ロシア世界遺産紀行

2006年07月21日 | 海外にお出かけ

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ロシア世界遺産紀行   By Yoshio Motegi

4月上旬にパリでルーブルを、帰国後に上野でプラド展を見て、エルミタージュに行くならこの時期だなぁと漠然と思っていた。笠間市出身の山下リンのイコンもサンクトペテルスブルグの教会で見られるかもしれないと思い、ロシア旅行の資料を調べだして、個人旅行ではビザ取るのが難しいと判断し、旅行会社のパック旅行に参加することにした。選んだ条件は ①モスクワ近郊の「黄金の環」 ②ロシア歴史発祥の地「ノヴゴロド」を廻り ③ペテルブルグ3泊以上 ④スケジュールがゆったりして、出来ればJALで9泊以上である。当初7月になってからと思っていたが、サミットが7月15日から開始されるため6月29日に決めた。(クラブツーリズム コース番号 16700)

Russiamap 第1日 6月29日(木) [モスクワへ出発]  9:15 成田空港第2ターミナル I カウンタ集合 総員22名+添乗員

11:50 JAL441便で出発 モスクワ・シェレメチェヴォⅡ国際空港(地球の歩き方「ロシア」によると、「設備・アクセス・対応どれをとっても世界主要国で最低の空港)に16:45着。雨、気温26度。入国審査はすぐ済み、税関検査も無かったが、手荷物がなかなか出てこない。約1時間半後にバスでホテルに向かうが、すぐに渋滞に巻き込まれ2時間かかって漸くホテル「イズマイロボ・ガンマ」(80年オリンピックの選手村用に作った2000室の大ホテル)に20:20到着。まだ明るい。ロシア人のガイドの話では、モスクワの人口は1100万人だがベラルーシなどからの出稼ぎが200万人いる由。車は35万台で中古車も多い。半分は輸入車。ロシア製の新車は半年で故障する。道中何台かボンネットを開けて修理をしている車を見た。日本車は故障しないので好評。モスクワは想像以上に公園・緑の樹木が多い。ロシア人のガイドが東京タワーから見た“東京に緑がないのに驚いた”とのことだが肯ける。ホテルでルーブルに両替する。US$50=1275ルーブル。このツアーでは毎食に水(500ccのペットボトル)が出るので下戸の私は飲み物代無しで助かる。

Sankt01_2第2日 6月30日(金) 晴れ暑い [モスクワ市内観光]  交通渋滞の中、クレムリンの前を通って最初の観光先の世界遺産「ノヴォデビィッチ修道院」(写真・右)に向かう。駐車場がないためか数百メートル離れた湖畔から約20分修道院を遠望して終わり(これでは絵葉書を見ているようなものでがっかり)。次に「赤の広場」へ、11:50~12:30「ワシリー寺院」や赤の広場「グム百貨店」を見物して昼食。車窓からスターリンクラシックの建物や「救世主キリスト聖堂」を見物、14:30からクレムリン内の「武器庫」(歴代皇帝の宝物)を1時間見学。お土産屋(キャビアはこの店が最高で他では空港などでも偽物が多いとのこと、因みに最高級の青ラベル缶は113g入りでUS$170=約2万円)に30分寄ってホテルへ。ホテルの前の蚤の市に出かけたが閉店間際でめぼしいものは無し。「マトリョーシカ」5個入りで200~400ルーブルだった。ホテルで夕食、外出は止めて就寝。

