無意識日記
宇多田光 word:i_
 

目次  


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




間際になって凄いのぶっこんできたな。確かに、101局で同じ番組を流すだなんて前代未聞だわ。もしかしたらギネスに登録出来るんじゃないの? 更に「シェア・ラジオ」なるサービスの皮切りにもなるらしい。『サントリー天然水 presents 宇多田ヒカルのファントーム・アワー』。歴史に残る番組になるか。

いやね、勿論『トレボヘ特別編』か『帰ってきたクマ・パワー・アワー』くらいはやるんじゃないかとは思ってたの。今回もラジオ重視だし。でもそれじゃあ全国5局ネットかInterFM1局かでしょ。101局パワープレイには相応しくないように思ってたのよ。そこでまさかの全局1時間ジャック。こっちが本当のパワープレイだよ全く。

これが大規模メジャー・レーベルの力かと唖然とさせられる。日本の民放ラジオ各局は一枚岩ではない。複数の系列に分かれている(だからトレボヘは一部の局でしか放送されない)。それを説き伏せて纏め上げるとは。短波局まで含めてだよ。気の遠くなるような規模だ。だってメール一回送るだけで101通だよ? LINEで連絡取れるようにするのもSkype会議開くのも一苦労。一体何をどうやって全体をオーガナイズしたのか。梶さんは魔法でも使ったのか?

もう随分と生活の中でラジオの割合がテレビより大きくなっている私のような人間にとっては大きな朗報以外の何物でもないが、しかし、普段ラジオを聴く習慣のある人間はそんなに居るのか?というのが正直な疑問である。いや寧ろ、これをキッカケにしてラジオを聴くようになる人が増えればいいのか。

鍵となるのは、本来なら、Earpodsだ。iphoneは今回の7/7plusからイヤホンジャックが廃止になった。ライトニングケーブルのアダプターの音質は随分酷いらしい。音楽ファンからすればけしからんとしか言いようがなさそうなところだが、これは勿論無線イヤホン普及への布石である。ライトニングケーブルアダプターに気合いが入っていないのも、有線イヤホンに愛想を尽かせる為である。無理矢理にでもEarpodsを使うように、と。

そのタイミングでラジオのニーズが浮上してくる。スマートフォン全盛時代だ。スマートフォンを弄っていられる時間に如何にして食い込むか。どうやって音楽が付け入るか。その時にラジコやシェアラジオといったツールのニーズがどうなるかだ。無線になるとイヤホンを身に付けている時間が格段に増える。問題はBluetooth規格の諸問題だ。充電・遅延・断絶等々。そこをクリアーできていればEarpodsは次の時代を捉える事が出来るだろう。現時点での記事を読む限り「まだ無理」一択のようだが。

話が逸れた。ヒカルのラジオをまた聴けて嬉しいという話だ。惜しむらくは、その放送が今週だったらなという事だが、シェアラジオと足並みを揃える事を優先したのだろう。宇多田陣営は、今や初動売上がどうのという狭い世界の話ではなく、日本という国の中でどうやって大衆音楽という文化を育んでいこうかというスケールのドデカい所に焦点を当てている。最早、来週発表される初動売上枚数に対してあーだこーだと野暮な事は言うまい。ヒカルの歌を通じて、日本人がまた歌を愛して歌に親しみ直せるかどうか、そこの所が肝心なのだ。その大きな"夢"の先陣として、『Fantome』は位置付けられている。長いスパンで眺めて、その真の影響力の度合いを計っていきたい。

それにしても、『クマ・パワー・アワー』に引き続きヒカルが全プロデュースだなんて、そんな手作り感満載な音楽番組が10月11日から17日の一週間日本中で流れるかと思うとわくわくするねぇ。楽しみ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




はい来ました『Fantome』発売週。待ちに待ってもう興奮が抑え切れない、と書ければよいのだが、実際は真逆で、毎日ほどにやってくる新しい情報が消化しきれずに「ちょちょちょちょっと待って、もう発売日なの!?」というのが偽らざる心境。密度濃過ぎですよ。

だから、先行して『桜流し』『花束を君に』『真夏の通り雨』『道』『二時間だけのバカンス』『ともだち』の6曲が聴けているのは本当に有り難い。『Fantome』を初聴きしながら、こな6曲でほっと一息吐ける事だろう。それでもまだ『俺の彼女』『人魚』『荒野の狼』『人生最高の日』の5曲をいっぺをに耳にする事になる訳で、きっと何度も深呼吸が必要になるだろう。いやはや、人騒がせなヤツだ。

昨夜、マイアミ・マーリンズのホセ・フェルナンデス投手が亡くなった。24歳だった。イチローが出てる試合で投げているのを「へ〜若いのに大したもんだねぇ」とチラ見した事がある、という程度で個人的には彼に何の思い入れもない。しかし、マーリンズは今日の主催試合を中止までして追悼している。よっぽどショッキングな出来事だったのだろう。強烈に慕われていたイチローもさぞやショックに違いない。

唐突にこんな話を出したのは、相変わらず、僕が、彼がシーズン中に死ぬだなんてこれっぽっちも思ってなかったからだ。「人は死ぬぞ。」―相変わらないモンキー・D・ルフィの名言だが、兎に角、まずは明日明後日も生き残る事。それが『Fantome』に触れる為の普通の必要条件だ。触れれさえすればどうにかなる。それ以上の事を高望みしても仕方がない。それと、聞こえてる耳を大切にする事、かな。浮かれないように、きちんと足元を見よう。新しい音楽に触れるだなんて、普段から毎日やっている事。何も特別な事はない。新体験は、平常心で臨みたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『道』を聴いた時は本当に安堵した。いの一番に「合格点」と書いたのは偽らざる本音そのものである。こういう曲が無いと作品がヒカルのアルバムとして成り立たないからだ。

