無意識日記
宇多田光 word:i_
 

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そうか、今日で『FINAL DISTANCE』発売から15年か。向こうから15年後を眺めるのは大層難しかったが、なるほど、こんな風になってるのねぇ。未来への風景というのも興味深いもんだ。

この時のセッションでヒカルが痛感したのは、総合して言えば「曲が作曲者の意図を超えて育つ」という事実だろう。作曲は、最初に頭の中に浮かんだアイデアを忠実に現実の音にする事にとどまらない。作っていくうちに、向こうから何かを喰い破ってくるかのように、「生まれてくる」としか表現し得ない、強い存在を感じる事だと身を以て経験した。その最初…かどうかはわからないが、その記念碑的作品ではあるだろう。

翻って15年。『俺、こんな作品二度と作れねーよ。』という一言は、作品が自らの意図を大きく超えて育った、という事を意味しているようにみえる。他にも、母を亡くすのは一度きりで十分だから、とか(確かに)、同じ作風を繰り返す事はこれからもない、とかの解釈も可能だろうが、どちらかというと、“まぐれ当たり”を指して「お、俺今のもう一回やれって言われても無理だから! たまたま当たっただけだから!」と狼狽しているのに近いように思える。

でも、クリエイターはそれでいいのだ。人生は一度しかない。毎回そのまぐれ当たりに辿り着いた挙げ句に人生を終えれば、本人の実感とは別に、それがその人の実力としての評価になる。要は、まぐれ当たりをその都度捕まえて世に出すまでの苦労に耐えられるか、だ。それが出来る人だからここに居るのだ。

しかし、毎度まぐれを当ててばかりだと今度はそれが普通になってしまってまぐれでなくなっていく。そうなると更なる大きい当たりをどこかで見つけなくてはならなくなる。その時に、そこからより高い場所を目指すか、一旦下山して他の山を登り始めるか、悩みどころだ。今度のニューアルバムはその問いに対する答になっているだろう。

『FINAL DISTANCE』には、したがって、今はもう取り戻すべくもない初々しさがある。この完成度で初々しいもないと思うのだが、新鮮な驚きと、二度と来ないかもしれない瞬間を大事に大事に抱き締める幼けさが録音から漂ってくる。初披露のUnpluggedも見事だった。1回目と2回目、どっちのテイクだったか忘れちゃったけど。

33歳になった今でも「二度と」と言えるヒカルは恵まれている。しかし、恵みを齎したのはそうやって15年前から大事に大事に歌を歌ってきたヒカル自身だ。それをして孤独といわしめるのは簡単だが、最早今はそれを超えた所に居るのだろう。我々が答を知るまであと9週間。待ち遠しいの一言では言い表し切れない感情を抱えながら待つとしませうか。

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Awestrickenて見慣れない単語だなドイツ語か何かかなと思ったら『畏敬の念に打たれる。』ときた。嗚呼、"awe-stricken"て事ね。ゲシュタルト構築したぜ。aweといえばSCv1の詩は『In awe...』から始まっていたなと回顧する。"self-prophecy"に関する詩だが、更に強力になった今ではもう「下手な詞は書けない」と思っているのかな。残念。含意が判明するのは事が起こった後だ。それまでは運命に言わされ続けるしかない。

その能力をこの5年間で"手懐けた"というのなら怖い。最早それはただの超能力者だ。何か、面白くない。

どう折り合いをつけたらいいかは本当にわからない。

ただ、ただ手を拱いているだけでは3年前の夏の悲しみにはかなわない。それを乗り越える、対峙する、いや、その悲しみと共に生きるにはどうしたらいいかという時に、ヒカルが作詞という行為をどう捉えたか。その結果が、一旦もう出ている訳だ。アルバムに収録された楽曲の歌詞として。

今。ヒカルがどういう精神状態にあるか。『今回は全部の歌入れが終わった夜から、泣いたぜ。』――よく読んだら、"夜に"じゃなくて『夜から』なんだよね。そこから一定の継続した時間、或いは断続的に泣いたって事だよね。なんか、凄いなぁ。洗い流されたというか、山ができたというか。山か。山かもしれんな次のアルバムは。これは、楽しみだわ。

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インスタグラムの地面シリーズがそのうち写真集になるんじゃないかって勢いだな。タイトルでも考えてみるか。

最初に出てくるのは「Hits on the ground」とかだろうか。「踊るヒット賞・地面編」みたいなもんか。地面に転がっている"ヒット商品"の数々。それを考えると、写真を撮るだけで持って帰らなかった某DVDの現物を持っている人は、居たらぁけど、写真集が出た暁にはレアアイテムとして重宝する事になるな。もう一度拾い直すなんて、ないんだろうけれども。

「ひろいせかいでひろいもの(広い世界で拾いモノ)」なんてのはどうか。確かに、一発で中身のわかるタイトルだがこの語調は宇多田ヒカルらしくないな。いや、そもそも拾ったものの写真集なんて世間的に宇多田ヒカルらしいかと言われたら違う訳でそれを言い出したら始まらないんだが。

「拾得物Shoot !!」。今度もダジャレかよ。和洋折衷案。ShootもHitもまぁ大体似たような語感だがベクトルがちょっと違う。これじゃ拾って捨てたみたいな。いや、実際ヒカルは拾って写真を撮った後拾ったモノをどうしてるんだろうか。件のDVDはそのまま戻したようだが、ちっちゃな靴とかはそのまま持って帰ってもかさばらないし。もしいつもその場所にそのまま戻してるんなら、このタイトルはそれはそれでアリかもわからない。

