無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Fantome』において「つまるところ何が言いたかったか」を最も凝縮した歌は『道』だろうが、しかし、以前述べたようにこの曲はアルバムタイトルにならなかった。即ち、アルバムタイトルは『道』にはならなかった。

それをどう捉えるか。曲名としてすら特殊だろうにいわんやアルバムタイトルをやという解釈も成り立つが、寧ろもっとシンプルに「このアルバムにおいて本当に言いたかった事には未だ辿り着いていない。それは未来に在る。」という事だろう。道半ばだから曲のタイトルは『道』になったし、多分それは「未知」でもあるだろうから、まだ辿り着くべき場所の気配しか感じられない、即ち『Fantome』なのだろうと。案外ロジックはしっかりしている。

ではなぜフランス語なのか、英語で「Phantom」ではいけなかったのか、となるのが自然な疑問だろう。私が思うに、これはヒカルの都合だ。恐らく、「外国語」を使いたかったのだ、と。ヒカルにとって英語はもうひとつの母語でしかないから、言葉の意味がダイレクトに伝わってきてしまう。もっとあやふやな印象がいい、しかし、ならば全く意味のわからない言語だとそれはそれで「無意味」や「意味不明」に陥る。「はっきりとはわからないけれど、なんとなくならわかるかも」という距離感の言語がフランス語だったのではないか。僕らにとっての英語みたいなものだ。ちょっと意味はあやふやだけど、響きや見た目がいい感じだね、というあの僕らが英語の歌に触れた時の感じをヒカルは知らない。その感覚を自分も持つ事が出来て尚且つそれをリスナーと共有できるとなるとという選択肢。今やイタリア語とかわかりすぎるくらいわかってるかもしれないしな。

実際、ヒカルがフランス語の唄を歌うのは『俺の彼女』が初めてではなく、過去に『Hymne a l'『amour 〜愛のアンセム』と『ぼくはくま』がある。やはり「よくわかる訳じゃないけど、少しはわかる」距離感があるのではないか。

ただし。言語能力の高い人は振り返ったらもう新しい言語を習得している。実はヒカルは既にフランス語ペラペラかもしんない。発音は最初っから御墨付きだったんだし。そこはどうか。私の推理の如何は今後ヒカルがフランス語に対してどんな距離感をとっていくかで明らかになるだろう。今そこまでフランス語を操れなくてこれから学んでいくというのなら、今回のようなアルバムタイトルの付け方はこれっきりになるかもしれない。そういう意味でも『二度と作れない』アルバムなのかもしれない。わからない。しかし、未来が無くてはこんな作品は生まれ得ない事だけは確かだ。未来への気配こそが、"Fantome"の中核であるべきだろう。

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