その曲調は、『This Is The One』のA面のそれに近い。ヴォーカルに焦点を当て、切ないメロディーとシンプルなリズム、そしてシンプルなリフレイン。言わばヒカルの得意中の得意。サウンドをシンプルにし過ぎて物足りなさすら感じさせるところも『This Is The One』に似ている。あれだけ何度も『日本語で勝負する(英語に逃げない)アルバム』を作ったと言っておきながら一曲目からリフレインが英語なのは、制作の終盤に作詞しただけあって、それだけ他の曲の日本語詞に自信があったというのもあるだろうが、何より『lonely but not alone』というコンセプトが、そのまま英語の"叫び"となって心に響いたのだろう。ただただシンプルに、日本語で「淋しいけどひとりじゃない」というよりハマったのだ。それは今言った『This Is The One』での経験も大きかったのだろうし、この曲のもつグルーヴに呼応した結果でもあろう。実際、昨今の洋楽の中に放り込んでも違和感のないサウンドだ。ここらへんも『This Is The One』当
時の戦略に相似する。勿論、具体的なサウンド自体は、同作とは7年の隔たりの分だけの違いはあるが。

そして、王道かつシンプルなこの曲は、間違いなくLIVEに強い。シンプルさというのは特にビッグ・アーティストのLIVEにとっては重要である。アリーナ・クラスやスタジアム・クラスの会場だと、どうしたって音量が大きくなり出音が太くなる。テクニカルでゴチャゴチャしたサウンドはなかなか判別しにくい。太い音を明確に鳴らせる隙間のある位にシンプルなサウンドの方が、聴衆席の隅々にまで届くのだ。それが強いビートとなると尚更である。

更に、そこにヒカルの歌声で繰り返されるシンプルなリフレイン。『It's a lonely, It's a lonely, It's a lonely, It's a lonely, It's a lonely, ,,,』と繰り返されていくうちに、聴衆の心が歌声に巻き込まれていく様が(今のままでも)手にとるように妄想できる。どれだけこのリフレインを力強く歌い切れるかが肝だが、それは、ヒカルがこの歌詞にどれだけ気持ちを入れているかで決まってくる。思いをぶつけられる言葉。その選択は正しかったと遥か未来のLIVEを夢想しながらここに断言しておこう。

「SONGS」でのパフォーマンスを聴く限り、単線のヴォーカルでも十二分に渡り合えそうな予感がする。ブレスがストレートに難しい曲だが、今のパワフルになったヒカルならウォーミングアップ代わりにオープニングで歌っとくか位に頼もしい事を言ってくれそうな気がする。あとは、テレビではそもそも居なかった満員の聴衆に対して求心力或いは訴求力をどれだけ持てるかだ。その際に、あのユーモア溢れる『(road!)』の部分をどうするかが見もの、課題である。

果たしてマイクをこちらに向けて聴衆に歌わせるのか、或いはバンドのメンバーの誰かが合いの手のように切り込んでくるのか。一回々々の公演で持ち回るのもいいかもしれない。『今夜の『(road!)』は小森くんだからね〜!(笑)』「いやヒカルさん僕ステージに居ないっすよ!(泣)」みたいな感じでひとつ。何しろこの曲『道』にとって『(road!)』は"タイトル・コール"なんだから重要っすよ。

しかし、最初歌詞のない状態で聴いた時は全然聞き取れなくってね、『(road!)』。確かに『Its a』って不定冠詞aが入ってるように聞こえるのに後に続く名詞が見当たらないなぁと思ってたのよね。あんなに小さく『(road!)』って言ってたとは。全く小さく前に倣えじゃないんだからもっと目立っといてくれよそこは。(意味不明なツッコミ)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨夜の「NHK SONGS」の放送が終わって、いよいよアルバムリリースを待つばかりとなった。日曜日には先行試聴会があるのでそこからグッと解禁ムードが高まるだろうか。これで『桜流し』『花束を君に』『真夏の通り雨』『道』『二時間だけのバカンス』『ともだち』とアルバムの半分以上の楽曲が露わになった。アルバムの全貌とは言わないまでも、後ろ姿、いや横顔くらいは見えてきた気がする。

しかしそこは宇多田ヒカル、残りがアルバム曲だからといって埋め合わせのトラックなのかというとそんな事がある筈もなく。先行公開された楽曲たちはティザーとして優れていると判断されただけで、クォリティーの面では、少なくともこの日記を読みにくるような酔狂なファンにとっては区別をつける理由などないだろう。

特に、もうひとつのフィーチャリング曲である『忘却』とヒカル自身が最も誇らしいと言い放つ『人魚』が未公開なのは大きい。いずれも、昔でいえばアルバム発売後のシングルカット候補曲になるのだろうか。楽しみである。更に『俺の彼女』は『The Workout』くらいにはセンセーショナルだろうし、『人生最高の日』はもうタイトルからして期待を煽られずにいられない。個人的には、長編小説を読んでしっかり準備して聴く『荒野の狼』も楽しみだ。どうやら、相変わらず隙のないアルバムに仕上がっていそう。

だが、正直なところバカ売れする予感は無い。例えば雑誌「MUSICA」には三者レビューが載っていたが、手放しで絶賛する内容はひとつもなかった。かといって内容に苦言を呈するようなものもなく、全体の印象は「最高傑作ではないが、ブランドの名に恥じない手堅い新作」という程度の評価を匂わせている。