「Pick-ups from the Earth」或いは「地面からの贈り物」なんていうやや気取り気味のタイトルも考えたけれどあんまり大層な感じが出るとあの素朴で「端っこの方に目をやりました」っていうコンセプトがやや薄れるかなとも思う。写真全体としてはアーティスティックなんだけどね。

なら「地球の片隅」なんてどうだろう。球体に隅も何もないのだが、だからこその忘れられた感が堪らない。悪くない。ただヒカルさんに「隅」の字を見せても「隈? くま? クマーッ!」とか言い出しそうなのですなおに「かたすみ」とひらがなにひらいておいた方がいいかな。「地球のかたすみ」。あれ、なんかイカスミ感やカラスミ感が出てくるな…。

とまぁ、出るかどうかもわからない写真集のタイトルについて考えるという不毛な日記だったのだが、いや、あれだな、儂タイトル考えるの好きなんだな。この勢いでニューアルバムのタイトルも考えたいけれど流石にそれは難易度高過ぎなので今回は遠慮しておく事にしますかね。でも、既にヒントは出てるのかもしれないんだよねぇ…?

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インスタグラムの地面シリーズがそのうち写真集になるんじゃないかって勢いだな。タイトルでも考えてみるか。

最初に出てくるのは「Hits on the ground」とかだろうか。「踊るヒット賞・地面編」みたいなもんか。地面に転がっている"ヒット商品"の数々。それを考えると、写真を撮るだけで持って帰らなかった某DVDの現物を持っている人は、居たらぁけど、写真集が出た暁にはレアアイテムとして重宝する事になるな。もう一度拾い直すなんて、ないんだろうけれども。

「ひろいせかいでひろいもの(広い世界で拾いモノ)」なんてのはどうか。確かに、一発で中身のわかるタイトルだがこの語調は宇多田ヒカルらしくないな。いや、そもそも拾ったものの写真集なんて世間的に宇多田ヒカルらしいかと言われたら違う訳でそれを言い出したら始まらないんだが。

「拾得物Shoot !!」。今度もダジャレかよ。和洋折衷案。ShootもHitもまぁ大体似たような語感だがベクトルがちょっと違う。これじゃ拾って捨てたみたいな。いや、実際ヒカルは拾って写真を撮った後拾ったモノをどうしてるんだろうか。件のDVDはそのまま戻したようだが、ちっちゃな靴とかはそのまま持って帰ってもかさばらないし。もしいつもその場所にそのまま戻してるんなら、このタイトルはそれはそれでアリかもわからない。

「Pick-ups from the Earth」或いは「地面からの贈り物」なんていうやや気取り気味のタイトルも考えたけれどあんまり大層な感じが出るとあの素朴で「端っこの方に目をやりました」っていうコンセプトがやや薄れるかなとも思う。写真全体としてはアーティスティックなんだけどね。

なら「地球の片隅」なんてどうだろう。球体に隅も何もないのだが、だからこその忘れられた感が堪らない。悪くない。ただヒカルさんに「隅」の字を見せても「隈? くま? クマーッ!」とか言い出しそうなのですなおに「かたすみ」とひらがなにひらいておいた方がいいかな。「地球のかたすみ」。あれ、なんかイカスミ感やカラスミ感が出てくるな…。

とまぁ、出るかどうかもわからない写真集のタイトルについて考えるという不毛な日記だったのだが、いや、あれだな、儂タイトル考えるの好きなんだな。この勢いでニューアルバムのタイトルも考えたいけれど流石にそれは難易度高過ぎなので今回は遠慮しておく事にしますかね。でも、既にヒントは出てるのかもしれないんだよねぇ…?

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ったく、普段は謙虚めで自分の事讃えたりしねぇってのに。「私は母親似の美人です」っつったりしても違和感ねーのによ(キャラ的には違和感があるが、事実としてはな)、そんな事微塵も言わねぇ。なのにこと作品が完成した時はいつだって自信タップリだからいつも「あれれ」ってなる。こんなに尊大だったっけと。だがしかし、やっとこっちが作品を聴いたら「なんだ、事実を言っていただけか」となる。「尊大になってたんじゃない。見たままを素直に伝えたに過ぎない」と。その、ヒカルが完成品を聴いて自信満々になってから我々がその全貌に納得するまでの謎の間。理屈ではわかっていても、この期間だけはヒカルが自信家で尊大にみえる。昨日から9月27日までが、その時期だ。

それも、慣れてきたっちゃあ慣れてきたか。これから、幾つものインタビューをチェックできる。その度に『俺、こんな作品二度と作れねーよ。』という一言を目にする。或いは、思い出す。なかなか自分からは言えない一言だと思うのだが、聴いたら私はきっと「嗚呼、こりゃ他に言いよう無かったわな。」と言うだろう。そういう事なのだ。

しかし、あと9週ずっとという訳ではなく、勿論先行配信曲があるだろう。それによってアルバムの全貌の片鱗(素で変な日本語だな)がかいまみれる。それは、ある意味では『真夏の通り雨』や『花束を君に』より重要だ。これらの曲は、シングル曲として、それぞれの曲の世界で完結していればよかったが、先行配信曲はそうはいかない。どうしたって、「アルバムの予感を運んでくる楽曲」としてみられてしまう。責任重大、だな。

となるとセレクトが難しい。シングルカットとなるとどうしてもタイアップとの兼ね合いがあるのでセレクトといってもそもそも選べる余地がない、というのが現実だったりするが、それでも、例えば10年前の『ULTRA BLUE』から先行配信された『This Is Love』は完璧だった(うわ、滅多に使わない熟語を使ってしまったぞ)。アルバムの一曲目、ストレートな曲調、煌びやかでインパクト抜群なイントロダクション。期待を抱かせるという意味ではこれ以上ない曲調で「うわ、こりゃまた大変なアルバムになるな」と思ったが、果たしてまさにその予感通り、『ULTRA BLUE』は大変な傑作となった。もう10年も前の話だが。

