うらうら楽しい日

花々楽しい日の妹ブログです。
トイプードル☆アンディ&チェリーの育児日記でもあります

追悼(母の過去記事のまとめ)

2015-02-02 | 母のこと

私の母は、私なんて足元にも及ばないくらいの
ハンドメイダーでした

幼少の頃から、私の服は母の手作り
リカちゃんの服から傘などの小物まで母の手作り
「ロンパールーム」や「おかあさんといっしょ」で使われていたおもちゃがほしいと言えば
家にあるもので似たようなものを母が手作り
幼稚園に寄贈したぬいぐるみは数知れず

ドライイーストなどがない時代からパンを焼き
デラックスなケーキを焼き(ピンク色のクリームの薔薇の花の飾りなどがついていました)
マドレーヌにシュークリームにキャラメルも手作り
籐でできた籠や籐製の各種小物入れ 
 畳くらいの大きさのパネルに貼ったフランス刺繍の大作
アートフラワーで豪華な花を作り 油絵を描き トールペイントをし・・・

「どんだけ器用なんだ?」という疑問さえも起きないくらい
ありとあらゆるハンドメイドで行きつくところまで行っては
次へ次へと移っていました

私が中学生の時はお人形の先生でした
布製のお人形を作ったら友達から「教えてほしい」と言われ
ちょっと教えてみたらクチコミで広がり
芋づる式に生徒さんが増え
火曜と木曜は私が学校から帰ると
生徒さんとお土産のお菓子で部屋がいっぱいでした

ご近所に住んでいた宝塚スターさんのお母様も
母の人形教室の生徒さんで
その方経由で母の人形はたくさんのタカラジェンヌの元へも
嫁いで行きました

でも ある日「もうやめるわ」と言ったかと思うと
人形教室をフェードアウト
今度は自分で作りたい人形を作ることに没頭し始めました

過去に1度だけ有名な雑誌のハンドメイド大賞に応募したことがあるのですが
その時「ファインワーク賞」をいただいたのがこの子です
※ 人形教室で教えていたのはこのタイプの人形ではありません


ほとんどの人形は嫁いでしまっていますが
この子を含め数人だけが
今も実家の母の部屋で座っています

 


ベルト部分はグログランのリボンにお花の刺繍をしたもの
チロリアンテープじゃないところが母らしい(笑)

 


靴にも刺繍
靴下もペチコートも帽子もアクセサリーも
全部母が作っています

 


目もまつ毛も唇も・・・

これらのお人形は昔からずっと家にいましたが
自分がハンドメイドにはまった今見ると
改めてその凄さがわかります

この後、母は更に進化します

ジュモーやブリュといったヨーロッパのビスクドールに憧れ
クラフト用の粘土で顔や手足を作る人形の制作に打ち込み始めました

その頃作った人形も少しだけ残っています
(欲しいと言った方にどんどんあげていたので、ほとんど残っていないのです)

 


ガラス製の目と、カールした髪の毛は買ったものですが
ほかはすべて母が作っています


最初は次々と新しい人形が生まれていましたが
そのうち「違う!バランスが悪い!」と
顔を作っては壊し 作っては壊し・・・

そのうち、作ることをやめてしまいました


先日実家へ行った時
「作りかけのお人形をそのまま取ってあるんだけど
あんたが続きを作ってみない?」と言われました

箱を開けると・・・

作りかけの顔 そして手足

これを私にどうしろと言うのでしょうか?