そこを切り込んで「いや、この楽曲にはこういう魅力があるんで」とひとつひとつ薙ぎ倒していくのが無意識日記の芸風だが、残念ながら宇多田ヒカルはPop Musicianだ。そんな注釈はなしに、聴いた瞬間から恋に落ちるような即興性のある歌を書かなければならない。周囲からそう期待されているし、本人もその期待に応えようとしている。無意識日記のように、「別にPopsじゃなくていいんですけど」と言って出迎えるのは反主流派なのだ、その人数の多寡にかかわらず。それを残念ととるかだから宇多田ヒカルなんだと前向きに捉えるかはまた別の問題になるけれど、相変わらずそれが一対一の関係性に還元されるというのであれば特に気にする必要もない。これからの二週間くらいをしのげばまた静かな日々が来るかもわからない。ツアーが始まったらそんな事言っていられなくなるけども!

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




『道』はテンポ感のある、前向きな、でも切なさを湛えた如何にもヒカルらしい楽曲なのだが、この曲だけがもつなんとも言えないかわいらしさ、キュートさは一体どこから来るのだろう、と考えた時に思い当たったのは、この曲が「少し無理をしているから」なのではないかという事だった。

無理、というと語弊があるかもしれないな。この曲の歌詞は、最初に書いた通り、どこまでも消えない悲しみを感じさせている。のだが、何ていうんだろう、このコは本当は悲しいんだけど、こちらに語り掛ける今の段になった時には気を取り直して笑顔を作って「私、元気だから!」と言ってくれているように思えてならないのだ。悲しさは癒えないけれど、だからってずっと落ち込んでいる訳じゃない、ほら、こうして前を向いて歩み始めてるよ!と、そんな風に無理にでも笑ってくれているようなな。そこから来るなんとも言えないいじらしさみたいなものが楽曲の端々から滲み出ているのが感じられて、切なくなるというよりキュンとなる。キュートで、スイートで、チャーミング。

だからなのか何なのか、トラックのサウンドはどうにもスケール感みたいなものが足りない。いや、何か予兆や前兆のような"気配"が感じられてこの『Fantome』アルバムのオープニングとしてはこの上ないものなのだが、頼もしさみたいなものは、あんまりない。この歌を聴いて、「そうか、このコは悲しくてもこんなにも気丈に振る舞って笑顔をこちらに向けてくれてる(もしかしたらひとりになったらまた泣き崩れるかもしれないのに)んだな、俺も頑張らなくっちゃ」とは強く強く思わせてくれるが、このコに頼ろうとか甘えようとかは思わない。スケール感が足りないというのは、そういう所だ。その代わりに、他の曲にはないキュートさスイートさが出ているんだと思う。

例えば『traveling』や『This Is Love』なんかはイントロが流れ始めたもうその瞬間に引き込まれる。どこか新しい世界に連れて行ってくれるような頼もしさを感じさせる。しかし、シンプルなリズムから始まる『道』は、未来への気配は感じさせるがインパクトはない。必死さを笑顔で覆い隠したような、今までにない切なさが作られた軽やかさで紡ぎ出されてゆく。

技術的には、歌はしっかりしてるんだがバックのサウンドが地味、という事だ。『DISTANCE』にしろ『COLORS』にしろ、キャッチーな歌メロとともにシンプルですぐに入り込んでくるインストのテーマ・メロディー(キーボード・リフ)が楽曲の骨格を形作っていた。そのサウンドが我々を宇多田ヒカルの世界に引き込んでいた。

『道』に限らず、『Fantome』の楽曲は、このまま揃っていけば『歌メロと歌詞は充実しているが、インストとサウンドはイマイチ』という評価に落ち着いていく気がしてならない。それは、ヒカルのリフを書く才能が枯渇したとかいうのではなく、単純に、歌と詞で表現される"私"の心が、この世界の今どこに居るのか見えていないからではないだろうか。

歌モノの作品において、バックのインストは「その世界に引き込む」という重要な役割を果たす。『Fantome』は、『道』のあのシンプルなイントロによっていわば「ぬるっと」始まってしまう。もしあなたが彼女の歌に耳を傾けるつもりが最初からあるならそれでもいいだろうが、そうでない人にとってまず『道』はいつの間にか始まっていつの間にか終わる曲でしかない。歌自体は凄くPopでキャッチーなのにね。

だからどうこう、というつもりもない。極端に言えば、器楽演奏でがっちり音世界を作り込んでしまわなかったからこその『気配』なのかもしれないし、聴く耳を持つ者にとっては余計な雑音に邪魔されずにそのままヒカルの心と言葉に触れる事ができていいかもしれない。しかし、だからこそ、打ち込みであろうがなかろうが、ここにあるのは剥き出しの、"場所を選ばない"宇多田ヒカルの心である。『道』のイントロは、だから、正直で、故に生々しい。敢えて言おう。本来ならこういうレアなサウンドをこそ"Rock"と言ったのだ。

だから、『道』は間違いなくライブで化ける。その生々しさは率直さとなってあなたの心をグイグイ引っ張ってゆく。そのシンプルさは楽しみに来ている貴方を魅了して離さない。まだピンと来ていない人も、暫しの間、コンサートまで待ってみて欲しい。もう気に入っている人は、各位が書くコンサートレポートを楽しみにしてみよう。『Fantome』の物語は、思いの外長くなっていきそうな気配だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