あそこまで行かなくても、いや勿論行って貰ってもいいんだけど、そういう『予感』を運んできてくれる曲がいい。『ULTRA BLUE』からの先行配信曲が、幾らヒカルが気に入っているからといって『日曜の朝』だったりしたら、予感は醸成されなかっただろう。こういう曲は、予感に導かれて辿り着くから真髄を味わえる。風を切って先頭を走ってくるタイプじゃない。

そういう意味では、『HEART STATION』からの先行シングルが『HEART STATION』だったのは冒険どころか無謀とすら言えたが、そこからアルバム後に『Prisoner Of Love』をシングルカットしてくるんだから事前の無謀も致し方なかったと言わせられたのだ。曲が揃ってるって、本当凄い。


そんな作品を作ってきたヒカルパイセンが『俺、こんな作品二度と作れねーよ。
』とまで言うアルバムである。ハードルを上げすぎて最早走り高飛び、否、棒高飛びみたいになっていたとしても大丈夫、なのだろう。…理屈で推測は出来るのだが、実感が伴わないうちはやっぱりただの妄想である。音楽鑑賞は体験である。その日その時その場になっていないと、本当の所はわからない。CDはコピーだが、体験は一期一会の、掛け替えのないものだ。おいらもまた『震えて待て』って、言うしかないんだろうな。早く来い来い9月28日水曜日。

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昨日は一気にいろんな記事が出た。すぐには追いつけないが、相変わらずマイペースで。

やっと『花束を君に』が配信でプラチナを獲得したらしい。25万ダウンロードだな。先月予測ポイント上では25万弱だったので最後の一押しというところだったが、朝の連続テレビ小説もあと10週でどれだけポイントを伸ばせるか。CDアルバム発売が決まったんなら買い控えになるのかな。毎朝テレビで聴けるんだからわざわざ買わなくても、と思ってる人は逆にドラマが終わったら花束欠乏症候群にかかるのだろうか。ダウンロードだけであと5万くらいは積みたいが、満員の甲子園くらいの人数か…なかなか難しいかな。でも『桜流し』が35万ダウンロードだからEVAファンの配信親和性を考えるとそんなに変わらないのかもしれない。

配信がどうしても肌に合わなくてCD発売を心待ちにしている人たちがどれくらい居るのやら。世代が巡り過ぎてどこの誰が何を買ってくれているのかさっぱりわからなくなった。ニューアルバムの発売は、結局のところギャンブルに近い。

社会現象と言われるまでになると「知らないとマズい」と言われるようになる。今だと「ポケモンGO?何それ?」と言ったら慌てられる、みたいな感じか。宇多田ヒカルは17年前それになった。だから買われた。

その、雰囲気作り。流石に、名が固定された大御所には難しい。誰もが既に知っているから改めて知る必要もない。大御所の新譜はいつの時代もそんな扱いを受ける。マイナスからのスタートなのだ。いや、現役を大御所呼ばわりするのもどうかと思いますが、そうやって「押し込み」をしようとするのが空気だという事だ。

だから、本来なら、長期間顔を出さない挙げ句の復帰はチャンスなのだ。居ない間に伝説化して復帰時には復帰前よりもてはやされるというパターン。エアロスミスみたいな。例が相変わらず古いけど。

しかし、今のヒカルは覚えられ過ぎているのかもしれない。そこのバランスだよね。適度に忘れてもらって、盛った評価とそっと入れ替える的な狡い手段が通じない。

それでいい。歌が気に入って買ってくれるというシンプルな人が増えるのがいい。だからまた通常盤仕様1形態、通常盤仕様1形態と連呼したくなる。ヒカルにとって自信作。それがわかった今となっては、「あとは梶さん頑張ってね☆」でしかない。古参は緩やかに縁の方で眺めている事に致します。

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1ヶ月ぶりの回答第3弾着地。今回も漏れなくツッコむっ!

全角丸括弧内が私。地の文はコピペ。


***** *****


「#ヒカルパイセンに聞け」回答第三弾


仕事がはねてもまだ宵の口。
ちょいと一杯ひっかけて、
ぴりりと辛い山椒をひとつ。
うだる暑さも気の持ちよう。
アルバム出来たらこっちのもんよ。
夜風を肴に名調子。
ささ、今宵も聞かせておくれ、パイセーン。


(最後は「さぁさ」でないと符に落ちないぜ。いや、実際は「(ん)ささ、」と最初に休符を入れるのかもしれんな。それならアリだ。が、「…おくれ。パイセーン!」と読点でなく句点で切った方がいいんでは。何の話だ俺。)
(いやその前にアルバム出来たの!?)


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たくみさんの質問
人の身体、脳の機能で一番面白いと思うものは何すか?

ヒカルパイセンの回答
常に大量の情報にさらされる中の、その情報の整理と処理の仕方(記憶のメカニズム)についてもっと知りたいぜ。
そもそも脳が記録しないようなことっていっぱいあるよな。大事なはずなことを忘れて、どうでもいいようなことを覚えてたり。いったい俺はどうやって自分にとって必要な情報とそうでない情報を分けてるんだ?


(『脳が記録しない』かどうかは、サバンとかもあって難しいぜ。"忘れる"は"思い出せない"事で、記録されていないとは即断できない。記憶は常に想起され、想起は毎回記憶を書き換える。非侵襲参照は不可能なんだぜ。)


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すんすんらんどさんの質問
ヒカルパイセン!次のアルバムはどんなアルバムですか?

