湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

織田信長の民政・・・歴史の考察

2016-07-01 18:36:34 | Weblog
「本能寺の変」について考え続けてきました
すると、どうしても、織田信長について、考えてしまいます
「本能寺の変」の意味を考えることは
必然的に、織田信長について考えることになるからです

彼は、一体、何者だったのか?

何も資料は見ず
私の知っている織田信長について述べます

信長は

「兵農分離」

をやりました
それまでの武士は農地の管理人でした
貧しい武士は、自分でも農作業をしました
田植えや稲刈りなど、農繁期には戦はできませんでした
号令をかけても、招集には時間がかかりました
そこで、信長は、戦闘員は城下に住まわせました
兵士と農民を分けたのです

「城下町の形成」

です

こうして、戦となれば、すぐに動ける戦闘集団ができたのです
機動力のある戦闘集団は、敵の機先を制することができました
さらに、いつも同じ城下に住まうことで
家臣団は、お互いの心理的つながりも強くなりました
農民は農業に徹することで、農業生産性も向上したはずです

城下町が形成されると、そこで信長は

「楽市楽座」

を実施します

「市」や「座」と呼ばれる
同業者集団による商取引の独占を廃止し
だれもが自由に参加できる開かれた商取引の制度にしたのです
これによって、信長の所領には人が集まり
商業が繁栄するようになりました

こうして豊かになった信長の所領は
百姓一揆などの民衆暴動が減っていきます
戦国時代は「一揆」が猛威を振るい、武士を圧倒するほどでした
それを信長は、武力だけでなく、経済政策によっても
抑えることに成功したのでした






ジャンル:
ウェブログ
コメント (3)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« あの日の朝、日本が変わった... | トップ | 信長の戦略と戦術・・・歴史... »
最近の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2016-07-01 19:50:27
分業と自由経済の始まりでしょうか?
Unknown (Unknown)
2016-07-01 21:05:44
政治家としての信長も優秀だったのですね。
Unknown (Unknown)
2016-07-01 22:06:20
信長は武士と言うより経済学者や政治家のような

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事