湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

東大受験・・・数学は”言語”

2016-10-22 17:48:31 | Weblog
東大を受けることにしても
これは遊びのようなものであり
私の志望が医学部であることに変わりはありませんでした

何故、私が医師になることにこだわったかと言えば
当時の経済情勢の変化により
それまで露地野菜中心の我が家の収入が減り
家計が切迫してきたことがります
今から思えば、それほど心配することは無かったのですが
子供の私は、親を助け、家を守りたかったのです

医師になることには
人の役に立ちたいという若者らしい理想主義もありました
とにかく、頭で理想を作り上げてしまい
自分自身が、それに縛られてしまったのです
私の意識下では、望まぬ進路に、強烈な反発が生じていました

私は、相変わらず、勉強もせず、家でぶらぶらしていました
心配した友人が、予備校の講習のパンフレットを送ってくれました
それでも、結局。私は予備校にも行かず
模試を受けたことも、一度きりしかありませんでした

東大受験のことは、今でも憶えています
1次試験の日は、早朝、藤沢から東海道線で東京駅に向かい
丸の内口に出て、タクシーに乗り

「東大正門」

と、運転手さんに言いました

運転手さんからは

「東大を出れば将来は安心ですね」

というような意味のことを言われた記憶があります

東大正門から入って
安田講堂に向かって左側に法文1号館があり
そこが私の試験会場でした

全科目マークシート式の東大1次試験は
現在の共通1次試験の原型とも言うべきものでした
この1次試験には、なんとか合格しました
2次試験は駒場が試験会場でした

朝の殺人的混雑の小田急線で下北沢まで行き
そこから井の頭線に乗り換えて駒場東大前まで行ったわけですが
自宅浪人生活で、すっかり弱った私の心と体には厳しいものでした
途中下車したくなったほどでした
駒場東大前駅に着いた時は、ほっとしたのを憶えています

頭がボーッとした状態で受けた東大2次試験でした
他の科目の時はともかく、数学の時が最悪でした
頭に血が上ってしまい、4問中2問しか答案が書けませんでした
その当時は、50%の正解率なら合格できるのが東大理科2類です
正解なら、2問だけでも合格の可能性がありました
しかし、私は、2問とも致命的ミスを犯していました

2次試験は不合格でした
その最大の原因が数学にあったことは確かです







コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-10-22 19:25:50
結果はどうであれ親や家の為の進路選択立派です。
Unknown (Unknown)
2016-10-23 18:31:38
東大2次まで行くことさえ素晴らしいです。

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