつ市民は障がい者団体をはじめ多くおります。

 

この事件が投げかけた問題を含めて、障がい福祉に取り組む辻市政の考えをお聞かせください。

 

また、このような事件を目の当たりにして、地域に暮らす障がい者の入所施設、通う施設など利用者の安全・安心の確保に、どのような対応をされたか。また北海道は12月定例議会において、障がい者施設の防犯整備に約3億円を補正予算として計上していますが、北見市にはこの対象となる施設はあるのか?合わせてお聞きします。

 

 

◆ 質問② 手話言語条例の制定について

 

 

 平成26年度、北見市議会も含め全国47都道府県1741市町村議会全てで手話言語法の制定を求める意見書が採択され、その制定を目指して現在、北海道の市町村14市を含めた全国266の市区長が加入する全国手話言語市区長会が設立されております。また北海道を含めた全国36の都道府県知事が加入する手話を広める知事の会も設立され、当事者団体を中心に、身近に暮らす地域にも手話言語条例の制定を求める活動が、全国で広がっています。

 

北見市においても、9月18日に網走管内手話サークル連絡協議会と北見ろうあ福祉協会の共催による手話言語条例制定への理解を広める研修会が、北見芸文ホールで開催されました。会場一杯の市民並びに関係者を前に、公益社団法人北海道ろうあ連盟事務局長より、なぜ、この条例が自治体に必要なのか?との講演がありました。   「手話は言語です。」

平成18年、国連において「手話は言語」という国際的な認識が示され、わが国においても平成23年度の障がい者基本法の改正の中で、

第3条 地域における共生等において、全ての障害者は、可能な限り、言語その他の意思疎通のための、手段について選択の機会が確保される。その言語には、手話も含むと明記されました。

 

聴覚障がい者にとっては、暮らしの中で、社会参加の権利、福祉による支援も、コミュニケーション手段としての言葉に代わる言語手段がなければ、教育や仕事など、地域生活で味わっている差別的対応はいつまでも変わりません。

 

聴覚障害者にとって、手話は命、言語は権利 なのです。

 

手話を言葉として、身近な地域社会に広げるよう手話言語条例の制定を求める当事者、関係者の動きが管内に限らず道内各地でも活発になりました。

 

北見市における聴覚障害を抱えた市民の歴史を振り返ってみますと、昭和46年に身体障害者福祉協会から北見市ろうあ福祉協会へと独立。当時は80名ほどでスタートしたそうですが、その後、今日まで時を重ね、現在は20代の若者から80代まで30名ほどが会員として活動されているそうです。

耳が聞こえない、言葉を発することができない。その「ろうあ」の枠の中にも、障がいの度合いにはそれぞれ違いがあるそうです。中には、片言でもしゃべれることで、耳が聞こえていると思われたり、会話ができると思われてしまい、誤解に基づく不快な関係をつくった経験をされた方もいるそうです。

そんな聴覚障害を抱える市民にとって忘れることのできない災害がありました。平成19年大雨に伴う浄水場の止水による長期間の断水。ライフラインが途切れた時、耳が聴こえない障害は情報の収集が容易にできず、家族がいない当事者の皆さんは、本当に不安だったそうです。

また今年の8月、3つの台風が北見市を通過した時にも市内・小町川の増水による避難勧告が出されても、災害メールを読んでも、どう対処していいのか?と不安が募ったともお聞きしました。

 

どうすれば、耳の聞こえないコミュニケーションが難しい人たちの、安全、安心な地域生活が成り立つのか。障がいを補う手話が、会話の手段として地域社会の中で、普通に対応できるようになれば困らないはずです。

 

北海道内においても石狩市、鹿追町など手話言語条例を制定し、地域づくりに取り組んでいる自治体は、でに8つほど誕生しています。北見市に人口規模が比較的近い釧路市、苫小牧市、帯広市、小樽市、千歳市、などでも条例の制定に向けて、今、具体的に動いていると伺っています。

 

