無意識日記
宇多田光 word:i_
 



 その3からの続きです

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 では、なぜ「中止」されたのか、ということだ。UtaDAの全米での大規模宣伝戦略そのものを手控える“理由”とは何であったか。最もわかりやすいのは、収益をあげる市場を日本本国一国(及びあと幾許か宇多田ヒカルの人気がある程度あったアジア諸国)に絞り込んだ、ということである。大規模宣伝を行うとなればとんでもない費用が必要となり、それをペイするだけの売上をあげなければならない。成功のハードルが高くなるのだ。それなら、制作費が余りかかってないこともあるし(紆余曲折あったが、最終的にセルフプロデュース作品に落ち着いたので外部プロデューサを雇う費用は節約されたはずだ)、わざわざリスクをかけなくても、日本だけでミリオン売ってくれるのなら、そこだけに“契約の意味”を見い出そう、日本で売ろうが全米で売ろうが1枚は1枚なんだから――そういった発想が最終的に勝った、ということだったのだろう。日本単独で他を圧倒する驚異的な売上があるのだから、ワールドワイド契約を継続する理由としては妥当である。他の地域では、契約上のつじつまあわせとしてリリースだけはする、しかしプロモーションは最小限に留め、収益は日本で上げる、そういう“方針転換”が、2004年8月中に行われた、と想像するのは無理のあることではないだろう。7つのステーションをまわっているうちに、リスナーからの反応を見て、「こりゃムリかも」とレコード会社側が判断した、ということもあったかもしれない。いずれにせよ、そんな直前に「ラジオ・インパクト・デイ」のような大掛かりなイベントを中止できるのか、という疑問は結局残る。所詮はどの説明も仮説(peticulation)に過ぎない。

 もう一方の考え方がある。前段落の考え方は私もオフでBBSで頻りに繰り返してきたことだから耳新しくないが、こちらは余り語ってこなかった。それは、UtaDA側の事情、である。飽く迄もレコード会社の方は大々的に全米でも売り出そうと画策していたが、アーティストの方からストップがかかった、という発想である。何らかの理由で、直前になってUtaDA側が全米での積極的な活動を手控えた、ということだが、はてさてその“何らかの理由”として、考えられるものとはどんなものがあるだろうか。(その5へ)


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