Sankt05_1 第3日 7月1日(土) 曇り強風で寒い [世界遺産の「黄金の環」へ] モスクワから北東へ約70Km離れた「セルギエフ・ポサート」(Sergiyev-Posad)の「トロイツェ・セルギエフ大修道院」(この修道院の設立がこの街の始りで、1744年ロシア正教会の直轄となる・写真:トップ)を10:35分から約1時間見学。昨日は全く見られなかった教会内部の豪華な装飾やイコンに感激。朝のミサを神妙に拝聴。入場時の小雨も上がり、近くのレストランで水餃子の昼食、美味しかった。ここから180Km離れたウラジミールへ約3時間半の長旅、途中トイレ休憩で黒パン(クッキー)屋に寄る。甘くて美味しい。一番小さいもの(200g?)で25ルーブル。16:30から「ウラジミール」(Vladimir ・1108年ウラジミール・モノマフ大公により建設された)を観光。13世紀に作られた「黄金の門」、 「13世紀の土塁」と「ウスペンスキー寺院」(1160年創設、15世紀前半の有名なイコン画家アンドレイ・ルプリョーフとダニSankt08_1 エル・チョールヌイによるフレスコ画が有名:写真右)を外から見物。今夜の宿泊地「スズダリ」(Suzudal)へ18:00到着、ホテル(Pushkaraskaya Sloboda)は昨年出来たばかりで広大な敷地に客室40もある大きな棟がいくつもあり、ログハウスもある。夕食は近くにある親日家の農家の家庭料理、自慢の野菜たっぷりのサラダ・漬物(トマト・胡瓜・キャベツ);牛肉とジャガイモのメインディッシュ;自家製のパン;紅茶。「ななかまど」のお酒(50ルーブル)を頂く、梅酒に似ている。一旦ホテルに帰ったあと、21時頃から街角散歩に出かける。「スズダリ」(現地では“スーダリ”と発音していた)は15世紀にモスクワ公国の一部になってからの宗教の一大中心地をなり、17・18世紀に多くの教会が建設され今日まで街並みはほとんど変わっていないそうだが、寂れている。風もあり結構寒い。クレムリンの近くでは観光馬車がいた。1時間ほどでホテルに帰る。

Sankt10_1 第4日 7月2日(日) 快晴から曇り強風 [スズダリを観光] スズダリのレーニン通りをバスで10分、「スパソ・エフフィミエフ修道院」(1352年創設、街の北を守る砦のような城壁をめぐらした修道院・写真左)を見物。10:10から鐘楼から厳かな鐘が鳴る。城壁沿いに歩くと周囲の美しい景色が見られる。「木造建築博物館」を見学してクレムリンの中心部の「ラジヂェストベンスキー聖堂」(現存するスズダリで一番古い建築で1階部分は13世紀当時のもの)・府主教宮殿・鐘楼を見て、昼食後にモスクワへバスで4時間の長旅。夕食後、モスクワのひばりヶ丘から80年モSankt04_3 スクワオリンピックの施設やモスクワ大学の遠景を楽しんだ後、21時にモスクワ駅到着。21:50発夜行列車(写真右 18両編成 2等個室・1車両10室) 1室にベッドが上下に2つ計4人寝られるが、今夜は私一人専用、ただしベッドの幅は約70cmと狭い。軽食・飲み物・コップスプーンなどが置いてあり、小型ボイラーがあり給湯が出来る。女性二人が乗務し、着く前にノックしてくれることだったが、早く起きたので持参の味噌汁の素に熱湯を注ぎ味噌汁を飲む。トイレは動いている時だけ使用できる。トイレットペーパーも少量あるが日本のものより色が悪く少し硬いが十分満足できる。トイレットペーパーはホテルも同じだった(ガイドブックには日本から持参するように書いてあるが特別神経質な人でなければ不要と思う)

