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【読んだメモ】佐々木閑『出家的人生のすすめ』

本書の半分は優しさで出来ている話の前に、まず一般的な話から。

まず用語を定義する。
ある種の文章を書くときの原則である。新しく作った言葉を使う時はもちろんだが、たとえ一般的によく知られた言葉であっても、むしろ一般的であるからこそ、著者がどのような意味でその言葉を選んだのかを明確にしなくてはならない場合がある。たとえば柿の栽培方法を論じるには、「柿の種」の定義を明確にしなくては、読む人によって結論がよくわからなくなる可能性がある。柿ピーの製造方法を論じる場合も同様だ。そう言えば柿ピーの柿を先に食べるかピーを先に食べるかで妻と議論したことがあるが、このような柿派とピー派の分布に関する統計的な分析について論じる場合も、やはり用語を定義しなくてはならない。と言ってる間にも、いま何となしに「柿」と言ったがそれは「柿の種」を省略したものであり「例のあの米菓」を指すのであるが、何の説明も無いと植物のカキであると誤認され、じゃあピーって何なんだということになり、何か公共の電波に乗せられないような言葉では?ということになり、むしろ柿も何かの隠語だろうかみたいな話がでてきたりして、私が柿派で妻がピー派だと結論してもこれは私の家庭内における問題を暗に示唆しており云々みたいな解釈になりかねないのがおわかりいただけるかと思う。余計なお世話だ。

まず用語を定義する。
そう、本書では良く知られた「出家」という言葉について定義することから始まる。「出家」の意味が共有できなければタイトルの「出家的人生」という表現は成立しないので、当然ではある。かと言って「出家とは、家出することです」みたいに簡単に明示されるわけではない。できないのだ。「出家」の意味を定義し、共有するために、仏教の歴史的背景や出家システムの概要についての解説がされるのだが、なんとそれで紙面の半分くらいを費やしている。それだけ、世間に知られた意味での「出家」と、著者が本書で使う「出家」=「釈迦の本来の教えとしての仏教における出家」が異なるのである。大袈裟ではなく、本書の核心はこの「仏教本来の出家システムとは何か」に尽きる。これを知ることができただけでも、読む価値が大いにあった。なんならここで終わりにして、後の応用、すなわち「出家的人生」については自分で考えろ、でもいいんじゃないかと思う。後半できちんと「現代日本社会における応用」を論じてくれるのは、これはもう佐々木先生の優しさ、御慈悲なのだ。

著者の佐々木閑先生が「釈迦の本来の教え」にこだわるのは、それが仏教学研究者であるご本人の専門分野だからではあるだろうが、まずもってお釈迦様に対するリスペクトによることは間違いない。しかも熱烈である。前述の「出家」を定義している前半部分も、釈迦愛仏教愛が強すぎて話が止まらなくなってるみたいなところが正直ある。特に「お釈迦様=優れた組織設計者」の推しがすごい。その業績により仏教は2500年もの間存続し、そしてこれからも生き続けるのであり、釈迦のこの仕事はもっと評価されるべき、と熱い。うーん私も今までそういう風に考えたことはなかった。
そしてこの本、この「熱さ」があるために、すごく面白いのだ。なかなか伝わりそうにない御釈迦様の魅力や原始仏教の仕組みの面白さを、なんとかわからせてやろうという気概に満ちている。バファリンでは優しさの残り半分は解熱鎮痛成分だが、本書はまったく反対に、発熱成分なのである。

最後にひとつ。
本筋ではないが、個人的にとても印象的だったことばがある。
「自灯明、法灯明」
御釈迦様の遺言らしい。
「自分自身と私の教えだけを灯として歩みなさい」とは、仏教のエッセンスが詰まった至言だなと感激するとともに、こんなセリフがさらっと(かどうかは知らないが)出てくる御釈迦様カッコ良すぎで悶えた。

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