そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月29日(火)新説『徒然草』の謎々歌

2014年04月29日 | 公開

  昨日の修士演習で、外国人参加者のために変体仮名と字母、そして仮名遣いの話をしたが、定家仮名遣いでは「男「は「おとこ」と表記する(歴史的仮名遣いでは「をとこ」)。ところが藤原定家筆『土佐日記』(尊経閣文庫所蔵)の冒頭は「乎とこ…」ではじまるわけで、ここで定家は「乎」を低アクセントの「vo」で使用しているというのが、日本語音韻学者である同居人の説なのだ。つまり定家筆『土佐日記』の冒頭は、定家の意識では「おとこ…」と翻字すべきで、「をとこ…」としてはならぬということになる。「お」は「於」字母の仮名しかなかったのを、紀貫之自筆『土佐日記』を披見して「乎」もこれに加えることにしたという、まことにドラマチックは話なのである。私は日本語学者としての同居人を、深く尊敬している。本当に結婚してよかった。家に日本語学者が1人居ると、まことに便利この上ない。

  本日は2人とも授業が無く、自宅でぶらぶら、女子大の講演会企画書の手直しを手伝ったりしながら、夫婦の会話を交わしていた。その時、『徒然草』第62段の謎々歌の「牛のつの文字」を、Eちゃんも最近の著書で「い」だと書いているけれど、私は絶対「ひ」だと考える、どう思う?と尋ねられた。

  「ふたつ文字 牛のつの文字 すぐな文字 ゆがみ文字とぞ 君は覚ゆる」の歌である。延政門院が幼少の頃、父後嵯峨院へ送った歌で、「ふたつ文字」は「こ(己)」、「すぐな文字」は「し(之)」、「ゆがみ文字」は「く(久)」であることに異論はない。問題の「牛のつの文字」だが、通常「い(以)」を当てる説が有力である。しかし、そうすると「こいしく」と、中世の標準的な表記法から言っておかしな仮名遣いとなる。延政門院が「いときなくおはしましける時」なのだから…という理由も分からんでもない。しかし、一応はきちんとした和歌の形になっている。和歌にイレギュラーなものは、まず入り込みにくいのだ。

  同居人の新説は、「日」字母の変体仮名を「牛のつの文字」と言っているというもの。なるほど! 「日」字母の「hi」は、極端に崩していけば、左右にシャープな縦線が二つ並ぶことになり、「牛の角」に相応しい。「以」字母の「i」、「八」字母の「ha」とは、相互に相似した形となるが…。

  たいへんな慧眼だと思う。我々は現行の仮名字体で物事を考えがちだ。だが、前近代の資料を取り扱う者に、くずし字・変体仮名表記への想像力は必須である。「己日之久」、翻字すれば「こひしく」と考えれば、すべてが釈然とする。

  面白いから論文を書いたらと勧めたが、これだけだとまあエッセイのネタくらいにしかならないかな。う~ん、残念だな。そこで、ここに記して、同居人のプライオリティを宣揚しておく次第だ。「牛のつの文字」を「日」字母変体仮名と解く説は、以前にあるのだろうか? ご存知の方があれば、ご教示を乞う次第だ。


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