無意識日記
宇多田光 word:i_
 



2010年代のアニメは、タイムループ&タイムリープものが流行りだった。諸悪の根源は勿論2011年の「魔法少女まどか☆マギカ」と「シュタインズゲート(アニメ版)」で、未だにその系統の亜流が出てくる。広義には「君の名は」も含まれるのかもしれないが、観てないので知らない。ただ、たぶんそういった流行を背景に非アニメファン層にわかりやすい形で作られた作品なのでは、という見立てはしたくなる。

こういうのが流行る背景を…考えるだけ無駄なのだが、とってつけた事を言うのなら「人生をやり直したいと思ってる人が多いから」って感じになるか。或いはもう一歩踏み込んで、「人生をやり直す気力も起こらないからせめてアニメで」とか。もっと単純に、シュタインズゲートのように、選択分岐のゲームが一般的になって同じ出発点から様々なエンディングに辿り着く世界観に皆が慣れ親しんだから、というのもあるかもしれない。ゲームはストーリーが枝別れするが、アニメは一本道。それなら何度も分岐をやり直す話を一本道の中で表現しよう、となったのかもしれない。なおタイムループ&タイムリープのアイデア自体は古くからSF作品にあるようなので、あクマでこれは現代日本の若者たちが触れるコンテンツの中での話になる。まどマギやシュタゲ観た人の多くはもう若者じゃないけどなっ(笑)。

そんな事を考えていたら、「そういえば音楽の作曲(など)も同じだなぁ」と思い立った。本来の音楽演奏は、一度きり。ひとたび演奏を始めたら途切れる事なく一本道を行く。極稀に、トレボヘの『I Love You』のように途中まで歌っておきながら一旦やめてやり直す例もなくはないが、基本的にはトチろうが歌詞が飛ぼうがその曲はいちど始まったら終わるまで終わらない。やり直しをお家芸にするだなんてもっての他!である。(そのもっての他!が恋しくなる時もある。よくある。)

しかし、作曲の過程はそうではない。特に、楽器を複数重ねる場合はそうである。頭から順番に演奏してそのまま曲が出来るケースは殆ど無い。大体は、ああでもないこうでもないと曲の中を行き来して徐々に仕上がっていく。音楽は時間のアートであるから、何度も同じ時間を繰り返しながら学習をして、少しずつ理想の姿に近付いていく。そのプロセスと、シュタインズゲートで鳳凰院凶真が何度も同じ時間をやり直しながら少しずつ学習して未来を変えていく姿がダブる。そうやって作り上げた時間を、ライブという「今」に「たった一度の人生」として表現する。勿論同じ曲を各地で何百回と演奏するのではあるけれど、編集が効かないという意味で一期一会だ。

その意味で、スタジオワークはタイムループ&リープものであり、ライブはその結果を披露するものだ。ライブという未来に来るたった一度きりの瞬間の為にスタジオで何度も何度も手直しする。場合によってはツアー中にも練り直す。全部1人でする人にとっては、モードの切り換えが必要になるだろう。時間が掛かる。これは多分気長に待つしかないでしょうね。

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