テレビ出演というのは難しいもので、特に今回の形態の収録だと聴衆もそこからの反応もなく、その場に居合わせた番組制作者たちの評価しか無い。どう歌えばいいのか、なかなかに掴みづらいだろう。

今回のヒカルは、歌唱という面では合格点だったが、パフォーマンス全体としてみるとやはりやや物足りない。そこは流石にブランクがあったろう。スタンドマイクで立ち位置も固定なのにパフォーマンスも何もあったものじゃない、と思われそうだが、これはどちらかというと意識の問題だ。今のヒカルは「聞かせる」面も「見られる」面もまだ意識が足りていない。「歌う」だけで手一杯だ。本来ならそこから更に進んで「見せる」から「魅せる」にまでもっていかなければいけない。

番組に出ていた他のアイドルたちは、歌唱力では較べるのも暇な話だったが、この「見せる」意識は流石に皆高かった。そりゃもう年がら年中「見られ」続けているのだから当然といえば当然なのだが、当然だからこそ差が出る。人前に出続けるというのはそれだけでひとつのスキルに成り得るのだ。

しかしまぁ、取り敢えずは「聞かせる」ところからだろうか。順序としてはまず「自分の歌を唄う」ところからな訳で、ヒカルは何も間違ってはいない。ただ物事の手順として今その段階に居るというだけだ。他の番組出演の収録はどうやら終わっていてその時系列も判然としない為そこからヒカルの意識の変化と推移を読み取るのは難しそうだが、少なくとも全体として大体の位置取りはわかるだろう。

流石にまだ「聴衆/リスナー/オーディエンス」の顔が見えていないか。それが覗かせられれば、少しずつ変わっていくだろう。

しかし、今は『Fantome』のセッションである。ヒカルの意識として総ての歌を「母に捧げる」心づもりで挑んでいるかもわからない。となると、確かに、こちらに対して「聞かせる」「見せる」意識も希薄だろうし、どのように「見られて」いようがさほど影響はないだろう。コンサートツアーが始まる前までなら、それでいい。

ニュー・アルバムをリリースしてそこからのリアクションを貰って、初めてヒカルは自分がPop Musician"である"事を思い出すのかもしれない。だとすると事前に『二時間だけのバカンス』のような楽曲を書けたのは驚異的というしかないが、これももしかしたら「ゆみちんに聴かせたい」という企み心がそうさせたのかもしれない。母に次ぐ2人目のリスナーだ。母はもうヒカルの(そしてその他の皆の)心の中にしか存在しないが、椎名林檎嬢はバリバリ生きている。生きて外側に在る生物に気に入って貰えるように作るのがPop Musicなのだから、2人目以降のリスナーが決定的に重要である。可能性は薄いが、生の歌唱もまず林檎嬢に聞かせるシチュエーションからもっていければ、うまく流れに乗れるかもしれないなぁ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人の喉というのは不思議なもので、筋肉の癖に、休ませたら衰える事もあればパワフルに復活する事もある、何とも不思議な器官である。ヒカルは6年間歌っていなかったらしいが、どうやらそれは衰弱の契機ではなく心地良い休息となったようだ。野球投手の肩が消耗品で、極端な話一生で投げられる球数が決まっているかのような扱いをされる訳だが、喉も時に使い過ぎれば衰える。ファンの殆どは、無理なスケジュールで喉を潰す位ならゆったりした日程で末永く歌って欲しいと思っているのではないか。今のところ、ヒカルの喉は健在で、何よりだ。

『桜流し』は4年前、即ち過去の曲だ。以前であればアルバム2枚分昔ということも出来、必然、もう既に歌い方が変わってしまっている、とも解釈出来る。初披露の時点で過去の曲、という取り合わせが何とも奇妙な状況を生んでいる。iTunes Storeでは既に『Fantome』のうちの1曲として『桜流し』が売られていて、しっかり"Mastered for iTunes"のマークがみえる。もっとも、iTunes Storeの音源管理は笊みたいなものなので(だってねぇ、解禁一時間前に買えるようになってるだなんてなぁ…これが初めてじゃないんだよ)、実際は従前の音源でした、なんて事があっても一切驚かないが、先述の通り、しっかり音質が改善されているのが聞いてとれるのでご安心を。

音質が変わったが、しかし、パフォーマンスは過去のままだ。それを考えると、昨日のMusic Stationでの歌唱は現在の解釈での『桜流し』という事で、より『Fantome』らしい、ともいえる。『桜流し』のトラックだって11分の1を担っているのだからおかしな言い方なんだがね。

2006年6月に発売になった『ULTRT BLUE』であっても、2003年1月リリースの『COLORS』がフィーチャーされていて、アルバム曲に数年単位の時間幅があるのはこれが初めてという訳ではないが、こうやって"6年間歌っていなかった"と言い切る条件下で11曲並べられると、流石に歌い片の差異、違和感は出てくる。実際、現在の5曲を並べてみても、『桜流し』はやはりヴォーカルの雰囲気が違う。1曲だけスタジオもマイクも大きく違うのだしミックスだって別物だから、というのも勿論理由のうちだが、やはり声自体がか細い。今のヒカルの歌声は、野太いとはまた違った意味で太くなっている。いや、発声の許容量が大きくなっていて、より言葉を明確に発音出来…早い話が、ダイナミックレンジが大きくなっている予感がする。抑揚の幅と精度の微細さが上がったのだ。過去最高の歌唱をみせた『桜流し』でさえ、何かそこだけ小さな箱に収められたような印象を受ける。

