無意識日記
宇多田光 word:i_
 

目次  


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




次またペヤングチャレンジするとは言ったけど、やっぱり止めにしようかな。しっかり空腹ならギリギリ15分で2.5個(普通の5個分)食べれなくもないと思ったけど、いっぺんにそこまで食べたら15分後にはきっとペヤング嫌いになってる(笑)。それって人生としてあんまりよくないよね。美味しくうただけるものは出来るだけ美味しくうただきたい。それには、ほどほどの量をほどほどの間隔で食べるのがいいのだ。

ほどほどの精神。本当に大事だよねぇ。関西弁でいえば「ぼちぼち」と「ちょうどええ」を併せたような概念。「儲かりまっか」「ぼちぼちでんな」という関西の会話を標準語にすると「景気はどうですか」「ほどほどです」になるんじゃないの。勘定から言えば「とんとんです」に近いんだけど、派手に儲かる訳でもなければ派手に損する事もない、危うい平衡と安定のバランスとアンバランス。よくもなく悪くもない、と言い換えてもいいけれど、「ほどほど」には「適切・適正」のニュアンスも含まれているので、「良すぎない程度に良い」くらいじゃないかな。

「ちょうどええ」といえば漫才コンビニの二丁拳銃のネタだっけか。結構傑作だったのにあんまりウケなかったよね。古いネタだから今でもYouTubeにあるやいなや。物事の「ちょうどええ度合いと頃合い」をテーマにあるあるネタを繰り出すのだが、笑いというより気持ちよさの方が勝つネタだったのがまずかったのかな。観てて感心してしまうような。

話が逸れた。つまり、『30代はほどほど』のスピリッツの話である。ビッグコミックスピリッツで水着写真を撮る話はどうなった(どうもなってません)。それはおいても、『20代はイケイケ!』の精神とは明確な対比がある。

『イケイケ』で象徴的なのは『UTADA UNITED 2006』である。当時ヒカルは2ヶ月間のツアーで毎回今にもすぐに倒れ込みそうになる位に全力投球していたという。余りにその刹那的な全力ぶりが無茶な為周囲は「もう少し(2ヶ月の)ペースを考えないと(最後まで)もたないよ」と助言したらしいがそれに対してヒカルは『全力以外のやり方がわからない』と答えたという。

確かにその時はかなりやりすぎたようで、ツアー中盤を過ぎた頃には誰の耳にもわかる位に喉に変調をきたし、あわや手術かとまで言われるほどの状態だったという。結局ギリギリの治療で手術は回避したという事で(その時打った注射が尾崎豊と同じヤツだと知り盛り上がる様子は『点』に掲載されています)事なきを得たのだが、いやはやヒヤヒヤさせやがるおなごであった。

それもこれも、『20代はイケイケ!』なスピリッツだったからだ。兎に角全力で駆け抜ける。そうする事で自分の本当の限界、即ち「自身の最大能力」を知る事が出来るのだ。そして、出来たのだろうヒカルは。

あれから10年。歳を重ねた今ツアーに出てくれれば間違いなく『30代はほどほど。』スピリッツを発揮してくれるだろう。それは「良くも悪くもない」とかではない、「自身の真のスタミナを見極めた上で総ての公演でおしなべて高い質のパフォーマンスを披露できるアプローチ」を身につけた上での、ハイブロウ(highbrow)な方法論だ。つまり『ほどほど』とは知と知性の合い言葉なのである。

30代バツイチ人妻子持ちがハイブロウな顔を見せてくれた時、それは間違いなく「堪らなくセクシィ」である筈なので、明後日の生歌唱では皆で遠慮なく「エロいよヒカル」と弾幕を打ちまくる事にしましょうぞ…ってニコ生じゃないんだから全くもう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




男女団体同時優勝のニュースはそれなりに報じられたので現在南アフリカ共和国で卓球の世界選手権ジュニアの部が開催されている事は周知だろうかな。団体優勝したものの、美宇美誠の内容は散々で、個人戦では全く自分のプレイが出来ずに単複混とも早々に敗退。実力的には2人とも(混合ダブルスがあるから、どちらか一方だけだけど)4種目制覇の可能性もあっただけに勿体無い。寧ろあんな散々な調子で団体戦を8戦全勝と大車輪の活躍をした伊藤美誠はよくやったもんだといえる。天才が頑張れると違うわやっぱ。しかし、2人とも8日からはカタールのドーハでツアーファイナルに出場なので、恐るべき強行日程。早期敗退をプラスに捉えたい。

しかし、今の日本代表の何が凄いって層の厚さだ。美宇美誠が絶不調でも早田加藤の2人が力を発揮してくれている。男子は張本だ。今日行われる最終日には、男女単ベスト4に張本と加藤が残った。男女混のダブルス3種目では日本ペアが1組ずつ決勝進出している。期待していた同士討ちの決勝こそないものの、未だ全7種目完全制覇は可能な状況だ。実力的には厳しい戦いには違いないが、全種目メダル獲得は達成されたので(世界選手権では3位決定戦は行われない)、あとはメダルの色次第だな。