ヒカルパイセンの回答
俺、こんな作品二度と作れねーよ。


(それでいい。同じものを複数回作れるならそれは"製品"だ。それも実によいが、アートとしての"作品"は一期一会こそ真髄。傑作内定。)
(しかし、聴くのが怖ぁなるやないかそんなこと言われたらなぁ…?)


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aさんの質問
アルバムが完成する瞬間ってどんな気持ちになるんですか??

ヒカルパイセンの回答
今までは、CDのサンプル版を手にした瞬間「おおお、本当に完成したんだ」って高揚と安堵のようなものを同時に感じてたけど、今回は全部の歌入れが終わった夜から、泣いたぜ。


(それは我々も全部の歌を聴き終わったら泣いてしまうという事か。事か。しかし、そこまで言わせるとはこりゃとんでもねーヤツが出てきそうだな…)


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フクさんの質問
復帰後初の待望のオリジナルアルバムに、先行シングルカットでのご本人出演のMVを期待してもよいでしょうか?

ヒカルパイセンの回答
震えて待て


(おぉ、フクさんおめでとう。そしてナイスな質問。これで言質がとれたなっ! まぁこれから撮影かもしれないが…。ミュージックビデオが寒冷地での撮影で「俺が撮影の待ち時間に震えてたぜ」ってパイセンが言うオチじゃなかろうな…)


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ヒトさんの質問
自分のイメージをだれかと共有するときにこうすると上手く共有できるというコツはあるんすか??

ヒカルパイセンの回答
自分と相手を隔てるものは肉体だけだから、自分がイメージをしっかり持ってれば相手に伝わると思ってるぜ。
音楽製作の現場で、音を言葉で説明しなきゃいけないことがよくあるんだけど、「もっと濡れた感じ」とか「ザラザラした音」とか「ここのコードのテンション痛くていいね」とか、感触で表現することが多いぜ。


(感触って触覚の事かな? あたしゃ2つ以上の感覚を組み合わせて表現するかな。「白い肌触りのする音」「明るく響く匂い」みたいなな。「黄色い声」とかってのの応用だな。)
(いやその前に『自分がイメージをしっかり持』つのがいちばん、異様に難しい。イメージにはズーム機能がないからな、顔をみてドラえもんかどうか判断するのは視覚が機能していれば造作もないがドラえもんをペンで描くのは練習無しでは難しい。ペンで描く為には細部をズームしなければいけないが、記憶した時点で既にズームにしたデータが無ければそれは脳には出来ないんだぜ。だから、人にイメージを伝える時に大事なのは、細部を伝えるより「全体の感じ」を「全体の感じ」のまま表現する方法を自分なりに見つけていくしかないんだぜ。…だぜ口調って恥ずかしいもんスねパイセン…。)
(なんか『ULTRA BLUE』を思い出した…。)


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ariiiさんの質問
子育て中、「もう無理〜!」ってなった時、パイセンはどうやって気分転換しますか??

ヒカルパイセンの回答
こども抱っこして好きな音楽かけて目一杯踊る。


(抱っこしたまんま目一杯踊るの!? ダヌパ目ぇ回しちゃうじゃん。彼の方が「もう無理」って音を上げるという。いいのか。いや、これくらいの方がちっちゃいこどもは喜ぶもんな。持ち上げると振り回すはウケがいいぜ…。)


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メルモさんの質問
生後4ヶ月になる子どもを育ててます。ヒカルパイセンのように才能のある人生って楽しいと思います。親として今、良い音楽を聴かせてあげてますが、子どもの頃どんな音楽をどれくらいの時間聴いてましたか?

ヒカルパイセンの回答
音楽や芸術だけが才能じゃないと思うぜ。


(「才能のある人生って楽しい」ってのがそもそも。いつだっていちばん楽しいのは所属する集団の中で最大多数派である事だぜ…才能があればそれだけ特異で特殊な少数派になる。悪い事は言わないから平凡に育てた方がいいぜ…。)
(一方パイセンも、質問の趣旨は前置きとあんまり関係なく「子どもの頃どんな音楽をどれくらいの時間聴いてましたか?」なんだから素直に答えておけばよかったぜ。「藤圭子をナマで2時間ほど」とか。いやはや英才教育。羨ましい。ってどないやねん俺。)


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VERVSさんの質問
HIKKIは人生とは何だと思いますか?

ヒカルパイセンの回答
人生なんてただのイメージで、あるのは今日の過ごし方だけだと思う今日この頃だぜ。


(ではその人生のイメージを自分の中でしっかり持ってるなら今こそそれをどう表現して伝えてられるか、っていう格好の実践の機会を逃したぜパイセン…。)
(それとは別に、いい回答だぜパイセン。俺なら勿論「人生とは一炊の夢に過ぎず」って答えるぜ。パイセンと似たようなもんかな。)


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toshi@yamaさんの質問
今まで作った歌で、一番好きな歌と歌詞のフレーズはなんですか。

ヒカルパイセンの回答
幸せとか不幸だとか/基本的に間違ったコンセプト/お祝いだ、お葬式だ/ゆっくり過ごす日曜の朝だ
(『日曜の朝』)


(『ぼくはくま』の『しゃべれないけど歌えるよ』『ケンカはやだよ』『冬は眠いよ』あたりかと思ったが、ハズレたぜ。でも確かにこのフレーズ気に入ってるよね、パイセン。これがパイセンの人生のイメージを的確に伝えている気がするぜ。ちゃんと回答してるじゃん。)


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しゅーさんの質問
今日「希望学」の講義でパイセンの「絶望の反対はユーモア」という言葉が話題に上がりました。そこで質問なのですが、今のパイセンなら「絶望の反対は?」という質問に何と答えますか?