ただ、まだヒカルはこの自分の声の"新しいポテンシャル"を使い切っていない。少なくとも今まで聴けた5曲の中では。今後6曲に更なる新境地がみれるのかはたまたそれは次作に持ち越しか今の時点ではわからないが、ともあれ今回の11曲で聴ける歌いっぷりは間違いなく過去最高のクォリティーに、なるだろう。パフォーマンスもサウンドプロダクションも。まさかこんなに歌手としての未来が拓けてしまうとは以前は思ってもみなかった事なので、嬉しい驚きなんですよ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨夜はMステ出演ご苦労さん。喋りはあんまりにもいつも通りのヒカルさんだったので違和感無さ過ぎて全然久し振りな感じはしなかったよ。実際、2014年までラジオで喋ってたので、二年半ぶり位だし、その程度のブランクなら言う程でもなく。ルックスも、妙な髪型をしてくるのは今に始まった事ではないし、それだったらCDTVのベラメイクの方が余程インパクトがあった訳で、『Be My Last』の続きみたいなコンセプトだからそこまで目新しい訳でもなく、有り体に言ってしまえば「いつものテレビ出演」以上でも以下でもなかった。

しかし、歌に関しては確実に時間の経過を感じさせた。『桜流し』。オリジナルの発表から既に4年近く経過している訳で、時間軸上では"ロンドン五輪の頃の歌"だ。随分古い。しかし生歌(録画だったけどな)の披露は当然ながら初めてな訳で、果たして、随分とオリジナルとは異なるアプローチをとっていた。

聴き慣れている分、ついついオリジナルとの差分をとってしまいがちだが、余韻を出し過ぎないように語尾を短く切り、一方で伸びやかさを増した歌声との抑揚を明確に表現し…と言いたいところだが、恐らく、頭に思い浮かぶ理想的な歌唱の半分も再現出来ていないのではないか。単純に、新しい歌い方全般にまだ慣れておらず、チューニングの途上であるように感じられた。

聞けば6年間、全くプロフェッショナルな歌唱をしていなかったという事で、じゃあ『桜流し』はいつレコーディングしたんだとツッコミを入れたくなったが、要するに今回まっさらな気分でレコーディングに臨んだという事だろう。『真夏の通り雨』と『花束を君に』で聴かれたように、発声より発音に随分変化が感じられる。それでも『桜流し』の場合オリジナル・テイクに対する"リスペクト"がある為そこらへんはまだ表立って浮上してはいないという印象だ。

4年という月日は長い。『Kuma Power Hour』は2年半前で『桜流し』は4年前。番組中にも流した事がある位だから自ら聴き直す事もあったろうが、その間にこの歌の持つ意味合いは随分と重くなってしまった。元々重かったのにね。それも加味して考えなければならないが、更に後日、NHKで新たなパフォーマンスが見られる。またその時に比較検証する事に、しようかな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




妙な間合いだな。まぁいいか。

あと一週間で『Fantome』が店頭に並ぶ。このリズムは『宇多田ヒカルのうた』の時にも見せてもらった。更にあそこから年月を経てまた微調整が効いているのだろうが、あと8日間で本当にガラッと空気が変わるだろう。ピークの持っていき方はまさに集団心理戦だ。

今日零時からのEVAQ攻めもまたこのリズムに貢献している。『花束を君に』のミュージックビデオから始まって、『道』、『二時間だけのバカンス』と惜しみなく投入されていく。

しかし、この流れはつまり、何か1曲をドカンと投入すれば済むアルバムではない、という事も示唆されている。シングル曲としての決定打が多分無いのである。いや、一曲はあるかもしれないが、それはシングルカット用にとってあるのだろう、『Prisoner Of Love』のように。

確かに、ポップでキャッチーだからといって『二時間だけのバカンス』に総てを任せるのはリスキー過ぎる。これは、好き嫌いが激しい。しかも、割合は半々である。更に、これがウケる層はひとの顔色を窺う。趨勢によっては爆発するし、空気によっては爆縮する。勿論、前述したように、当たってしまえば大ヒットだ。特に、LIVEで盛り上がる事は間違いない。林檎さんパートをどうするかという問題はありますが。

そちらがどうなるかわからない中、『道』は言わば保険である。宇多田ヒカルの、宇多田ヒカルによる、宇多田ヒカルらしいリーダートラック。『DISTANCE』や『traveling』並みの人気を獲得できるかと言われればわからないが、今までのファンは安心して楽しめる。私としては「『This Is The One』に入ってそう」というのが正直な感想だが、そこらへんはあんまり日本人に知られていないので今言わなくていいヤツだな。

そしてEVAQの映像復活は勿論、ヲタク側の宇多田ヒカルファンを目覚めさせる。恐らく、『二時間だけのバカンス』を気に入る層と、驚くほど重なっていない。それは『道』にもいえる事だが、梶さんはこのラスト10日間で“合算”を狙ってきているようにみえる。ゴールデンタイムのテレビドラマで、お互いにファン層の重ならない、しかも確実に固定ファンがチェックしにきてくれる役者さんを多数多彩に揃えるように、ヒカルの楽曲の多様性を利用して、排他的に重ならないファン層をひとつひとつ取り込みに来ている、そう解釈している。

となると、ここから一週間の“動かし方”みたいなものを予想してみたくなる。『二時間だけのバカンス』で30代女性とか90年代J-popファン層を呼び寄せ、EVAQでヲタクどもに思い出して貰い、あそうそう、キングダムハーツの『光』と『Simple And Clean』の新しいリミックスもあったな、ここもしっかりつっついている(弱いとは思うが)。そういう組み合わせの中で、今日はMusic Stationに出演して『桜流し』を歌うというのは、なんだろう、そういった様々な計算を超えたものも想像してしまう。

