無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞で案の定微妙な空気になってて笑った。まぁそうだよな。

小さい頃に“We Are The World”を観て「どうしてこのおっさんは音程を無視するんだ」と憤ったのが彼の第一印象。今なら、歌詞の響きを重視した結果だと理解も出来るが当時はそんな所までアタマが回っていなかった。大抵の日本人は、それ位の第一印象で止まっているから彼が来日してもTOKYO DOME 2daysとかにはならずZepp Tokyo 5daysとかになる。要は日本じゃコアなファン以外には売れてないんだ。そら微妙な空気にもなる。

そもそも英語がわからないんだから「歌詞を重視してメロディーを崩した」と言っても通用する筈がない。ボブディラン自体の影響力は歌詞だけにとどまらないが、今回は文学賞受賞なので興味はそこにあるだろう。毎年の文学賞は、英語圏からの選出が多いとあって「誰?」と一言言えば事足りたのだがディランの場合中途半端に知名度があるからそういう訳にもいかず。何とも厄介なのです。

歌詞は文学か、という論争は寝てスルーしよう。議論の中から生まれてくるものが何かあるかもわからないから論争自体はしておいてくれればいいが結論は気にしても仕方がない。


『Fantome』も海外で微妙な空気を生んでないかなぁという心配はある。今までの日本語曲群は、歌の中に英語によるキャッチーなフレーズを入れてある事が多く、他の日本語詞がわからなくてもどこかとっかかりがあった。しかし、今回はそれに乏しい。聴いてみたはいいものの、何が起こっているのかよくわからないという事になりかねない。『俺の彼女』などは歌詞の推移と曲の展開が連動しているから、もしかしたら唐突な印象を与えているかもしれない。将来ノーベル賞をとるなら、そこは課題になるだろう。

逆に、曲さえよければ、興味をもってもらえる。どういう意味なんだろうとさえ思って貰えればあとは歌詞を翻訳サイトに放り込むだけだ。『俺の彼女』ではフランス語人と日本語人が互いにそうすればよい。

歌詞という存在の強みはそこにある。曲で興味をもっともらいさえすれば、いつのまにか伝わっている。前も書いた通り、音楽の流通は書籍出版以来の言葉の世界規模伝染の革命である。ノーベル賞を貰ってなんら問題はない。書籍と似たようなものだし、更により強力な面もあるのだから。それにしても、ホント、何で今年だったんだろうね。わからんわ。

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