湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

「唐入り」への秀吉の誤解・・・歴史の考察

2017-03-15 14:35:48 | Weblog
豊臣秀吉の「朝鮮征伐」は、古来、謎でした
何で、突然、あんなバカなことをしたのか?
耄碌、発狂、誇大妄想・・・まともに論じられてきませんでした

この謎に対する私の答は

”信長の遺志”

です

秀吉は、信長の意向に従って生きてきたのです
徳川家康とは、違った意味で
豊臣秀吉は”織田信長教信者”だったからです
秀吉にとっても、家康にとっても、織田信長は”教祖”でした
その教えに忠実に従うのが、信者としての当然の生き方だったのです
ただし、信長自身には、教祖なんていう意識はありませんから
彼らは、自発的追随者だったわけです

豊臣秀吉による「朝鮮征伐」は
信長の「唐入り」を秀吉的に解釈したものでした
そして、これが大きな間違いだったわけです

信長の「唐入り」は、あくまでシナ大陸進出のことでした
武力による制圧の意味はありませんでした
具体的には、東シナ海に面した貿易港を持つことでした
したがって、朝鮮経由で、陸路で征服することなど、考えていません
通商拠点を作り、通商航路を守る艦隊を持つことが、当面の目標でした

「唐入り」の詳細を
織田信長は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に話していませんでした
まだ、その時ではなかったからです
ただし、外洋性の装甲甲板を持つ軍艦の建造は始めていましたし
外洋航海のノウハウを教えるように、南蛮人に要請してもいました
信長は、戦争はなるべく避け
通商路の確保を優先して考えていたのでした

何も知らされていない豊臣秀吉は
「唐入り」を日本国内での領地獲得と同じ発想でやりました
従わなければ、屈服させるという方法で
地続きに攻略していくつもりだったのです

織田信長が考えていたのは
あくまで、通商拠点と通商航路の確保です
それによって、全世界を相手の、独自外交を展開するためです
やがて大英帝国が行う、海上権力による世界支配の構想を
信長は、この時代に。すでに持っていたのでした

世界制覇を構想する織田信長にとっては
陸地伝いの軍事的征服は、自陣営の損耗が大きく
しかも、占領地に遺恨を残すため
はじめから、極力避けるべき手段だったはずなのです・・・

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-03-15 19:40:16
極力戦わずして世界制覇ですね。
Unknown (Unknown)
2017-03-15 22:34:06
いつの世も、思いを伝えるのは難しいですね。

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