確かに、この曲知らない人も多いんじゃない? 一部の熱狂的なファンは勿論御存知過ぎるほど御存知だが、EVAQにも宇多田にも興味無い人が触れる機会ってそう多くはない。特に、Music Stationを観るような層には効き目があるかもわからない。

勿論、テレビ出演の選曲理由はどれもシンプルだ。「NEWS ZERO」だから『真夏の通り雨』、NHKだから『花束を君に』。わかりやすい。こういった"配置"の数々が、どこにどのような影響を齎していくか。梶さんはどこまで計算・予想しているのか。特に、フィジカルを売るには随分先まで見通して初回生産量を決めねばならない。今彼はその数字を具現化すべく目標をもって動いている。どこまでそれに迫れるかはわからないが、かなりやってくれてる予感はする。あとは結果を見るだけだ。私たちは、素直にヒカルのお喋りを楽しむ事に致しましょ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




今日はMステフェスで桜流し。あっちであの曲が初披露でこっちでこの曲が初オンエアで、という事前の告知を組み合わせると『桜流し』か未発表新曲5曲のうちのどれかという消去法だったのだが、ここにきて『桜流し』を歌うかね。どうやら収録放送のようだしそうなると期待しかないが、幾ら何でも4年前の曲、そうそう話題になるものでもないだろうに。聴けるこちらは万々歳であるとはいえ。

となると、カンフル剤としてのミュージックビデオ投入は確かに良策。24時間限定公開も、完全にテレビ出演に合わせた方策だろう。ここのところ確実にプロモーションスケジュールが週や日単位から時分秒になってきている。スマホ時代なんだから当たり前なんだが、宇多田ヒカルの場合旧来の恐竜メディアが未だに主体なので、そちらの図体の大きさとそれに由来する鈍さも計算に入れなければいけない。早過ぎても駄目、遅すぎても駄目。果たして放送まで12時間だの17時間だのでの燃料投下はどこまで成果を上げますやら。推移を見守ろう。


『桜流し』か。正直EVAQ同様テレビ向きではないし、タモリとの軽妙なやりとりのあとにさぁどうぞと言われるのはなんて気がしなくもないが、良かれ悪しかれ切り替えが難しい訳でもなく。存分なパフォーマンスを期待したい。出来れば、フルストリング&フルバンド編成で聴きたいが、この枠ではかつて『Be My Last』をチェロ一本で歌いきった事もある為、どうなっている事やら想像もつかない。ポール・カーター来日、とかあったらそれはそれで面白い。先日彼が『桜流し』の経緯について語っていたが、あれも今回の前フリだったのかな。

スタジオ・カラーの方はこれでまた再スタートを切る感じだろうか。ミュージックビデオには未使用テイクも用いられているという事で、既にミスリーディングが始まっているんじゃないかなと訝ってしまうが、流石にそこまでは考えてはないか。なかなかにいいビデオなので24時間限定公開は何とも惜しい。後日再お披露目されるようだが(という事はまた直しが入っているのかなぁ)、今のうちにしっかり観ておこう。ともあれ、復帰後初地上波パフォーマンス、緊急事件や事故などなく無事に放送される事を望みたいものです。平和が一番だからね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あぁそうそう、忘れないうちに書いとくと、既に『花束を君に』も『真夏の通り雨』も『桜流し』も「Mastererd for iTunes」だよ。まだ聴き比べてないので確証はないのだけど、しっかりリマスタリングしてある。特に『桜流し』のサウンドプロダクションに不満を持っていた人は是非。たったの250円。

さて『二時間だけのバカンス』の話に戻ろう。

この曲は、本当に危ういバランスの上に成り立っている。いや、成り立つかどうかは、これから決まるんだが。

私のこの曲に対する評価を最初に結論付けて記してしまおう。「事前の私的な期待に100%以上応えてくれる楽曲がやってきたのに、それは気がついてみたら自分の好みから全くかけ離れた作品だった」。つまり、私は自分の好みから遠い曲を事前に期待していたのに気がついた。流石宇多田ヒカル、見事に期待に応えてくれたが、全然この曲好きじゃない(笑)。

これも結論から言うと、この曲は売れなければ話にならない。売れなければ全く意味が無い。大ヒットを宿命づけられた曲だ。世の中には「隠れた名曲」といって有名ではないが素晴らしい楽曲は山ほどあるが、『二時間だけのバカンス』は隠れてしまったら掛け値無しの駄曲である。しかし、もしこの曲とビデオが話題になりアルバムセールスを押し上げたのなら、途端にこの曲は歴史に燦然と輝く名曲となるだろう。まさに、生まれついての、純度100%のポップ・ソングだ。全く凄い曲を作ったもんだ。

しかし今は、まだ発表されて24時間も経っていない。真価が発揮されるとすればこれからだ。その為、曲を聴いていると奇妙な不安定感に襲われる。まるで何も聞こえてこないような。あらゆる感想と評価が「絶妙」と「微妙」の間を行ったり来たりしていて、まるで乗り物酔いをしている、そんな気分。

といえば、本筋から外れるけど、やっぱり私なら、前にちらっと書いたけど、『道』のラストを『そんな気分』から『おひさしぶり』に変えたトラックを“ラジオ・オンエア限定テイク”として全国のラジオ局101局に配布したかったなぁ。こういうアイデアも、当たらなければ頗る格好悪い。

