湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

織田信長と戦国時代への興味・・・歴史の考察

2016-07-07 18:45:48 | Weblog
私の「本能寺の変」への考察は、ひとまず終わりです
私を悩ました問題の一端に、皆さんも触れられたわけです
私が悩み、苦しんだことを
少しだけ、ご理解いただけたかと思います

このところ、戦国時代について考えることが楽しいです
従来、私達が当たり前だと考えていたことが
実際には、そうでもないということ
合理的に考えていくと
あり得ないことや信じがたいことが多いと気付きました

信長に関しても、興味が尽きません
彼がなしたことの偉大さは
歴史的事実として、なんとなく受け入れてしまいますが
とてつもないことであると思うようになりました

たとえば「清洲同盟」です

織田信長と徳川家康の20年にわたる同盟関係
あの二人は、そもそも先々代の頃から
濃尾平野の覇権を争う仇敵同士です
戦国時代の常識では、あり得ない同盟なのです
この同盟は、結局、信長の死まで、破られることはありませんでした

「清洲同盟」が無ければ
織田と徳川の関係は、武田と上杉の関係のようなものになり
結局は、どちらも
天下取りゲームからは脱落してしまったかもしれません

そもそも

「天下統一」

という概念が希有です
織田信長以外の武将には「天下統一」などという発想は無かったでしょう

小田原の北条氏は、その気になれば
「天下統一」に一番近い位置にいました
初代北条早雲の様な英傑が現れれば、それはできたでしょう
早雲の後継者達は、北条五代の平和ボケにより
外部世界が見えなくなってしまいました

北条五代の平和は、小田原を日本一の都市にし
戦乱に荒れた京から移り住む者も多く、文化も栄えていました
しかし北条氏は、関東地域の支配者として
関東の平和にのみに満足し、そこに安住してしまいました
日本全体の動きなどには関心も無く
ましてや、国際情勢など、もはや発想の埒外でした

戦国時代の後期になると
九州のキリシタン大名に始まり
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして伊達政宗
皆、国際情勢に強い関心を持ち
世界地図を頭に描きながら、考え、行動していました

ただし、その中でも、織田信長は傑出しています
彼の発想は、当時の常識や旧来の固定観念とは無縁であり
合理的、かつ現実的でした
信長のリアリズムの背後には
神も仏も恐れぬニヒリズムがありました
何が彼を、そのような人間にしたのでしょうか?
興味は尽きません





コメント (3)
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