無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あら、ボブ・ディランがノーベル文学賞を。何故今年、という疑問以外納得の受賞なので特に言う事はない。レノンが生きてたらどっちが先だったかという興味はあったが…ってこの話過去に丸々やってるな。省略。

我らがヒカルの方はというと、年に1人貰える賞を貰って喜ぶよりノーベルの側に立つべき人なので、もっと長い目で見ますか。宇多田ヒカル賞を創設しても果たして貰える人が出てくるかどうかですが。

ヒカルが『真夏の通り雨』でやろうとした事、いや、やってしまった事を突き詰めていければ、全く新しい芸術が生まれるだろう、という話もまた前にした通り。私がそれを書いた時と局面が少し違うのは、インタビューでヒカルがこの歌の歌詞の事を『中年女性が若い頃の恋を思い出して』と言っていた事。あら、それだと不倫とは限らないわね。巧く仰有る事、ヒカルさん。

母の死を悼む歌と若かりし頃の恋、それをただ重ねるだけでなく、その2つが重なる事自体に意味があるのだが、そのヒカルの口調だと、そこまで考えていなかったかもしれない。エヴァンゲリオンの新しいエンディングにとんでもないヒントを与えてしまったのかもしれないのに。久々に"無自覚の天才"がヒカルにあらわれたとすれば、いやはや、楽しみだな。

少しわき道にそれておこう。It's a loiterer, loiterer, loiterer...って何の替え歌やねん。この若い頃の恋が『Be My Last』で歌われているとすれば、私には特にしっくり来る。『間違った恋をしたけど間違いじゃなかった』の一節はもうまさに。更にそこに冒頭の『母さんどうして 育てたものまで 自分で壊さなきゃ ならない日が来るの』を被せると、物語がぐっと近くなる。一言で言えばマザコン男だが、エヴァンゲリオンだってマザコンの話だし、ヒカルさんが究極のマザコンなのは御覧の通り、というかあそこまでベタ惚れだとコンプレックスではない何かに昇華している気がするけど。

中年女性の設定がまだあやふやなので、その違和感は残る。中年なのは今なのか昔もなのか、いやでもそれは大した問題じゃないな、若い息吹をそこに感じたというのが重要なのだ。野暮を承知でいえば、母親にとって息子とは小さな恋人だと。

恋愛感情が如何にどこから生まれるかの物語である。『Be My Last』が衝撃的なのは、恋愛・失恋・悲恋の物語なのに冒頭に母親を呼ぶ事である。そんな恋の歌って、ある? アリ? あらない? あら、ない?

そこを今回『真夏の通り雨』で突いてきたとすれば余りにもエグい。エグ過ぎる。抉らざるものEXILE。何でもない。今俺はぐらかした? 知ぃらない。

ここから先はヒカルに任せるが、この"道"を本当に突き進めるならば、人間心理の新しい真実の描写への手掛かりとしてこの上無い足跡を残す事になる。ディランやレノンより遥かに偉大な、21世紀や新しい千年紀を代表する"詩人"の誕生だ。果たしてそれが生きているうちに見られるか。寿命もあるけれど、ヒカルがそれだけ元気に密度濃く活動しなきゃいけない訳で、それがいちばん過酷なのよね。私からしたら、ヒカルには健康で居て貰いたいものですから。贅沢ですみません。

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