湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

興福寺の謎・・・奈良の旅2017

2017-06-09 18:43:09 | Weblog
奈良の旅の目的は「快慶展」を観ることでした
それは、すでに、お話ししています
実は、もう一つ目的があったのです
興福寺を観ることです

私は、ずっと、戦国時代の事を考えていて
戦国時代の発端となった応仁の乱を調べてみたのでした
そして、興福寺が奈良の中心であったことを知ったのです
奈良は、武士ではなく、興福寺が治めていたのです
私は、驚くとド同時に、大変、興味を持ったのです

「ならば、実際に、興福寺を観てこよう」

というわけです

結論から言えば
興福寺は、奈良公園の一部となっていて
寺という体裁を維持していません
公園の中に、五重塔など、いくつかの建物が残っているだけです
なんと、私が宿泊した”奈良ホテル”は
もともと、興福寺の敷地だったところに建っているのです

これは、どういうことでしょう?

興福寺は、明治維新の時に、解体されてしまったのです!
五重塔も、焼却されるところを
地元の反対で、何とか残されたのです
仏像の多くも破壊されたらしく
”阿修羅像”が残ったのは奇跡的なことかもしれません

私は”興福寺の謎”という
新たなテーマに頭が占領されてしまいそうです
いずれ、なんとかせねばならないでしょう
興福寺は、何故、破壊されたのか?
コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-06-09 19:37:44
また考察する事案が見つかりましたね。

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