早田と加藤は、最終日まで勝ち残ってるんだけど、ツアーファイナルどうすんだこれ。日程に配慮があるのだろうか。後で確認しときますかね。


…読者の居ない話題から入ったな〜(笑)。昨夜ついツイートに釣られてペヤング15分チャレンジを決行したのだが、用意したペヤングが足りなかったぜ。超大盛二つ(普通のペヤングが2個入ってるやつ)食べ終わった時点で10分あまり、あと5分弱残っていたが、事前に「四つは食えないだろう」と超大盛二つまでしか用意してなかったのでここで終了と相成った。ありゃりゃ。とはいっても、あの様子だと残り5分足らずでもう一個ペヤングが食べれたかというと多分無理だったので私から@utadahikaruに伝えるペヤング情報は「15分で4個」で確定である。

次はちゃんと晩御飯抜いてからチャレンジしてみないとね。

で、私がしたかったのは寧ろ15分かけて『桜流し』『真夏の通り雨』『花束を君に』を聴く事だった。3曲合計の演奏時間は14分57秒。再生環境によって多少の誤差はあるだろうが、約15分といって差し支えない長さである。予定では『花束を君に』を聴き終えながら食べ残しの量を計るつもりだったのだが現実はちょうど『真夏の通り雨』を聴き終えたところで二つ(4個分)を完食、『花束を君に』は烏龍茶を飲みながらのごちそうさまタイムになってしまった。何だか完食おめでとうの祝福歌みたいになってたが、これ15分で何個食えるかってのが趣旨だからな。あと一個は用意しとくべきだったな。

なお、いつものようにお湯を入れてからの待ち時間3分は『ぼくはくま』を歌い聴きながら過ごした。演奏時間は二分半だが、少し余裕がある位の方が、特にお湯を捨てるタイプの時にはちょうどいい。で、少しくらい麺が伸びても構いませんよという人に向けてこの度『Fantome』から『人生最高の日』が加わった。『Takin' Back My Money』の3分13秒より更に短い3分10秒。今後カップ麺の出来上がりを待つ時にはこちらも活用したいと思います。

…何の話だったんだ今回は(笑)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ラジオの最後の〆の一言がスリーサイズだった人が何を言ってるんだ、と思った人は、えぇ、お互いもう歳ですよ(笑)。

ペヤングは後で試してみるとして、と思ったのだが15分では食べ切れない量のペヤングを予め用意しておくのはハードルが高いなぁ。でもまぁやってみるかね。何故かこの間(先週だな)「次はペヤングを買ってみよう」と思っていたからちょうどいい。食べるとしたら何年ぶりかわからない。

そうなのだ、東海や関西ではペヤングは、無くはないが全くポピュラーではない(なかった、かな。今は知らないので)。小さい頃からインスタント焼きそばといえば日清UFOで、フライパンで作る日清の袋焼きそばを焦げ付かせたのは一度や二度ではないのだが、ペヤングは全然食べた事がなかった。ジャンプ放送局(さくまあきらが巻末でやってた読者参加ページ。彼が私の故郷を「日本で最もゴミの落ちていない街」と評していたのをみて「あぁ、本当に彼は旅好きなんだなぁ、よく見ているよ」と思ったのも今は昔だ。)でキングボンビーこと(桃太郎電鉄な)えのさんがペヤングを主食にしていると盛んに言うので「きっと東京(みたいな都会)にしか売ってないやつなんだろう」とぼーっと思っていた、それがペヤングだ。私にとっての。後日(いつだか忘れた)実際にペヤングを食べてみて「…特に美味くないな。まずくもないけど」と呟いたのもいい思い出(いつだか忘れといて思い出もなかろうに)。

インスタントカップ焼きそばといえばエースコックのイカ焼きそばも外せない、とか明星一平ちゃんは、とかショートケーキ味ってどんなのよ、とかだったらレモンパスタ商品化してやろうか、とか言いたい事は沢山あるけど(嘘。もうあんまりない(笑)。)、取り敢えずああいう昔のメッセのノリに近いツイートが続くと、なんだかじぃんと来る。きっと自分に娘が居たら、上京先から久々に実家に帰ってきた時に格好が随分と垢抜けていて「あららぁ、うちのコもしっかり都会に染まってるなぁ、ちゃんと順応できてるってこった、よかったよかった」と一抹の寂しさを覚えてしまい、それが顔に出るか出ないかのところでセーターの腕抜き脱ぎが未だに一度に出来ず必ず引っかかる姿を見せてくれて「なんだ、昔と変わってないじゃん」と急に朗らかな表情に変化したその瞬間みたいな、「じぃん」。悪いか。

あ、腕抜き脱ぎって手をクロスさせて上着を脱ぐ時のアレね。正式名称知らねえ。

という訳でヒカルさんは相変わらずいつも通りのヒカルさんだ。そう振る舞えばファンが喜ぶと計算した上でそう振る舞っているとしても、やっぱり嬉しい。お世辞とわかってても口に出して言って貰えるとそれはそれで、っていうやつ。それを考えると責任って実在だなぁと痛感する。白ひげの言ってた「ワンピースは実在する。」のあれだ、実在だ。なんだか哲学的だが、微妙な概念じゃなくてちゃんと手に触れられる何かですよって事だ。呟くとはその小さな具現化なのである。

