無意識日記
宇多田光 word:i_
 



小さい頃、音楽でメイン・テーマ(・メロディー)の事を“動機(モチーフ)”と呼ぶ事にイマイチピンと来ていなかった。大人になったら「そりゃあ作曲するにも理由が必要だわな」と合点が行くようになったが、そういう作り手側の目線に立つ事で見えてくる景色もある。

「スネアの切なさ」という超名言に代表されるように、ヒカルは、少なくとも昔は、コード進行と共に、リズム・パターンから曲を作り始める事が多かったのではないかと推理する。リズムが動機だったのではないか、と。

人が何から曲を作り始めるかは興味深い。歌詞から始める人もあればメロディーから始める人もある。最初っから歌って始める人もいる。いちばん多いのはコード進行からかな。コードというのはイマジネーションを喚起する。「ん?この先に何かあるぞ」と思わせる。そこからメロディーを掘り起こしていく感覚だ。

楽器をやる人ならその楽器ならではの曲の作り方がある。ピアノとエレクトリック・ギターでは出てくる曲がまるで違う。彼らにとって曲の動機は「この楽器を演奏していたい」という気持ちから生まれるものだ。

では、ヒカルが、仮に私の推理通りに、打ち込みのリズムパターンから曲作りを始めるとして、そこにはどんな感情があるのか。普通であれば、リズムから曲を作り始める時に重視されるのは"ゴキゲンなノリ"、即ちグルーヴである。思わず身体が動き出しそうなフィーリング、人を踊らせるようなセンスをそこに込めるものだ。

しかし、ヒカルは違うだろう。なくはないけどな、『甘いワナ』とか。例えば、『Never Let Go』はヒカルのリズムにスティングのギターを載せたものだが、こんかエモーショナルな曲にもきっちりリズムが入っているのは何故か。

思うに、ヒカルがリズム・パターンから曲作りを始めるのは、最初に怒りの感情があるからではないか。憤りや無力感、やるせなさと言い換えてもいい。そして、その行き場の見当たらない感情をリズムにぶつけるのである。有り体に言えば、『当たり散らす』のだ。そうやって、叩き付けるようにしてリズムパターンが出来上がる。

ここまでは、他のジャンルにも見られる事だ。ラップやパンク、スラッシュ・メタルなどはそうやって出来たリズムに怒りのままに言葉をぶつけていって形を成していくのだが、ヒカルは、自分が打ち付けたリズム・パターンを目の前にしてこう思うのだ、「あなたはどうしてそんなに怒っているの?」と。

感情を形にして目の前に表すと、吐き出した方は冷静になったりする。それが感情を表現するという事(そのもの)だが、ヒカルは自らの怒りの感情がリズム・パターンとして表現されたのを目にし耳にした時に、冷静にみつめるのだ、何故このコ(『私』)はこんなに怒っているのか。その怒りの向こうに、どんな感情が隠れているのか。切なさや、祈りの記憶。どうしようもない絶望の物語。怒りに任せた筈の打楽器の音の節々に、ヒカルはその人の胸に宿って隠されている感情を見抜いていく。だからヒカルはスネアの音色に切なさの記憶を見てとれるのだ。そうやって、あのリズムの上に切なさを凝縮したメロディーを生み出していく。例えば『BLUE』がそうだろう、例えば『Prisoner Of Love』がそうだろう。"当たり散らした"リズムの向こう側から、慟哭にも似た感情が噴き出してくる。


そして『Fantome』である。いつものようなヒカルらしいメロディーと、そうでもないようなメロディーが混在していて、戸惑う古参ファンも多いのではないか。思うに、ヒカルの曲作りのアプローチが変わったのが原因とみる。それはつまり、音楽を作り始める動機(モチーフ)が、昔のような祈りの記憶を封じ込めたやるせない怒りの迸り以外にもたくさん現れてきた事を意味する。感情が変われば動機が変わり、そして技術的なアプローチ方法も変わってくる。総ては繋がっているのだ。そんな視点からも『Fantome』を見定めていきたい所存です。まだまだ語るべき所だらけのアルバムよ?

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