戻ろう。『二時間だけのバカンス』は、例えば発売のタイミングからして微妙なような、絶妙なような。歌詞の内容は、ゆみちんとひかるちんと同世代の女性たちにエールを送るような内容で、「今年の夏もまとまった休みがとれなかったなぁ」と嘆く女子たちの癒しとなる事請け合いなのだが、この、9月16日解禁というのはちょうどいいタイミングなのかやや遅きに失しているのか、どうなんだろう。地域によっては「もう秋だよ!遅いよ!」になってやしないか。先述のように、聴き手が「もうそろそろ夏も終わりかな…」と首を傾げつつあるタイミングだとすれば、絶妙だ。でなくば微妙だろう。さぁどっちだ女子たち。

歌を聴いてまずビックリするのはサビメロのどキャッチーさだ。三回目のサビに来る頃には既に鼻歌で歌っていてしまいそうなくらいにすぐ覚えられるメロディーで、なのにしっかり独特の流れがある。『Keep Tryin'』は「どう?変わったコードでしょ?」とどや顔だったがこの『二時間だけのバカンス』は顔色ひとつ変えずにサラリと流してくる。そのこましゃくれた感じが全く私の気に入らない。心憎いを通り越してただただひたすら憎たらしい。

しかし、なんというか、"お手本"のような曲だ。ポップソングを書きたい人の為の、みたいな広範で曖昧なものではない、これはハッキリと、「宇多田ヒカルが椎名林檎にポップソングの書き方のお手本を示した曲」である。流石にヒカルにそんな尊大な気持ちは無かったであろうが、結果的にそこに着地してしまっている。ビデオではヒカルが寄りかかっているが、ポップミュージックの真の女王は勿論宇多田ヒカルだ。

椎名林檎が歌ってくれているから如実にわかるだろう、この曲は「本来陽向でポップソングを歌うような体質に無い椎名林檎が、その場所を(女王の留守中に)死守する為に悪戦苦闘して慣れないポップさを必死に出そうと頑張っていた椎名林檎が"こ、こういう風に書きたかったの!"と言いたくなる歌」である。ヒカルなら書けるのだ。無理をせず。本当に凄い才能だと思う。私は全然好きじゃないけどな。

「セラピーに集中してエンターテインメント性の低いアルバムになっているのではないか」という私の心配に満ちた予想が、もうまさにガラクタのような杞憂となって道端に捨てられた。それ位にインパクトと娯楽性のある楽曲だ、この『二時間だけのバカンス』は。まだまだ語り足りない事がある。暫くこの余波は続きそう。全然好きじゃ、ないけれど。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




梶さんの前フリによるサプライズは『二時間だけのバカンス』がfeat.椎名林檎でかつ同曲のミュージックビデオの発表だった。いや驚いた。曲名を先に発表しておきながらfeat.の部分を隠していたとはね。すっかり騙されてたよ。他ミュージシャンとのコラボは増えるだろうとは大方の予想だったが、発表されたリストにfeat.云々の話がなかった為、「詳細はブックレットを手に入れてからかな〜」と漠然と思っていただけに、いやはや、参りました、降参ですm(_ _)m

しかも、話題性抜群。若い子に神通力が通じるかは不明だが、20代後半以降にとっては「神コラボ」扱いだろう。ベジータとカカロットでベジットとかドラゴンボールでペンギン村に行った回とか…いや鳥山明で喩える必要は無いか。二人の仲を知る者なら「待ってました!」と膝を打つ事請け合い。「ここで来たか!」というのもあるだろう。

それにしても、しかし、あらゆるレベルで危ういバランスを狙ってきたものだ。これは結構ギリギリのラインを攻めている。

まず、こういう超大物同士のコラボは「落ち目扱い」される危険に曝される。ピンではどうしようもないからなんとか話題づくりの為に手を組んだ…というまさにベジータとカカロット状態な。勿論、「なんて豪華なんだ!」という素直な感想が押し切るかもしれないが、今の時点ではどちらに転ぶか本当にわからない。特に2人とも商業的全盛期はとうに過ぎている為、叩くにはいい材料である。劣化とか言われてるし。節穴だって集まれば大きな落とし穴になるのだ。あぁ怖い。

次に、歌詞のテーマが不倫な事だ。演歌でも歌謡曲でもJ-popでもよくある中のよくあるテーマでそれ自体は本来なんてこたぁないんだが、今回の記事をチェックする為にYahoo!に飛んだらサイドのランキングに「三田寛子お詫び行脚」とか「乙武洋匡離婚」とかの記事が上位に来ていてなぁ。そういえばベッキーの失脚も不倫が原因で、今年の話題なんだっけ。今はいつも以上に不倫に対して風当たりが厳しい。歌詞はフィクションなんだから、なんて釈明が通じるような人は最初っから他人の色恋沙汰を非難するような真似はしない。『二時間だけのバカンス』は当初『One Night Magic』(これもコラボ曲だ)同様アルバム曲だと思っていたからそういう歌詞があっても問題無いだろう、と思っていたが、こうやって「アルバム最大の看板曲」として大々的にフィーチャーされるとなると一抹の不安を覚える。これもどちらに転ぶかわからない。危ういバランスにある。

そして、いちばん危ういのはその曲調なのだ…という話からまた次回。レコ直限定という事で、まだ手に入れてない方はすまぬ。次は曲の話をするです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『道』を聴いていて、何だか既視感があるな〜何だっけなぁ、とずっと思っていたのだが、やっと突き止めた。こっこの「遺書」だ。