Twitter社が潰れたらどうなるだろう。くれぐれも、「ある日突然」だけは避けて貰いたい。Utada翻訳BBSなんてある日突然KIDDBBSが閉鎖されたもんだからまともに保存出来なかったよ。まぁ保存できてたとしてもアーカイブス化して公開するかというと、しそうもないんだが。(←純粋にめんどくさい)

世の中何が長続きするかなんてわからない、と言ってしめようとしたんだけど、自分を省みると案外そんな事はない「10年後もこうして歌っています」と言った歌手の人をみて「違いない」と思ったら当然のように10年後も歌っていたし、それどころか30年経っても歌ってそうだし、長続きするものには確固とした意志が漲っているのを、私は知っている。ヒカルにはそれがない。なのに、長いぜ。本当に明日はわからない。でも、取り敢えず明々後日くらいまでは、確実な予定であって欲しいと願いマス。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




で。『30代はほどほど。』のTVCMが流れている。『人生最高の日』をバックにHikki渾身の直筆タイトルがぼんっと画面に映るだけの簡素なCMだ。そう、これでいいんだよね。あとは皆気になって検索してくれるんだから。

TVCMが打てる程の予算がどこにあったんだ、と思ったらサントリーがしっかり噛んでくれてるのかな。それなら納得。14年前はトヨタの後ろ盾があったから、自家用車一台プレゼントなんていう昔のゴールデンタイムのテレビ番組並みの事をしていた。スポンサードって怖いねぇ。

となると、30分での生パフォーマンスではCMソングである『道』を歌う可能性が高くなった。呼び込み曲となった『人生最高の日』も歌う流れになるし、KOHHさんがゲストなら『忘却』は外さないだろう。そう考えるとこの3曲で生演奏は決まり、という事になる、かな?

前も書いた通り、『人生最高の日』がそのままサントリーのCMソング第二弾として採用されている可能性もある。くだんの天然水CMはCMの影響度調査みたいなんでも随分と上位に来ているらしく、サントリーとしては続投を要請するのが無難だ。この所の年末まとめムードの中でもヒカルの名前はそこそこ取り上げられており、なんだかんだで今年はやってくれたなという感覚が強い。

その空気の中でデビュー記念日にTVCMを打ってまで行う生配信。「今年をまとめる」「来年に臨む」「いつも通り自然体」ていった幾つかの選択肢があるだろう。「復活・あたしチャンネル」をどう料理してくれるか。気がついたらもうシアサッテじゃあないですか。ちょっとドキドキし始めてもいいですか。まだ早い? まだ早いね。でもそろそろツイートが来てもいい頃合だね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




M1グランプリを放送中に文字通りの「舞台裏」が映し出された場面があった。ABC制作なだけに舞台セットは豪奢派手極まりないのだが、当然舞台裏はハリボテな訳で、皆もう見慣れてはいるだろうが、昔は基本そういうのは映さないもんじゃなかったっけ。

小さい頃にそのハリボテぶりを知った時は衝撃だった。落胆ではなく、「そうか、いつも一方向からしか映さないなら、見えない所はわざわざ作らなくていいんだ!賢い!」という賞賛の驚きだった。

舞台セットというのは、つまりそういう存在だ。見せる為にある。お城の舞台セットを作ったとしても、こちらに伸びてる筈と視聴者が想像する後ろ半分は要らない。何しろ、テレビの場合(映画でも芝居でもそうだけど)画面に映る事が総てなのだからこれでよいのだ。

画面。その先祖は当然「絵」と「写真」である。絵の具や塗料が、見えている風に色を放っていれば我々はそこにそれを見る。しばしば、巧すぎる絵はそこにモノがあると錯覚させる。故に、絵や写真や映像は「二次元のデータ(とタイムスタンプ)」さえあればよい。

聴覚の方はもっと徹底している。スピーカーやイヤホンを考えた人は天才だ。ルーツは糸電話だろうが、「音の鳴る元(人の声帯や楽器や、あらゆる物音を発する物)がどうであろうと関係ない、鼓膜がどう震えたかを記録・再生できれば事足りる。」と最初に気付いた人は誰だったのだろう。蓄音機が発明されてまだ200年も経っていないのである。エジソンは当時の金額で20ドルに満たない材料で蓄音機第一号を制作させた。ベルの電話もそうだが、原理に気がついてしまえば、時計程度の機械を作れる文明なら蓄音機や電話を製作できる技術はある筈だが、ついぞ19世紀まで人はそこまで辿り着けなかったのだ。やはり考え方自体が革命的だったといえるだろう。

この、「音声は鼓膜の振動さえ記録できればいい」という記録主義が徹底される事で、ライブ・コンサートの意義が逆に高まった。多くの人がライブを「観に行く」というのは、聴覚情報だけではなく、視覚的に「音の出どころ」を確認する事に価値を見いだしているからだ。これがクラシックのコンサートになると「バッハを聴きに行く」とか言ったりする。こちらは生演奏をホールで聴くのが最高の音質を提供してくれるからで、クラシックファンは会場で目を瞑っている事も珍しくない。