あまりにもすご過ぎて・・・
「無理」としか言えませんでした

2010 3.14 記

 

人形は作るだけでなく、油絵でも描いていました


この頃母は油絵を習っていましたが
先生(洋画家)とは作風が違ったので
教室で描いてくる絵(主に静物画)と、家で自由に描く人形の絵は
まったく別物でした

後にトールペイントを習ってからは、アクリル絵具で描くようになりました
お人形の絵は今でも(実家に)いっぱいあります
トイレにも飾られています(笑)

2010.4.21 記

 

母の手編み






どんな精神状態でこれらを編み続けていたのか
私にはさっぱりわかりませんが
私がOL時代、会社から帰ってくると
確実に猛スピードで編み進められていました
手編み経験者の方ならわかると思いますが
横に糸を切り替えるのって、大変ですよね
これだけ入り組んでいると・・・

2010.4.17 記

 

母の刺繍

これは私が関西に住んでいた時に(25歳まで関西在住)
応接間のアップライトピアノの上に飾られていたものです
大きなパネルに貼られていたのですが
引っ越しの際に、母がザクザクと切り取ったのでしょう(笑)

母によると「大阪万博(1970年)のどこかの国のパビリオンの壁画を参考にして刺繍した」そうです
ということは、少なくとも「どこを何のステッチで縫うか」などは
オリジナルということになるのですよね
ちょっと信じられませんが・・・


寄って写真を撮ってみました

不思議な形の花
刺繍糸のグラデーションがとてもきれい



40年近く前の作品なので、スパンコールが取れていたり
刺繍糸がちぎれていたりしていますが
それでも、丁寧な手仕事がよくわかります



フレンチノットがいっぱい
右側↑の網目のようなのは・・・



袖の部分です
刺繍の上に刺繍糸を編んだものをかぶせているみたいです
すごいなぁ・・・



左の女の子(妹かな?)



右の女の子(お姉さんかな?)


そして

このきらびやかな衣装を着ているのが



お母様かな?



お母様のおカバンも
なんだかすごい技が使われているような気がします



どの国のパビリオンの壁画なのか?
それをどうやってこのような図案に起こし、刺繍に再現したのか?
今となっては謎ですが(母は覚えていないと思うので)
自分がハンドメイドをするようになった今
作品としてじっくり見てみると、その凄さに改めて驚嘆しました

2010.5.16 記

 

カーネーションの時代
先日偶然テレビで見た番組
歴史秘話ヒストリア「”カワイイ”に恋して~中原淳一と"カーネーション"の時代」→
普段は「ながら族」の私が、この番組は珍しく集中して見てしまいました
過去に何回か書いたことがありますが
私の母は私なんて足元にも及ばないくらいのハンドメイダーで
興味を持ったことはとことん追求するタイプ
その母が「尊敬する人も、ライバルも、中原淳一さんだけ」と申していました

そんな母から「これはあんたが持っておいた方がいい」と
押しつけられるように渡された画集があります

中原淳一画集
「何で私が…」と思いながらもとりあえず保管していました

母は1933年生まれ
糸子よりはずいぶん若いけれど、しっかりカーネーション世代です
その当時に熱狂して読んでいた本が


「それいゆ」だったそうです
本は捨てられなかったので全部友達に預けたそうですが
それから50年以上も経っているので
もう所有権も何もないですね(笑)


当時、中原淳一さんの書いた記事は
少女たちを熱狂させたそうです


髪の結い方が図解されていたり


ちょっとしたハンドメイドも興味を引きそう


昭和ならではのアイデアですね

こういう時代に手作りに熱中していた母は
ネットで色々な資材が買えてしまう現代にはない楽しみ方で
あれこれ作っていたんだろうなぁと思いました

2012.2.18 記


2015年2月1日 母(彩子)永眠



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9 コメント

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Unknown (iruka)
2015-02-02 22:53:08
たまたまお邪魔しました
すばらしい作品ですね
プロで報酬を得ていたわけではないのですよね
ともかくも
すばらしい作品に一言いいたくてコメント残します
ちなみに私はそこそこ器用で
編み物も自分で図案作成して作りました
絵も得意でした(単に器用なだけですが
その程度の人間がみてもすばらしいです
才能のあるひとっているのですね
改めて・・・ (みなみ)
2015-02-03 00:15:22
過去記事を読み返して、お母様のお話を思い出しています。。。

