無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「LGBTを来店させるな」「じゃあお前が来んな」という客と店のやりとりがTwitterで公開されていた。クレーマーに対して萎縮する対応が多い中毅然と振る舞ったとして反応は拍手喝采だ。確かに、勇気あるなぁと思った。

しかし、"痛快な出来事"が起こった場合、それは大抵行き過ぎであると私の経験が教えてくれる。…なんか歳とったな、お前…。

確かに、よく前進しているなと思う。正直、こちらからしたら今LGBTに市民権をみたいな動きは心底馬鹿馬鹿しいとしか思っていない。数学の予想を証明するとか難病の治療法を発見するとか、"本当に難しい事"と較べてこういった問題の解決方法はいつの時代も驚くほど簡単だ。「余計な事はしない」―これだけである。

でも、現実にはこれの方が"本当に難しい"。他人が誰と恋愛しようが恋敵にでもならない限り全く自分の人生に関係ないだろうに、それにわざわざ口を挟んで妨害するだなんて…やっぱり恋敵なのだろうか。伝統的に、ホモフォビアはホモ予備軍だと言われてきたしなぁ。いや現実はもっと複雑なんですが。

とにかくそういった"恋のお邪魔虫"を形式的に駆除する為に、「店に来んなというお前が来んな」という対処法は有効である。これをみてLGBTの人たちはこれ安心とばかりにこのお店に来るだろうし、多数派の人たちもかなりな好印象を受けるだろう。戦略としては当たっている。

ただ、更なる上の戦略は、どちらも来店させて共存させる事なのだ。それを諦めた悔しさがあるか、というのが次の一手に対しては重要である。具体的には…うわ考えつかねぇな(役立たず)。

直接的な負の側面もある。事の是非を別にすれば、これは、店から排除される客が入れ替わっただけ、というだけでなく、LGBTに偏見を持つ人々を叩く事によってその層が陰伏して不可視化される可能性が出てくる。禁酒法施行で飲酒が地下に潜ったみたいに、こういった偏見が潜在化するのは危険度を増幅させる。人の偏見の根本原因と向き合わずに「悪者を駆逐しろ」では、やはり叩かれる人がLGBTから偏見主義者に入れ替わっただけにしかならないおそれもある。勿論、どちらがポリティカリィ・コレクトであるかといえば自由恋愛をただ謳歌してる人たちの方であって赤の他人の恋路を邪魔する方ではないのだが、おおっぴらにできない感情を持ってしまった人間の行ける先を確保しておくのもまた社会の健全性に対する寄与になり得る。誰がそんな面倒な事をしてくれるのか、さっぱり考えつかないにしても。

これは「ミイラとりがミイラになる」や「侵略強奪をした点では桃太郎も鬼」といったのと近い論点だ。しかし、現状からすると「クレーマーに対する萎縮からの脱却」という点で一歩前進である。過度な過小評価も過大評価も通過しながら、適度な評価に落ち着くよう、じぃっと何もせず待って見ている事にする。結局の所、私もそんなに興味がないのだなぁ。

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