この、「音の出どころを確認できる」というのの価値を見誤ると大変な事になる。世で口パクが嫌われているのは、本質的には、歌っていないからではない。「歌っているように見せかけて視聴者や聴衆を騙そうとしている」から嫌がられるのだ。最初っから「リップシンクでライブをやります」と宣言してライブをするなら何ら悪評は立たない。なぜ騙す騙さないの話になるかといえば、視覚で「音の出どころを確認する」事に大きな価値があるからだ。音を聴くだけなら、特にPopsの場合家でCDを聴いていた方が遥かにいい音質で聴ける事が多い。なのにそのCDの二倍も三倍もする値段のチケットを買って皆ライブに行く(今やCDを買う人より多いんじゃないか?)のは、音の出どころたる有名人の皆様方を目で確かめられるからである。それは非常に価値があるのだ。

さて…あれ、昨日M1で観れた『30代はほどほど。』のCMの話をするんでなかったっけ。全然違う話になってしまったな。何も考えていなかった(笑)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日はM1グランプリの決勝をテレビで観ていた。昔はこの日記でも事細かに寸評を書いていた気がするが今は昔。復活してからもクォリティーの高い漫才をまとめて観られるという事で重宝をしている。

優勝は銀シャリ。3組による最終決勝は笑いの熱量では和牛とスーパーマラドーナがほぼ互角、銀シャリは僅かに劣るかという感じだったが、点数にすれば94点・94点・93点という感じで殆ど差はなかった。他2組がコント風漫才なのに対し銀シャリがしゃべくり漫才、更に本戦では第1位という事もあって巨人大吉上沼が銀シャリに、礼二がスーパーマラドーナ、松本が和牛に投票して決着した。松本が「ネクタイの柄で」と笑いをとっていたが半分本音だったと思う。それ位に最終決戦の出来が甲乙つけがたかったという事で、M1史上最大の接戦だったと言っていいだろう。満遍なく笑わせてうただいた。

M1自体出場資格を結成10年から15年に引き上げた事からもわかる通り単なる若手の登竜門ていうよりはテレビコンテンツとしての定番化わはかっているようにみえる。島田紳助不在でどこまでやれるかは見ものだが、ならばこちらの感想はきっと筋違いになるな、ネタ自体は面白かったので何の文句もないけれど「なんだこれは!?」とこちらが驚くような新しいスタイルはますますお目にかかれなくなっだ。

今思えばジャルジャルが出場するのが遅かった事(既に十分有名だった)、更に出てもあんな扱い(これ漫才て言うてええんか?)を受けた事が既にこの番組の方向性を決めていたといえる。初期に笑い飯が出てきて「こんな漫才みたことない!」と言っていたのがいつのまにか彼らが年末の風物詩になり第1期のラストで記念のようにチャンピオンになった時点で、そういった新鮮さをこの番組に求めるのは間違いになっていた訳だ。正統派王道だからという事で銀シャリが優勝した事でますますその路線が強化されたといえる。

何も悪い事ではない。今度はどこかで更に新しい笑いを追求する場が生まれればいいだけの話なのだ。M1がそうではなくなったというだけで。

しかしその役割を地上波テレビの、それもゴールデンタイムに求めるのはますます厳しくなっている。テレビをゆっくり観るという事でCMもぼんやり眺めていたが、25年前と何も変わっていない。CM制作者たちはクリエイティブ的にこれで満足しているのかね。唯一、日清食品だけは目を惹いたが、それも25年前と一緒だよ。テレビ自体が完成されたコンテンツを再生産する事に徹するメディアになった。これは若い人にとってはつまらないだろう。

で、そんなCMの中に『30代はほどほど。』もあって…という話からまた次回。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




おいおい、『30代はほどほど。』まであと一週間か。個人的には3Dだ2Dだと言う前に「その時間帯にネットに繋げれているか」の方が遥かに懸案なので、是非ともアーカイブス配信の方をお願いしたい。でないと違法視聴しちゃうぞ。私にとっては国の法よりヒカルの歌の方が大事だ。(言い切る)

ま、後日2D通常版をDVDでリリースしてくれればいいんですが。

そういえば3DVR/2Dマルチアングル/2D通常版のうちどれがいちばん音質がいいか梶さんに訊くの忘れてた。あとで訊いとかないと。もし3DVRだと言うなら急いで応募せねばなるまい。明日までだもんね。今日じゃないよね。

で、当選しても当然ゴーグル(まだうちに着いてないがもういつでもいいよ)は装着せずに音に傾聴する。ビットレート次第ではUSBDACをこれ用に購入しようそうしよう。今週末のうちに揃えないとね。まぁ生で観られるかはわからないのですが。

内容は、「トーク&ライブ」という事で変更無しでよろしいか。KOHHさん(て呼び方でいいんだろうか)がいらっしゃるなら当然『忘却』はやるんだろうが、30分でこれ1曲だとファンというか物見遊山で観に来るライト層のニーズには答えられない気がするので『花束を君に』くらいはやって欲しいところ。