す・ご・い・としか言えない方でしたよね。
お話も面白くて。

緑の帽子の「彩乃ちゃん」に
今日改めて話しかけました。

おじいくんのご様子も心配です。
Unknown (アトリエn)
2015-02-03 11:17:57
カナカナさんのお母様はこのブログでしか知りませんが、
なぜかとても気になる存在でした。
人間力というか、器の大きさをすごく感じます。
お母様ほんとうにお綺麗で最後の最後まで素晴らしい人でしたね。
ずっとこっそりとこのブログを拝見していて、コメントするタイミングを逃していましたが
先日のお母様のお話ではじめてコメントさせていただいたことを思い出しています。
そして2月1日は長年一緒に暮らした愛猫の命日です。
不思議な御縁とお導きに心より感謝申し上げます。
コメントありがとうございます (◆kana2)
2015-02-05 15:19:29
★irukaさん
はじめまして!
コメントを残してくださりありがとうございます
偶然見つけてくださり、このように言っていただけて
本当にうれしいです
母の才能は、ほんと今の時代だったら…って思いますよ
irukaさんは今の時代なので、チャンスがあれば
是非つかんでくださいね
ありがとうございました

★みなみさんへ
彩乃ちゃんのこと
今思えばものすごいご縁だったんですね
みなみさんはまだ病気になる前の母と話してくださっているので、本当にありがたいです
温かいお言葉ありがとうございます
彩乃ちゃんによろしくね(笑)

★naokoさんへ
命日が一緒って、なんかすごくご縁がありますね
私の友達で、母のことを本当のお母さんみたいって慕っていた子(仁川の雨女さん・笑)の誕生日っていうのも後から知って、ものすごく驚きました
今後、母の命日が来るたびにnaokoさんのことも思い出すと思います
やさしいお言葉ありがとうございました
Unknown (Eva Lotta)
2015-02-05 21:31:57
突然のことで、言葉もありません。
私も、お母様の記事がきっかけでkana2さんとご縁がつながった一人です。
たくさんの方に慕われていたお母様、その魅力は間違いなくkana2さんにも引き継がれていると思いますよ。
ご冥福を祈りいたします。
法事 (小紋)
2015-02-06 08:38:34
三回忌の法事が 終わったばかりです。
お悔やみ申し上げます。
市井の 普通の人の凄さを思っています。
安らかに (衣川雅子)
2015-02-07 10:03:28
驚きました。電話でお話ししたのはいつだったでしょうか。お母様の電話番号も教えていただいてまた電話頂戴と言っていただいていたのにそのままになって。その時はとてもパワフルな感じでしたのに。私が知っていたころは岸恵子に似た華やかなきれいな方で凛として、お父様とお似合いだといつもうらやましく思っていました。なんでもおできになって。お母様があなたに元気でいてくれたらと願っておられたこと、とてもよくわかります。ほかに望むことはなかったでしょうに、カナカナさんは十分できることがあって、さすがお母様の血を引いておられます。お父様お寂しくなりますね。どうぞ大切になさってあげてください。お母様のご冥福お祈りいたします。
コメントありがとうございました (◆kana2)
2015-02-07 12:08:17
★EvaLottaさん
ありがとうございます。
とてもとても母にはかないませんが
彼女の血が流れていることに誇りを持って
生きていきたいと思っています
母の作品を見てくれてありがとう
きっと喜んでいますよ(笑)

★小紋さん
ありがとうございます
小紋さんも十分すぎるほどすごい方ですよ
あの出産話にはたまげましたし(笑)
AB型仲間として通ずるところがあります ふふふ
衣川雅子さん (◆kana2)
2015-02-07 13:49:36
コメントありがとうございます
母の若い時を知ってくださっている方の
こういうお話は、娘にとっても本当に本当にうれしいです
高槻の家に遊びに来てくださった時の写真を
先日見入っていました(笑)
皆さんにお庭で遊んでいただいて、
すごく楽しそうな写真でした
若かりし頃の母もいっぱい笑っていました
頂いたコメントを部分的に次の記事の載せさせていただきました
ありがとうございました

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