ヒカルパイセンの回答
絶望の反対も絶望かもしれねーな。
その間に希望とかそういうのがある気がするぜ。


(わかる。めっちゃわかるぜ。宇宙ってそういうカタチしてるよな。外縁が総て絶望なら希望は私の心の内にのみ…って書くと陳腐だから次からはパイセンの真似して「絶望の反対は絶望」って言う事にするぜ。ウソだぜ。)


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さだぽこさんの質問
娘が毎晩同じ絵本を読んで欲しいと来るのですが、正直飽きて読み方もだんだんぶっきら棒になってきてます。どうしたら、、、

ヒカルパイセンの回答
ぶっきら棒に読んだら自分もつまんないから、俺は自分が楽しいように盛り上げたり声色を変えたり、間(ま)のとり方にこだわったりして読んでるぜ!
あと毎回「この子に絵本を読んであげられるのもこれが最後かもしれない」と思って読む。お、重いか?でもほんとにそうかもしれねーし。


(重くねーよ。子育ては一瞬の油断が怖いんだから。何故彼らが飽きずに何度も同じ本を読みたがるか。それは、その度に新しい事を学んでいるからだぜ。同じ筆致でも二度辿れば彫りが深くなる。記憶と想起の関係そのものだぜ。大人はすぐにわかったフリをして逃げるから「飽きる」を発明したんだぜ。だから、こどもはひとつ飽きるたびに大人になっていくんだぜ。)


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☆魔女☆クリスタル☆宇宙☆さんの質問
繰り返し読むような、お好きな詩はありますか?また、お好きな詩人はいますか?

ヒカルパイセンの回答
最近、小説とか短編に興味なくなって詩ばっかり読んでるけど、なんだかんだ言って宮沢賢治の「春と修羅 mental sketch modified」以上の衝撃を受けることはないぜ。


(おぉ、確か青空文庫にあったな。今度読んでみよう。しかし、『小説とか短編に興味なくなって』たとは意外だったぜ。)


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ポッキーさんの質問
人付き合いが面倒で友達が減っていきそうで怖いです。どうすれば良いですか?

ヒカルパイセンの回答
つき合うのが面倒な友達なんて別にいらないんじゃねーか?


((笑))



(今回も面白かったぜ! 第4弾は、あるのかな?)

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庵野さんわざわざ謝るの巻。シン・ゴジラ封切を前に庵野総監督がEVAの遅延を謝罪したとか。身を削って作っているからと。それはよくわかるが、彼はシンジたちのこれからの動向が気になってないのかな。キャラクターたちがどう動くかだなんて、実際に動かしてみないとわからないだろうに。それとももう既に「結末」は決まっていて、行く方法がわからないから途方に暮れているのか。いずれにせよ待つしかない。モチーフとは結局のところ、自然発生的でしかないのだから。

彼の口ぶりからすれば、EVAに全く進捗はみられず、したがってヒカルのニューアルバムにはEVA関連の楽曲は『桜流し』以外収録されない事になる。これがフェイクだったら大したものだが、流石にそれはないか。未だにアルバムタイトルが『未定』なのでどうしたって勘ぐってしまうわ。


一方現実世界では、オセアニアを皮切りに、だっけ、「ポケモンGO」が世界的な社会現象になっているらしい。日本は今月中のリリースかと言われている。夏休み中にしたいよねぇ。連日一般ニュースで流れてくるエピソードの数々がまるで筒井康隆の小説みたいなのばかりでもうおかしいやらうすら寒いやら。完全にSFの世界ですよ。テロも戦争も全部スマホで済ませればいいのに。

しかし、GPSを使うとこんな事が出来るんだねぇ。考えた事もなかった。発想のスケールに圧倒される。私はプレイする気はないが(そもそもガラケーユーザーだ)、これから1ヶ月くらいは外に出掛けたら面白いものが見れる&ようよう周りを気ぃつけて歩かんといかん。歩きスマホだらけになる訳でな。何か対処を考えないと。

そのポケモンGOの任天堂といえば、12年前には「NINTENDO DS」をUtadaのCMと共にリリースした。親しみやすい最先端、というイメージが合致したのだろうか、CM曲である『Easy Breezy』は邦楽なみのオンエアを獲得する。干支を一回りして、今回はどこにも噛んでいないのかなとちら見したい気分ではある。新曲が世に出てくれれば何でもいいけどな。

ただ、ヒカルの今のイメージは、どちらかというと時流と無関係な「名を成した大物」ポジションにあるように感じられるので、任天堂とかの新しい製品をというよりはやはりキングダムハーツのような確立したコンテンツとのコラボレーションの方が、消費者心理としてはしっくりくるのかな。どうだろ。わかんない。

ただ、そういう「流行に左右されない」盤石さが無くては、EVAのような「気の長い、いつ起こるかわからない」コンテンツとのお付き合いは不可能だろう、という事はいえる。そういう側面からみても、庵野総監督の私小説的なアプローチが機能している限り、たとえ今回のアルバムがシン・エヴァとの繋がりを見せなかったとしてもヒカル以外にその位置に居座り続けられる人は居ない。暫くは、間も無く上映のシン・ゴジでも観ながら?気楽気長に待つ事に致しましょう。

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さて、今度のアルバムは今まで以上にコンセプチュアルな匂いが漂う。『桜流し』『真夏の通り雨』『花束を君に』と3つ曲名を並べただけでアルバムに固有の"色"が見えてくるかのようだ。

今までも、そのアルバムなりのカラーというものはあった。しかしそれは、狙いを定めてというよりは、ヒカルが没曲も作らず(通算で僅か2曲)あまり昔のアイデアを引っ張ってきたりしない(『For You』や『テイク5』も、完成品をとっていた訳ではない)為、自然に「その時期の宇多田ヒカル」が反映された結果という事が出来る。ある程度コンセプチュアルにみえても、それは意図的ではなく結果論である、と。