い今までのヒカルの曲のどれかに似てるんだろうな〜と漠然と前提に考えていたせいで暫く気づかなかった。ヒカルの曲じゃなかった。しかし、だからと言ってこっこの歌そのものでもない。私が既視感を感じていたのは、Kuma Power Hour Episode.2(2013.6.18tue)でその「遺書」をフルコーラスでかけた直後にヒカルが口遊んだ(「遺書」のアウトロのスキャットの)フレーズだ。『カラオケで絶対歌うナンバーです』と言い切るだけあって、歌い慣れたものであったが、と同時に、こっことは違う、何とも言えないヒカルらしさを感じた瞬間でもあった。『道』にはその時のヴァイヴがある。

勿論、フレーズをパクっているとかそんな次元の話ではない。もっと曖昧な、フィーリングのレベルでの話だ。何というか、哀感と諦観の狭間に可愛らしさが見え隠れするような独特の魅力。それがこっこの『遺書』(をヒカルが歌ったヴァージョン)と『道』の共通点だろう。

今聴き返しても、強烈な歌詞である。

「私が前触れもなくある日突然死んでしまったならあなたは悲しみに暮れて毎晩泣くでしょう」

「骨埋める場所なんて要らないわ
大事にしてたドレスも写真立てもひとつのこらず焼いて
そして灰になったこのカラダを両手に抱いて風に乗せてあの海へとかえしてください」

この曲をオンエアしていた時、まだ圭子さんは生きている。そうでなくなるのはここから僅か2ヶ月後のことだ。幾らカラオケで絶対歌うナンバーだからといっても、実際に母を散骨したヒカルがこのこっこの歌をすぐに歌えたとは聴けたとはとても思えない。文脈とあんまり関係ないけどこん時はこっこだっけCoccoだっけすまん失念してしまった。

ヒカルも、『道』を歌った時に『遺書』が念頭にあった訳ではないだろう。しかし、どこかにこの歌のもつ強烈なヴァイヴが残っていて、それが『道』に作用したように感じられてならないのである。奇妙な既視感だったが、今は確信に近い。並べて聴くと、本当に姉妹のようである。


まぁこれもあんまり関係ないけれど、『道』のブリッジを聴いてたらザ・ナックの「マイ・シャローナ」を思い出してな。これは似ていると言われれば確かにそんな気がしなくもない程度かな。それに、音楽的にそんなに近くないしな。


にしても、いい曲だな、『道』は。パワープレイともなると個性的な歌は何度もラジオから聞こえてきてしまうといい加減食傷気味になったりもするのだけれど、『道』は短くあっさりとしていて押し付けがましくないからサラッと何度でも聴ける。それでいてちゃんとフックラインがあって気がついたら口遊んでいる。なんとも絶妙なバランスのリーダートラックだ。一旦封印した言葉をまた使いたくなったよ。この曲は中毒になる。

しかし、だからこそこの歌はアルバムのNo.1ソングでは有り得ない。確実にこれより感動的な歌がまだ後ろに控えているのだ。だからこの歌はこうなったのだ、という感じが強くする。間も無く配信開始だから皆、心して出迎えましょう。ここは肖ってFMラジオ風に言った方がいいかな? Stay tuned and DON'T MISS IT !

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




プロモーション態勢についても触れておきたい。『道』については、ラジオ解禁と配信販売開始日が2日ズレているのが特徴的だ。今までは、ラジオ解禁と配信開始が同時だったり、今年4月のように週単位で間隔が空いたりしたが、今回は2日という短いスパン。寧ろ、48時間と表現した方がしっくりくる。

熟慮の末だろうか。つまり、同時だと聴きたい人はさっさとファイルを買ってしまってラジオを聴こうとしない、週単位でズレると皆聴き慣れてしまっていて新鮮味がなく改めてダウンロードしようとは思わない、という見立てである。48時間の間皆一刻も早く曲を聴こうとラジオにチャンネルを合わせる。また、ラジオで新曲が発売されると知った人が検索して「明後日(or明日)発売されるのか」と知ってくれれば、忘れられないうちにダウンロードしてくれる、という寸法。ラジオを聴いて貰った上で配信のスタートダッシュも目論めるバランスを追究していった結果が"48時間"なのかもしれない。

そこには、「ラジオも一緒に盛り上がろう」という強い意志が感じられる。メディアをツールとみなさず、一緒に力を合わせて音楽業界を盛り上げようと、レコード会社とラジオ曲が同じ方向を向いている。実際、確かに「101局パワープレイ」なんていうフレーズは聴いた事がない。どれだけ力が入っているんだ、と。

これが可能になるには、ヒカルが、リスナーのみならず、放送に携わる人たちの間で非常に人気が高い、という背景が要であった事だろう。送り手側も皆、宇多田ヒカルを待っていたのだ。ラジオ局は相変わらず苦戦が続いている。出演しているDJの人達も「通販番組やる為にこの業界に入ったんじゃない」と内心臍を噛む思いで居たのではないか。「だって音楽番組じゃスポンサーつかないのだもん」と言われて悔しい思いをしている中で『通常盤仕様1形態』と銘打って音楽一点勝負を仕掛けてくれる宇多田ヒカルは掛け値無しに救世主だろう。一緒になって盛り上げようと気運が高まるのは創造に難くない。皆味方なのだ。

果たして『道』がその熱気と期待に応えるかどうかはわからない。本来いちばん響く筈の10代の若者たちに届くかどうかが鍵になるとは思うが、まずはヒカルの事をよく知る年寄り世代が何とか盛り上げていかなくてはならないだろう。と言っても、私は何をするでもないのですが。ただ愛すべき歌を愛する、それだけでいいんですじゃまいか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