まだチェックしていないのだが、『30代はほどほど。』のTVCMで『人生最高の日』が使われているの? これと『忘却』に関してはもしかしたら新しくタイアップの発表があるのかもしれないね。そういう雰囲気でいくのならしっかり『人魚』も歌ってエルミタージュをアピールしたい。うわ、今なんだ、歳納京子の声で『エ・るみ!タージュ』と叫ばれた気がしたんだが、気のせいだろうな。(余計な事は言わんでいい(笑))

これでは、とても30分では足りないなぁ。是非今から延長を所望したい所。ニコ生みたいに「もう一枠!」って感じで。

いちばん怖いのは回線トラブル等で歌が聴けない事だが、こればかりはどうしようもない。受け手側は勿論だが、送り手側のトラブルだって、有り得る。それで開演が押してくれれば寧ろこちらは生で観れる確率が高くなるので、実は有り難かったりするんだけどね。平日の21時からは早過ぎるよ。いやそれは俺の勝手なんですが。

まぁいいや、つまりヒカルの側は、この生配信を観たら貴方がそこに『人生最高の日』を見いだす事が出来る、と言うつもりだろうて(んな勝手な)。震えてまたせてうただくと致しますかな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




…というタイトルで何か書こうかと思ったんだけどヤメにして。思わせぶりですいませんね。

Amazonはヒカルが"完全制覇"ともいえる状態だったが、一方e-onkyoでは『Fantome』がガルパン劇場版サントラに1位を譲るという展開になっていて面白い。ある意味、こうでなくては(笑)。

それはアルバム部門の話で、楽曲部門は無事『花束を君に』が第1位を獲得。よかったよかったと一息吐いて2位以下に目をやったらμ's,μ's,μ's,μ's,…やっと6位に『真夏の通り雨』があったと思ったらまたμ's,μ's,…いやぁ、凄いねぇLuv Live…じゃなかった、ラブライブは。で、やっとμ'sじゃないのが出てきたと思ったら新田恵海…ってそれラブライブの個人キャラやな(笑)。

という訳でe-onkyoの方はヒカルがガルパンとラブライブに圧倒されつつも孤軍奮闘、という構図になっている。オリコンチャートでは近年、増殖した秋元康に囲まれて独り奮戦する桜井和寿という構図が定番だったが、こちらはまだ「CDと言っても投票券や握手券」と言って逃げる事もできた。しかし、配信となるとどうにも逃げ場がない。寧ろ、こんなところでよく2位と1位をとったもんだよヒカルは。

ラブライブについては、アニメとアイドルのクロスオーバーを声優が軸になってマルチメディア的に展開するという二番煎じ総収集、早い話が後発による美味しい所満載プロジェクトで桁外れの成功を収めているので、ファンの熱度と人数の掛け合わせは群を抜いている。宇多田ヒカル程度のファンベースとは規模がまるで違う。

ガルパン劇場版はある意味「シンゴジラ」「君の名は」「世界の片隅で」といった今年の名作群よりエポックメイキングな作品だ。何しろ、4D等を導入し1年間連続で上映を続けたのだから。ロングランなんてものではない。映画鑑賞が"アトラクション"として認知されたというべきか。ねずみの国フリークの皆さんが年間パスポートを携えて足繁く舞浜に通うのと同様、大音量と揺れる椅子を目指してガルパンおじさんは足繁く立川に通うのであった。通う、ってなぁ。

そういった、新時代のマルチコンテンツによる音源を相手に歌一本で互角に渡り合い上回るからこそヒカルはカッコいい。寧ろ、今最もそういったマルチコンテンツに手を出すべき存在ではない、とすら言える。皆があじゃらうじゃらと様々なメディアから囲い込んでくる中をマイク一本で中央突破する頼もしさが今ヒカルに求められている事でありまたヒカルはそれに応えられるだけの力がある。そこらへんは見失いたくないポイントだねぇ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今年の流行語大賞は「神ってる」だったそうで。へぇ。昨年の「トリプルスリー」に続いて野球ネタ。スポーツ観戦ファンとして、内輪でしか盛り上がってないのを推すのは恥ずかしいので止めてくれませんかね、という気分。「ないわー」というのが私の評価。幾らなんでも社会問題化までしたポケモンGOより有名ってこたぁないでしょ。ポケモンGOが「流行はしたけど流行語ではない」という理由で外されるなら納得だけど。

「現代用語の基礎知識」という「辞典」を作っている会社がそこらへんのバランス感覚に欠けているとなるとその記述まで疑わしくなってしまいますよと老婆心を口にしたくなったが、まぁどうでもいいか。皆の感覚にそぐわなくなったら廃れて注目されなくなっていくだけだ。なきゃないで困らないし。しかし、えー加減「プロ野球を観ない人は全然観ない」って事を覚えて欲しい。流行語ってのは、その界隈を飛び越えて伝播しなきゃダメでしょ。まだ「大谷」とかの方がよかったんじゃないの。プロ野球に興味のない人でも、なんかそんな選手が居て騒がれているらしい的な事は幾らか伝わってるだろうから。こちらも流行"語"ではないですけれど。