しかし、今回は様子が違う。今のところは。先立つ3曲のテーマは完全に『喪失』で統一されており、もしこのテーマの曲がフル・アルバム中この3曲のみならば、浮くだろうねアルバム全体の中で。

そこで、ヒカルがアルバムというものをどのように捉えているかといういつもの問いに戻る。恐らく、「いつも通り」だろう、いつも以上に。というのも、『通常盤仕様1形態』だからだ。奇を衒わない、王道を行く。寄り道も道草もせず堂々と真ん中の最短距離を行く感じ。ありきたりなフォーマットにして、完全に中身で勝負、歌で勝負。それが今回の狙い。コンセプトと言えるものがあるとすればまさにそこだろう。

であるから、ヒカルはいつものように、予めコンセプトを決めてアルバムの全体像から作る事はせず、一曲々々を丁寧に仕上げる事にだけ注力していると推測する。あの『HEART STATION』ですら、曲順を決めるのは他の2人のプロデューサーに託した程だ。ひたすらまず曲を仕上げる。それしか無いだろう。

そういう態度でずっと来ていれば、逆に、複数の曲で同じテーマを扱うというのは不思議な気がする。いつも、「Utada Hikaruは新しい音楽のプチ・ジャンルを開発し、そのジャンル下の最高傑作を最初に作って去っていく」と私は書いているが、であればつまり、そこに描くべきテーマはその都度曲が完成する度に描き切って出し切ってしまって、次に他の曲を作る際には引き摺らない、作詞作曲は常に、曲毎に新しい生命を生み出すように為されている、そういう風に解釈してきたのだ。

となると今回のアルバムは何になるのであろうか。連作なのか、或いは、Hikaruにしては珍しく、ひとつの曲に総てを込める前に完成品として世に出してしまったのだろうか。


ここからは完全に妄想である。今のHikaruは、もしかしたら、まだ今の自分の力量に追い付き切っていないのではないか。特に、母を喪った事によって掻き立てられた感情は、今までにないレベルにまでヒカルの心を押し上げてしまっていて、その心的経験とその表現としての作詞と作曲が、まだまだ発展途上にあるのではないか、ならば、その、自分自身の認識を超えた所にある楽想たちは、まずは今自分が見えている分の感情を曲としてカタチにした後で、その曲を両手で抱き締めた後初めて見えてくる景色というものがあって、次の曲とは即ち、その見えてきた次の景色との"格闘"によって又生まれてきているのではないか、そしてそれを、詞と曲で表現した時に、今目の前に見えている景色と昔見た景色が繋がっている事に、その時初めて気がつくような、そんな流れの中で楽曲が生み出されてきているのではないか、そんな想像が今、私の中で広がっている。

実際、『桜流し』が作られたのは母を喪う以前の話だ。なのにその後作られた『真夏の通り雨』と『花束を君に』がなぜここまで『桜流し』と呼応し合うのか、『SAKURAドロップス』と繋がる景色がみえてくるのか。何か、そこに、ヒカル自身のやり方は変わっていないのに、結果出てくる音楽が今までにない生命的な繋がりを持って生まれてきているのではないかという気がしている。さて、本当の所はどうなのか、10週待てば答が出る。ひとまずその時まで生き残りませう。

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ニューアルバム発売まであと10週。8年半ぶりという事でそこから数えると430週ほど経っていて、その中の10週というと、あら、そこまで間近って訳でもないか。随分来た、というのは間違いないが。

8年半となるとファンの私生活も変わっているだろう。義務教育を受けていた者が人の親になっていたりあれやこれやで生き残っていなかったり本当に人それぞれで。そういうもんだと言ってしまえばそれまで。

これだけの年月の間一応のこと「アーティスト活動休止期間」を謳っていたのなら、基本的には昔からのファンが少しずつ離れていって、しかし新しいファンがそうそう入ってくる筈もなく、という事態を想定していたのだが、現実はどうなんだろうか。

あクマでも何となくの印象でしかないが、ニューアルバム発売の報に対して意気軒昂なのは寧ろ新しく入ってきた若いファンの方であり、オールドファンは何かそこまで盛り上がっていないように感じられる。アーティスト活動休止期間であったにもかかわらず、ずっと活動中であったかのように「ファン層の入れ替わり」をすら感じる。自分の勝手な印象を元に感想を言っても仕方がないのだが、「意外だなぁ」というのが正直な所だ。

8年以上の月日を考えると、ヒカルに興味を失ったというより、個々人の生活環境が変わって歌手に期待する云々のリズムが人生の中から失われた人が結構居るのではないか、という推測も出来る。そういう人なら、ニューアルバムが出たのか、じゃあ買ってみようと気軽に思えるやもしれぬ。それなら、売上には影響が少ない、か。

ファン層が"入れ替わっている"としたら、ヒカルから見えている風景はどんなだろう。年下がますます増える。それを見越しての"パイセン"呼ばわりだったら先見の明だけれど、実際の所はどうなんでしょね。

若い子たちには、そもそも「こういう人」を何だと思ってみているのか、訊いてみたい気もする。バラエティーに出る訳でもない、CMに出てる訳でもない(ペプシですら6年前ですから…)、一応歌っているから歌手、なんだろうが、西野カナとかと同類なんだろうか、それともサザンやユーミンみたいな"クラシック・ポップス"の仲間にみえてるんだろうか。

うちらからしたら「カテゴライズ不能。いや不要。宇多田ヒカルは宇多田ヒカルというカテゴリー」とわかったようで結構無意味な事しか言えないのだがそういう「唯一無二感」を、若い世代がどう感じとってくれるのか。検索タグで概念を分類するのに慣れ切っている世代が、タグづけの難しいこのアーティストをどう捉えてくれるのか。今後はそこらへんも楽しみにしてみようと思う。もう暫く待ってみよう。

