そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月9日(金)松江人のお世話は

2016年12月09日 | 公開

  生粋の松江人を、とりがなく東の国に連れ来ったので、なにかと気を遣う。なにしろ東国は、醬油は一種類しか使わないし、烏賊の刺身は白いし、自分が40数年前に上京して受けたカルチャーショックを、今さらながら思い出してみる。布団袋と、二月堂と、茶盌茶筅茶杓を携えて、西新宿の三畳一間の下宿に入ったら、周囲に棲んでいるのは、やくざとホステスだらけだった、という始末だった。(-_-;)

  近所の魚屋に、宍道湖産の蜆を売っていた。味噌汁に仕立てて供すると、どこの蜆?と尋ねられた。宍道湖と答えると、ウソ!と信じない。ネットについていたラベルを見せる。Mサイズは、常食していたものよりかなり小さく、まさかこれ以下のものは出荷しまいという感じではある。出荷元は出雲市の業者であり、ふん、だから味が違うんだ…と仰せになる。宍道湖は汽水湖なので、蜆もとれる場所によって、微妙に味が違うものらしい。砂地の蜆と、泥の蜆は、殻の色から違うとは知っておったが、やはり松江沖?の蜆でないと、ダメなのだろうか? いやはや、やっかいな生き物を背負い込んだものである。

  朝食が終わると、お薄を点てなければならない。毎日のことなので、同じ茶盌というわけにはいかず、松江から老母と一緒に、出雲焼の手のよいものを二つ、かっぱらって?来たのは、当然お気に召す。しかし、拙宅で常用する、若い作家さんの、せいぜい5万程度の新作茶盌については、高台の下の重心がちょっと重すぎてダメだとか、やたらケチをつけるので、ムカッとする。同じ作家さんの、トヽヤ茶盌については、これはよいと言ってくれたが。

  私自身の味付けのルーツは、当然母の手料理だから、そのあたりの着地点については、あまり文句はない様子だ。

  さて、花札演習は、受講者が少ないので、学期末までの発表スケジュールを固定してしまった。余裕があり、懇親会補助も出るので、一度授業時間に近所の喫茶店に行こうという相談もまとめた。それで、研究室に戻って確認すると、1回修士論文の口述試験日と重なっているのに気が付いた。事務所に確認すると、学部の授業は無いそうで、あれあれ、また調整せにゃならんぞ。まあ、しかし、受講生の少ない授業は、どうにでもなるわいな。

  夕食はチーズ・フェンデュにする手筈だったので、わざわざ「メゾン・カイザー」まで歩い行って、焼き立てのバゲットを買った。そのまま帰宅し、下準備をしておったら、荊妻の帰宅がやや遅くなるとの連絡。19:00少し過ぎに帰ってきたが、老母は、19:00を過ぎるとものが食べられないと、ぶつぶつ文句を言い出す始末。それでも、専用の串にあれこれ刺して、チーズをからめてお召し上がりあそばした。姑殿も降りてきていただき、四人で食卓を囲んだが、要するに、会話というものが、食事のもうひとつの大きな要素であると、つくづく思った次第。

 

 

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