人口12万人の北見市において、聴覚障害による障害者手帳を所持する市民は何名ほどいるのか、まず、お尋ねします。

 

北見ろうあ福祉協会の資料によれば、手話でコミュニケーションができる市民は約250名ほどで、条例制定により手話普及を加速させ、人口の1%、1200

人の手話通訳者の育成を目標にしていると伺いました。

 

手話による会話が、身近に暮らす地域で普通にできるようになれば、どれだけ生活が明るく変わることでしょうか。そんな想いで9月、手話言語条例の制定への理解を求める研修会の開催でした。

 

聴覚障がい者にとって自分の考え、気持ちを表し人とコミュニケーションを図る一番の方法が手話です。

 

北見ろうあ福祉協会のみなさんは、地域生活のためにボランティア支援を受けながら、その一方では、手話への理解を広げる人材育成のためにと、藤女子高校や福祉専科の置戸高校、市内の中学校などへ出向き、未来を担う子どもたちに、手話で人と会話することが、どれだけ意味深いものなのか。学校の総合学習授業において伝えたる活動をしています。さらには病院の職員を対象とする手話指導や北見市が主催する手話講座で講師を務めるなど、会員のみならず同じ立場の当事者、次の世代が、分け隔てなく地域で暮らせるようにと、地道に理解を広める活動を行っています。しかし当事者による活動の継続だけでは、今の状況を変えていくことはできません。

 

2歳の時に熱病にかかり、聴力と視力を失いながらも教育家、社会福祉活動家、作家としてノーベル賞を受賞したヘレンケラーの言葉の一つに「目が見えないことは人とモノを切り離す。耳が聞こえないことは、人と人を、切り離す」があります。

 

手話とは人と人をつなぐ大切な社会参加のツールです。

手話普及でろう者が暮らしやすい社会をつくる取り組みが、今、北見市に求められています。

北見市は市民協働のまちづくり条例をつくった街です。市民の想いに応える地域づくりに、協働で積極的に取り組むための指針となる「手話言語条例」の制定に、速やかに取り組むべき思いますが、北見市の考えをお聞かせくいださい。

 

 

◆   再質問) 

まず、手話言語条例の制定について、再質問させていただきます。

 「手話以外のコミュニケーションツールにより意思伝達を行っている人もいるので、北海道、他都市の状況を踏まえ、調査、研究を行う」との答弁を、いただきました。 どう受け止めたらいいのでしょうか?

国連の障害者権利条約に批准した我が国です。その国連が手話は言語として位置付け、わが国の障害者基本法も手話は言語に含むと明記していることを先ほど質問の中で紹介しました。

 だから法に基づいて、全国の、道内の、自治体においても手話言語条例の制定に取り組む自治体が増えてきているのです。

 

手話以外のコミュニケーションツールにより意思伝達を行っている人たちもいる。との答弁でしたが、

では、今、手話言語条例以外にコミュニケーションのための「条例制定」を求めている市民は、今、北見市にいるのでしょうか? 

私は知りません。いたら教えていただきたい。

どんな調査、研究をするつもりなのでしょうか?手話言語条例以外の条例制定を求めている町を探すということですか?

 

辻市長が公約、今年度の市政執行方針での障害福祉に関する取り組む姿勢の言葉。もう一度、紹介します。「高齢者や障がい者をはじめ、地域で暮らす市民の皆様が、生きがいをもって暮らすことのできる地域福祉を推進します」です。

 

私は障がい者差別解消の条例の制定に取り組んでいる自治体があることは知っています。

しかし、まだ、その域まで北見市の障がい者、関係者の声は高まっていません。 

であればこそ、今、取り組めること。地域から差別を無くす協働のまちづくりを進める具体的な一歩として、手話言語条例の制定を進めていくことは、北見市の障害福祉のまちづくりを進めるうえで、大きな意義があることだと考えます。

もう一度、考えをお聞きします。

 

◆   再々質問)