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「とと姉ちゃん」、少しは評価を回復してきたかな。「 #とと姉ちゃん反省会 」タグの中にも、無理やり難癖つけたいだけのものがちらほら。あクマでちらほらだけど。

急激に面白くなった訳ではないし相変わらず作りは雑なのだが、曲がりなりにも本題といえる雑誌作りが始まった事と、やはり何より、唐沢寿明が画面に沢山出てきてる事が大きい。いや、その一点のみと言ってもいい。大変な名優である。

「純ちゃんの応援歌」の時はまさかここまでビッグな役者になるだなんて夢にも思っていなかった。「さくら」に長澤まさみが出てきた時に「あぁこの子は主役の子より遥かにビッグになるわ」と感じたのとは対照的だ。なかなかに人の将来を見極めるのはむつかしい。

「CASSHERN」の時も思ったが、如何にストーリーが破綻していようと彼はワンカットの立ち回りで視聴者を惹き付ける。大変な技量である。おんぶにだっことはこのことか。

「 #とと姉ちゃん反省会 」タグを見ていて気がついた事だが、このドラマ、熱心に観てる人程評価が辛口になるらしい。真剣に観てキャラクターに思い入れを作ってきた人ほど、数々の唐突なキャラ崩壊に憤慨している。先週は沢山「鞠子ってそんな人だっけ?」という旨のツイートをみた。この特徴は相変わらず健在である。

逆に、今までの展開や人間模様が頭に入っていない、作品に対してさほど思い入れのない人ほどこの作品への評価は高い。毎日の15分、最初に流れる主題歌は宇多田ヒカルだし役者陣は唐沢寿明をはじめとして演技のしっかりした人ばかり。小橋一家は美人揃いで朝から眼福である。軽妙なやりとりでくすりと笑いをとったかと思えば壮大な音楽に乗せて感動的なシーンも演出してみせる。これまた皆迫真の演技で迫力がある。嗚呼、『迫真に迫る』のメッセを思い出してしまった。それはさて置こう。

つまり、「とと姉ちゃん」の弱点は最早雑な脚本と雑な演出の二点のみなのである。その他の、主題歌、芝居、セット、カメラワーク、背景音楽などはもう総てがハイレベル。特に、今まであまり触れてこなかったが、ここぞという場面でかかる曲の幾つかは非常に存在感があり、いきなり話を知らない状態でチャンネルを合わせても何となく感動させられるような力強さがある。そこに唐沢等の熱演が目に入る。そりゃあ「おっ」となるだろう。

一方、第一週から丁寧に観て来ている人たちは、そういった壮大な音楽が流れている場面であればあるほど冷め切っている事だろう。白々しい、わざとらしい、不自然だ、いやもう不愉快ですらある。音楽でごまかそうったってそうはいかないぞと身構えてしまっている。曲のよさも役者陣の演技も、耳に目に入らない。ちょっと不幸。

それが「とと姉ちゃん」の見方なのだ。森田屋の面々や青柳の皆の消息云々をきっぱり忘れ、綾さんの微妙な女心の動きを踏みにじるような主人公であってもそれはそれ、何となく流しておけば気にならない。確かに、フィクションだから構わないだろう。現実には誰も傷付いていない訳だから。

脚本と演出さえ諦めてしまえばなかなかに楽しめるのがこの「とと姉ちゃん」。なんだか、最近の配役も含めてまるっきり「CASSHERN」そのものだ。何より、原作やモデルに対するリ…今宵はここらへんでやめておこうか。ドラマを楽しめるか楽しめないかなんて、そういう気の持ちよう1つなんですよ、ええ。

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今年はもう完全にBABY METALの年で。現在北米ツアーの真っ最中だがTwitterで流れてくる集客力の話やフェスティバルでの格付けなどを読んでるとその受け入れられ方に驚く事ばかり。4月のウェンブリー・アリーナ・ソールド・アウトを皮切りに、9月の東京ドーム2Daysまでこの半年の快進撃は皆の記憶に刻まれる事だろう。この勢いでいけば次作の英米同時Top10入りは堅い。あらゆる記録を塗り替える事になりそうだ。

成功の要因は幾つも挙げる事が出来るが、いちばんの基本は3人が頑張り屋さんだったという事だ。そんな牧歌的な理由かと言われそうだが、10代の日本人女子が英米欧をツアーで周り続けるなんて過酷どころの話ではない。休まずショウに出続け全力投球する。移動と時差がどれだけキツいかは、日本で24勝0敗の記録を残した田中のマー君ですら中四日の登板間隔では結果を残せていない事からも明らかだ。もしBABY METALの3人がいつもの全力投球でこの半年を駆け抜ける事が出来たのなら、彼女たちの活躍は伝説として確約される。

一言でいえば"The Show Must Go On"なのだ。ステージに上がらなければ勝ちも負けも得られない。例え負け続けていても、勝負の舞台に立ち続ける事に価値がある。現実は負けが込むと舞台に上がらせて貰えなくなるけどな。


どうしたって、ボヘサマやウタユナやインフレの事を思い出す。現実にキャンセルを出したのはたった一回だけなのだが、その他の機会に二度倒れてショウ以外の仕事をキャンセルしているので、その印象が強い。幾ら天才でも、舞台に上がれないとどうしようもない。