これでも話がズレてるんだよね。本来の流行語って皆が「普段の生活で新しく使った"言葉"」でないといけないんじゃない? まぁなかなかそんな理想の流行語は生まれないんだろうけど、「神ってる」は野球ファンですら使ってなかったよね…。

それはそれとして。枕が長くなった。

Amazonの年間ランキングが発表されたそうで。ソングでは『花束を君に』が配信で、アルバムでは『Fantome』がデジタルもそれ以外も含めて、部門別のみならず総合でも1位なんですと。ほんまかいな。元々配信には強いヒカルだがそれも今は昔と申しましょうかスマホですぐ買えるようになった現代では大したアドバンテージにもならない・なっていない筈なのに、これは本当に人気のあった1曲・1枚であったと断言して差し支えなさそうだな。

「みんな、待ってたんだねぇ」というのが正直な気持ちだが、それ以上に、『花束を君に』をはじめとした各楽曲が、予想以上に受け入れられているようで嬉しい。昔の名前で出ていますじゃあないけれどヒカルよりキャリアが短いアーティストですら過去のヒット曲のリメイクに走る御時世にまっさらな新曲群でここまでの結果を出したのは真に驚嘆に値する。本当によくやってくれたもんだ。

嗚呼、発売前に「なんとか累計で50万枚行ってくれれば」と言っていた頃が懐かしい。その数字はフィジカルだけで軽々と乗り越え今や配信を合わせるとすわミリオンかというところまで来ている。己の不明を恥じる。ヒカルの市場での力とそれを受け入れる聴き手の"耳"がまだこれだけ在った事を、全く見抜けていなかった。大いに反省せねばなるまい。次からはもっと精度よく、現況を把握できるよう努めたいものだ。とまれ、ヒカルさん、年間1位おめでとうございますです☆

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あら、今日は流行語大賞の発表なのね。最近Yahoo!のトップページに今日は何の日的な一行が追加されるようになってて、そこに書いてある。えー、何が選ばれるんだろうね。なら今年の漢字も間もなくか。

安直に言えばうちらの流行語は『Fantome』になるんだろうが、安直過ぎるので何か考えてみたいところ…と思ってみたんだけど、何だろうかな、結構何も浮かばないぜ(笑)。個人的にはヒカルが過去の歌唱を『雑』と言って切り捨てた場面とかが印象に残っているが、何だろう、昔と較べれば物議を醸すような話題を出してこなくなってる、かな?

確かに、今のWebはちょっと緩めただけで忽ち炎上案件になる素晴らしい場所になっているので「下手な事を言うくらいなら黙っていた方がいい」というのが定説・定番になっている。ヒカルの場合、今はインスタグラムの写真の方が面白い位だ。なかでも「プジョーのホイールを拾った」はなかなかに誰でも真似出来るヤツではなかった。

ツイートで話題になったのは復帰しますの一言より屁とかキンタマとか槍玉にあげられるようなタイプの呟きの方だったし。バズったから今年の流行語、というのは明らかに抵抗がある。大体、ツイッター基準で言ったらうちのタイムラインの王者は毎年「猫」である。なんでそんなに猫好きなんだ君らは。

もし『30代はほどほど。』企画がうまくいけば今年の合い言葉は「3DVR」になるだろう。ちょっと一週間遅かったな。

何か、今年のヒカルは、あれだけ売れておきながら旗頭や象徴になるのを自動的に拒んでいたようにもみえる。ヒット番付にも名前なかったけど、それはもう定番と見なされているからか。そりゃポケモンGOには到底及ばないにせよ、紅白初出場歌手の中でも最も期待されているというし、潜在的な注目度はなかなかにあると思うのだが。番組の毎分視聴率が年明けに話題になるだろうから、その時にその具合が明らかになるだろう。

歌詞で印象に残ったのは何かな。『道』の『It's a lonely road, but I'm NOT alone.』とか『忘却』の『いつか死ぬ時 手ぶらがベスト』とかかな。いや、これはまたじっくり考えたくなるヤツだな。取り敢えず今日の所は、本家の流行語大賞の発表を待ちますかね。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




「作品鑑賞」について体系的に述べておく。

「一次元の作品鑑賞」と呼ばれるものがある。「文」である。或いは詩や小説といえばよいか。文は基本的に一本道だ(そこから外れたい場合は脚注をつけるものだが、ご覧のように総て括弧書きに収めてしまえば読みにくくはあるが本質的には一本道になる)。それを辿って得られる体験は変わらない。一人一人違う感想は述べるだろう、従って、心に浮かぶ感情はひとりひとり違うだろう。しかし、物理的にあなたは何を見ましたか感じ取りましたかと言われた時全員がひとつの同じ文章を指す事だろう。この点において、文(詩や小説や)は万人に同じ体験を齎す。

映画は二次元である。が、こちらも文と本質的には似通っている。映画といってもアニメーションを想像した方がいいかもしれない。一枚々々の「絵」が、(古めかしく伝統的なものなら)1/24秒毎に次々と表示されてゆくのを我々は眺める。その意味では、これは文と変わらない。今目の前に展開されている文章の一文字々々々がそれぞれに異なる絵だと思い込んでみよう。映画(アニメーション)とは、その絵の連なりに過ぎない。その意味において、万人がこれまた同じ体験をする。文も映画も、その意味において、万人に全く同じ(物理的)体験を与える。