最後になりますが、障がい福祉の理解を広める取り組みについて、意見を申

し上げます。

先ほどの答弁は、北見市の障害福祉計画など枕言葉として並べるような答弁でした。とても市民のこころに響くものとは私には思えません。

 

そこで相模原市障害者殺傷事件を踏まえて、お伝えしたいコメントがあります。

来年2月に障がい者団体が差別解消法の施行一年を迎えるにあたって取り組む映画の上映会が予定されています。

その映画、生きることを通して命の尊厳を伝えるドキュメント映画「風が生きよという」に主役の一人として登場し、筋萎縮性索硬化症(きんいしゅくせいさくこうかしょう/ALS)の難病を抱えながら全国各地の映画上映会に作品とともに講演に出向いている、北見市民・渡部哲也さんの声を紹介させていただきます。

 

 この卑劣な事件がTVやマスコミでは、容疑者がいかに異常で残忍であるか!

特殊な思想の持ち主で有るかが報道されていますが、その報道姿勢は彼の特殊性の問題として片付けてしまおうと、事件の本質を避けてはいないでしょうか。 

彼のいう「障害者はいなくなればいい」という思想は、今の社会で想像も出来ない、おかしなことでしょうか? 今の社会では胎児に障害があるとわかれば中絶を選択したり、障害があるという理由で学校や社会・お店や公共交通機関など、至る場所で存在することを拒まれることが現実にあります。

 

 そして重度障害になれば尊厳を持って生きることは許されず、尊厳を持って死ぬ事だけを許可する法律が、今、作られようとしている社会なのです。

 

 そんな社会の中で生きる彼が「障害者はいなくなればいい」という差別思想を持ってしまったのは、ある意味不思議な事ではないと思います。

 障害者が生まれる事、 地域社会で当たり前に暮らすことが、 阻害されない社会を作ることが、 本当の意味での問題解決ではないでしょうか。

 

 報道では「弱者」という言葉を何回も耳にしました。今の社会では障害者が「弱者」と言われる事に、何の違和感も持たず、それに賛同し「弱者を狙った卑劣な事件」という思いだけが、印象に残っている気がします。

 そうではなく、障害者への認識が「弱者」という位置づけから、人格を持つ1人の人間だ。と、いう社会全体の意識が必要だと思います。

 現在、この事件の起こった津久井やまゆり園では、保護者が施設の大幅改修を要望しています。

大幅な改修をして施設を立て直すことが解決ではなく、地域で暮らしていけずに、施設に収容することしかできない社会の仕組みが問題です。

 

 今、この問題を「可哀想な事件」「犯人の特殊性の問題」。と片付けてしまったら、この先も同じような事件が起こるでしょう。

同じ日本で起こった事件だけど自分の住んでいる地域ではないからと、他人事のように報道を見ていた人も大勢いると思います。そうではなく社会で、地域で、誰もが暮らしやすい場所を作ること、命は全ての人が平等でなくてはならないということを考え、暮らしやすい地域を作っていくことが必要だと感じています。              

北見自立支援センター 渡部哲也

 

 

私は、そんな北見市を、市民のみなさんと一緒に創りたい。

 

この赤い字の部分は、質問時間がタイムアウトで伝えられず。

大失敗で反省です。

 

でも、ね。

質問を終えて、傍聴席で手話通訳を通じて質問のやり取りを受けとめてくれていた聴覚障害のみなさんと

顔を合わせて、これからを確認。一人が握手を求めてくれて、うれしかったです。

車いすのおばちゃんも、あんたの質問、涙がでたわ。声出して泣きそうになったと。

 

部屋に戻れば、名前は出せないある人が、質問を聴いていて、気持ちが熱くなりました。

これから、がんばりましょうと握手。

 

なんだろね。

ぼくの背中に宿る息子の慶一をはじめ、出会った子どもたち

はやちゃん、はるかちゃん、ちからくん、あいかちゃん、

二十歳を迎えることなく亡くなったみんなが、ぼくの背中を押す

支えてくれる

 

不思議だな~

そんなことを体験した質問でした。

 

 

 


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