どこが勝負の舞台か、という選択は有り得る。LIVEコンサートよりスタジオアルバムで勝負したい、と言うのもアリだ。しかし、それはどこでどう勝負すればいいのやら。我々はきっと満足するだろう。ヒカルは、そのリアクションを受けて、果たしてそれで満足してくれるだろうか。正直わからん。これは、ファンの方が考える事ではなく、本人の創作のモチベーションと直結している話だ。横槍は入れない。そろそろアルバムが完成する頃だろうか。プロデューサー2人の誕生日祝いと打ち上げが、同時になるかもね。

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アルバムタイトルが日本語だった場合は「嵐の女神」がいいんじゃないかと前に書いた気がする。今でもいいタイトルだと思っているが、現状、このタイトルになる可能性はほぼない、わな。

勿論、楽曲としての『嵐の女神』が収録されないと判明したから、というのが第一にある。ただ、自分としては、「アルバムタイトル曲が別のアルバムに収録されている」のもアリなんじゃないかと思ってきたので、それは理由の決定打ではない。まだ足りない。決定的だったのは、いつものヤツ、そう、『通常盤仕様1形態』である。

このコンセプトは、何よりもリスナーに「わかりやすさ」を提供する。買うときにどれとどれとどれを何枚ずつ買わなければいけないか悩む必要がない「これ1枚」。なんとも優しい。身を削ってまでわかりやすさに徹しておきながら、アルバムタイトル曲が収録されていないなんてトリッキーな事やる筈がない。私はそういうトリッキーな事も好きですが。

なので、恐らく、アルバム発売直前にアルバムタイトルトラックをリーダートラックとして配信シングルカット&ミュージックビデオ配信をして発売前プロモーションのトドメとしてくるんじゃないかというのが現時点での予想。王道中の王道を行く。商業音楽の命運を背負い込む責任感とでもいいますか。ど真ん中直球勝負なんじゃないかな。

ただ、過去作では、ご存知の通り、『First Love』はドラマのタイアップでアルバム発売後にシングルカット、『DISTANCE』はアルバム発売後に『FINAL DISTANCE』のカップリングとしてシングルカット、『Deep River』はシングルカットの予定を断念したかのようなミュージックビデオを制作、という感じで推移してきた。10年前の『ULTRA BLUE』から『BLUE』はシングルカットされなかった。8年前の『HEART STATION』で漸くアルバム発売直前(大体一ヶ月前)にアルバムタイトルトラックシングルカットが現れる。

ここで、8年前の流れを「前作だから」と踏襲すると読むのか、「8年も前の話だから」とまるきり無視して今の感触に従ってリーダートラックを決めてくるか、ちょっとわからんのよね。ただ、先述の通り、発売直前発表曲がタイトルトラックなら誰もが店頭でアルバムを探しやすい。シングルCDは恐らく発売されないので、同じタイトルのシングルCDとアルバムCDが並んで混乱を呼ぶ事もない。ここで一択、「今の宇多田ヒカルを聴きたいならこの1枚」という究極のわかりやすさを死守してくれれば、案外皆気軽に手を伸ばしてくれそうな気がしている。期待しておこうぞ。

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発売日は9月28日。水曜日だが、これは幾らかのファンにとってはちょっとした朗報かもしれない。

一昨年からだったか、国際的にプロモーションされるアーティストのニューアルバムを全世界的に金曜日に統一しようという動きがある。総てのコンテンツがそうなっている訳ではないが、未だに水曜日がメイン発売日の日本でもその煽りを受けて金曜日発売になるタイトルは数多い。店頭陳列も原則金曜日当日だ。日本は極東というだけあって、時差によって世界最速で手に入ったりしますのやが、兎も角、インターナショナル或いはグローバルなアーティストのニューアルバムは金曜日発売。これが定着しつつある。

で。今回のヒカルの新譜は水曜日発売だ。金曜日ではない。これ、裏を返せば、「今回の作品は国際展開しませんよ。日本国内を中心に動かしますよ」と言っている風にもとれる。勿論ただ単に"日本先行発売"なだけで、2日後には各国の店頭に並んでいるかもしれないが、それだって日本最速な訳で、日本優先・日本重視は変わらない。もしそうだとしたら、いつもUtaDAの活動を遠くで見守っていたファンからすれば朗報以外の何物でもない。何しろ、6年前は人間活動突入を発表してからEMIレーベルと世界規模の契約を交わしていたのだから。復帰第一弾がインターナショナル仕様であっても何の不思議もなかったのだ。それが。

前回触れたように、ここ数曲の新曲は日本語タイトルばかりで、このままアルバムタイトルが日本語混じりになっても流れとしてはアリである。どういう事情かはわからないが、今のヒカルは極めてドメスティックな印象を受ける。『花束を君に』が各国の配信チャートに顔を出していたとしても、だ。

ファンの中には無論反対側からみている人も居て、デビュー当時からヒカルに国際的な活躍を望んできた人も居る訳だ。そういう人たちからすれば今の現状はもどかしい、かもしれない。寧ろ、この年齢になって、長期離脱から復帰して、このタイミングでドメスティックな色を濃くするという事は、「小さくまとまっちゃったね」と呟かざるを得ない事態ともいえる。残念。そう言い切ってもおかしくはない。


でも、もしニューアルバムが日本語重視だとしても、それで国際展開が殺がれると断じるのは早計だ。先頃逝去された放送作家・ラジオパーソナリティ・作詞家の永六輔氏の代表作といえば中村八大作曲・坂本九仮称の八九六トリオによる「上を向いて歩こう」だが、この、ヒカルもデビューコンベンションで歌った名曲は、日本語の歌詞のまま全米チャートのNo.1の座に登りつめたのである。世の中、何が起こるかわからない。ヒカルのアルバムは、今後、世界中のあらゆる場所で手に入れる事が出来るようになっていくのだから。取り敢えず今は、日本での活動を重視するだろう方向性でいると解釈しておく事にする。

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