(本当は文字と絵には際立って本質的な違いがある。文字は文字全体を捉えるが絵は必ずしもそこに描かれている情報総てを受け手側が認識しているとは限らないし、例えば人が二人同時に左右に対峙している絵が映った時に左の人に注目する受け手と右の人に注目する受け手の両方が存在する。その点については深く議論せねばならないのだがここでは一旦省いておく。)

音楽鑑賞体験も同じである。こちらは文や映画と違って“静止”という概念がない為、かなり違う話にはなるのだが、万人が鼓膜を同じに揺らすという意味においてこれまた全員が同じ(物理的)体験を蒙る。


これが、3Dになるとどうなるか。なんらかのパノラマなりジオラマなりが擬似的に提供されたとしよう。ある人はその世界に入って東に歩を進めるかもしれないし、ある人は西に向かうかもしれない。ある人は空を見上げたまま動かないかもしれないし、またある人は同じ場所でぐるぐると回り続けるだけかもしれない。

即ち、「3D作品」は万人に同じ(物理的)体験を齎さない。皆違うものを感じ取る。感想に至ってはまさに"てんでバラバラ"になるだろう。


つまり、「3D」とは、受け手を不可避的に「作品の担い手のひとり」として取り込んでしまう。文章や映画や音楽は、万人が同じ体験を得るという意味において、受け手は作品に対して不可侵である。モナリザはいつ誰がみても、これから何億人に鑑賞されようと作品としてはモナリザのままだ(物理的な風化や劣化はするでしょうが今はその点は捨象しておこう)。しかし、「3D作品」は受け手の存在によって、作品としてはどんどん生まれ変わっていく。こういうものは最早鑑賞とか作品とか作品鑑賞とか言われず、「ゲームやアトラクションをプレイする」という風に言われるようになる。要は、3Dとは「遊び場(の提供)」であって、古典的な文や映画や音楽の"鑑賞"とは別個のところにあるものだと認識しなくてはならないのである。

例えばビョークなどは、3DVRを使って、その「作品鑑賞」と「遊び」の境界線を探るようなミュージック・ビデオをリリースしていて、大変興味深い。動画サイトで鑑賞…いや、"遊べる"ので、興味のある方は検索してみるとよろしかろう。上記で書いたような概念がどういう含意を持つか、手軽に体感する事が出来ますよ〜。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日の朝ASKAについて書いたのでちらっと記事を読んでみたが、いやぁ凄いね。ASKAの言動がおかしいのなら薬物のせいだろうけれど、記者の方の奇行は素面でやってんだもんねぇ。放送と出版は大手が力を持ちすぎて自浄作用に期待出来なくなってるんかな。

とは言ってみるものの。では代わりになるメディアが育っているかといえばそんな事もなく。新興のネットメディアの多くは「粗悪」として切り捨てるべきクォリティーしか有していない。腐っても鯛というが、流石にまだまだ大手メディアの方が遥かに良識的である。

よく「テレビがつまらなくなった」と言われるが、それはインターネットやゲームによって他のチャンネルが開かれたからであって、相対的な印象である。個々の番組のクォリティーは非常に高い。「つまらない」という印象は、個々の品質よりも、新しいものを生み出すダイナミズムが感じられなくなった所が大きいように思われる。「観たら楽しめるけど、いつ観てもやってる事は同じ」という、30年前に既に「笑点」が言われていた事が、今や多数の番組に当てはまるようになった、そういう「成熟から衰退へ」という時期に地上波テレビメディアが差し掛かっているのだろう。視聴者が50代以上メインになるのもむべなるかなという具合だ。

それを考えると、今若い人はちょっと辛いかもね。信用できるメディアがどこにもない。若いと何でも鵜呑みにしがちだからね、ネットの無責任な「大手メディアは信用できない」という言説も信じてしまっているかもしれない。そちらが信用できる保証はまるでないのにも関わらず。薬物中毒より奇行をする大手メディアより更に信用する材料に乏しい相手を信じてしまったら、後戻りできなくなるよ。

後戻りできなくなる…嗚呼、いちばん厄介なキーワードが出てきちゃったな。この話の続きをするかしないか、ちょっと考えてからに、しましょうか。きっと長い話になる(笑)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




そろそろ究極の(アンチ・)クリスマス・ソング"Can't Wait 'Til Christmas"の似合う季節になって参りました。まぁ季節に関係なく普段から聴いてる曲なんだけど、何だかんだで機能として"似つかわしい"タイミングってのがあるもんで、この曲の場合この約一ヶ月って事になるわな。ほんに雰囲気に合う。PV作ってたらYouTubeでどれ位の再生回数だったろうねぇ。

では、最新作『Fantome』の場合はどうだろう。直球でいくと、季節というより“追悼”のタイミングに似つかわしい楽曲が多い訳で。『桜流し』『花束を君に』『真夏の通り雨』といったヒット曲たちが主軸なのだから仕方がないか。『道』なんかは暫く経ってから、一周忌や三回忌云々というタイミングが適切かもしれない。

ただ、アルバムの主軸がそこにあるだけで、他はバラエティーに富んでいる。では『人生最高の日』は主軸たちとまるで正反対の内容なのかといえば、何か少し戸惑いを感じるよ。前から書いている通り、15秒30秒のCMソングに起用されれば体好いキャッチーさを与えてくれはするんだが、あの、フルコーラスで聴いた時の何とも言えない不気味さ、『一寸先が闇なら二寸先は明るい未来』と歌われた瞬間は「なんてポジティブなんだ」と感銘を受けるのに、ひとたびこの曲を聴き終えて振り返ってみると何故だか「…じゃあ、三寸先は?」と訊きたくなるような不安がじわりじわりと襲ってくるのだ。これは錯覚や意地悪や勘ぐりではなく、この曲を聴いた人間にどうしようもなく降りかかる感情である。なぜか。

その理由は、各自が考えたものが答だから私は押し付ける気はないが、ひとつには、「人生最高の日が実際にやってくる事がない」から、という答え方がある。つまり、そういう期待を胸に抱けた日こそが既に人生最高の日なのだ、という解釈。イメージを胸に抱けるか否かで人の幸福は決まる。幸福とは何かを知らなければその日が来ても、わからない。

元気で笑顔で前を向いて歩く主人公の足元にどうしても無数の落とし穴を見てしまうのは、私や貴方がひねくれているからではない。実際、アルバムの曲順だと次は『桜流し』。大切な人を喪う物語である。この曲順に意味がないと断じるのもまた身勝手というものだろう。予感を歌った歌の次に悲劇が確定した歌が来るのだ。曲というのはそれぞれに独立した物語を持っていて、このアルバムだって『道』『俺の彼女』『花束を君に』とてんでバラバラな歌たちで幕を開ける。ならばアルバムの最後2曲にだけ繋がりを見いだそうというのは恣意的過ぎる。ごもっとも。理屈はわかった。しかし、貴方はアルバムを聴いてそう思えたか?『人生最高の日』は幸せいっぱい胸いっぱいの歌として響いたか? またこの話は間を置いて取り上げる。歌詞とサウンドの構造からも、この言い知れぬ「不安(定)」の正体に迫ってみたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




チャゲアスのアスカが逮捕されたってな一般ニュースのトップで報じるような事なのかい。耳疑ったよ。薬物中毒患者の"再犯"率は高い。静かに治療に専念させてあげればいいのに。また車の行く手を阻む事例とかほんまかいな。俄かには信じ難いが。未だに。

刑事罰なのがよくないらしい。逮捕の報が啓蒙に役立つなら致し方ないが、そこまで考えて報道しているようには見えないし。本来必要なのは強制治療であってよもや懲役刑ではあるまい。

これを機にファンを辞めるとか解散を促すとか、それは個々の好きにすればいいけれど、薬物の被害者という観点ではみてもらえないんだなぁという感想が先に来る。意志が弱いとか世の中舐めていらっしゃるとかこれまた好き勝手言ってくれて。自分も別に薬物全般に詳しい訳ではないのでそこは大して変わらないのだけど、事情も知らないのに圧力をかけるような言動をするのは避けたいなと自戒中。ここ2週間3DVRの担当者に圧力かけまくりだったけどな。読まれてはらへん事を祈るが。

普段から薬物反対とか言ってた人がこうなったら「裏切られた」とも思うだろうが、チャゲアスの片割れが薬物でと言われても「あぁ、そう」としか思わない私はやや距離がある。ミュージシャンと薬物の関係性は、特に英欧米では日本より深いだろうから、こういう話題が定期的にあったりなかったりするからだろうな。そういう意味では、四半世紀前に“SAY YES”のような特大ヒットを飛ばした事があるのは大きな負担だったろうな。「お茶の間」という魔窟の相手せにゃならんかったのだから。

勿論実刑判決が下ろうが刑期を終えて出てこようがまた再犯しようが私の彼に対する評価は変わらない。何だったら「宇多田ヒカルのうたパート2」があったら歌って貰えばいい。前科持ちが雁首揃えたら話題になるし丁度いい。薬物依存症患者の社会復帰を手伝えるならいい事だと思うよ。沖田さんどうですか。

勿論現実にはそう簡単に事は運ばない。日本人の(?)放射能アレルギーや薬物アレルギーは実際の放射能の被害や薬物の被害より遥かに悪影響が大きい。それの相手をするのは放射能や薬物の相手をするよりずっと骨が折れるし、メリットも大してない。最初から相手をせずに、自分の思考でちゃんと価値判断を続ける事、それ位しかやる事はない。それでも影響は受けちゃうけどね。こうやって実際事件に対してコメントしちゃってるんだから。やれやれ。

それで歌に陰りが出るかというと必然的ではなく。寧ろこういった経験を活かして新しい歌を作れれば、少しは過去の自分を受け入れられるかもしれない。ミュージシャンならではの特権ですよ。特にチャゲアスのファンではないので彼らが解散しようがしまいが気にならないし、こんなに報道されても「お気の毒に」としか言えないが、叩く気もないので、まぁ、ほどほどに頑張ってくださいな、と言うにとどめますかね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