Sankt16 第5日 7月3日(月) 晴れ [ロシア最古の歴史都市世界遺産「ノヴゴロド」観光]  朝6時ノヴゴロド到着。バスでホテルに行き洗面トイレの後、8時から朝食。ノヴゴロドは862年リューリク(北欧のバイキングの一族)によりノヴゴロド公国として建国された。リューリク王朝はその後ロシア全土に拡大し、7世紀半続いてロシア国家の基礎を築いた。ここはバリャーグ(スウェーデン)からギリシャへの道と呼ばれる古代の貿易路の中心地で、コンスタンチノーブルまで伸びるバイキングの交易拠点として、また中世にはハンザ同盟との貿易を独占して発展した。ノヴゴロドで最も美しいといわれる「スパサ・プレオブラジェーニァ教会」(写真左上)や通りを挟んで隣に建つ木造の門が特徴の「ズナメンスキー聖堂」を外から見てから、教会が沢山あるボリシャヤ・モスコフスカヤ通りを歩く。壁がピンクの「宮廷のニコラス聖堂」(1136年)と通りを挟んで建つ中世のマーケットの建物「ヤロスラフの屋敷跡」を見物後に、ヴォルホフ川を越えてクレムリンまで歩き、「聖ソフィア寺院」(1045年に建てられた現存するロシア最古の建築、聖書物語が刻まれた青銅の扉は1187年Sankt15_3 スウェーデンのスィグチューナ要塞から運ばれたものと伝えられる)を見学、続いて「ロシア1000年記念碑」(リューリクの即位から1000年を記念して1862年に建てられた。リューリクの他、ウラジミール公;ミハエル・ロマノフ皇帝;ピョートル大帝;イワン大帝;始めてタタールを破ったドミトリー・ドンスコイの「選ばれしロシアの6人が並んでいる)を見た後バスで「ユーリエフ修道院」(1030年ヤロスラフ賢帝により創設)に入場見物(ただし肝心のフレスコ画のあるゲオルギー聖堂には入場せず)して昼食後に、サンクト・ペテルブルグへ、約3時間後モスクワホテルに17時到着。ホテルでの夕食後、19時過ぎから同行の2人の女性と地下鉄に乗り、この街で一番賑やかな「ネフスキー通り」にあるプーシキン縁の「文学喫茶」に出かけたが、カザン聖堂の近くのボート乗り場で急遽予定変更しボートツアー(400ルーブル)をすることになり20時から約1時間「血の上の教会」(写真右上)や「エルミタージュ美術館」「イサク聖堂」「ペテロパウロフス要塞」などを潮風に吹かれながら楽しく遊覧した。ボートを降りて「文学喫茶」に入ると生演奏をしており、ピアニストが日本人を歓迎して荒城の月や日本の曲を弾いてくれた。帰りの地下鉄で方向が分からなくなり駅員に確認する手間がかかったが楽しいひと時を過ごせた。

Sankt18_1 第6日 7月4日(火) 晴れ [サンクト・ペテルブルグ観光]  午前中市内観光、9:50からドーム屋根が金色に輝く「聖イサク寺院」(写真左)に入場。豪華な装飾・絵画に見惚れる。山下リンのイコンはなし。続いて道向こうの公園にあるピョートル大帝の「青銅の騎士像」を見て、バスを走らせペトロパブロスク要塞の島を遠望し、日本海海戦のバルチック艦隊の「巡洋艦オーロラ号」を岸壁から見て、「血の上の教会」を遠望し、お土産屋に寄り、昼食。昼食後14:30から約2時間半、待望の「エルミタージュ美術館」(写真右下)を見学。初めてなので迷子にならないようにカメラとビデオの撮影を止めて見学に集中するつもりだったが、グループツアーの入口が個人用の入口と違い、見学ルートが私の考えと違ったり、展示室が小さく部屋番号が見づらく、午前中の歩きで草臥れていたこともあり、個々のSankt19 絵画は名画だろうが、“ウフィッティのルネッサンス芸術;ルーブルのモナリザ・ミロのビーナス”のような強烈な印象はなかった。建物や装飾・例えば有名な孔雀の時計や床のモザイクなども印象に残らない。それでも、レンブラントの「放蕩息子の帰還」(展示されている254室より廊下に出て見た方が印象に残った) 「ダナエ」(ルーベンスより肉感的) ティツアーノの「悔悛するマグダラのマリア」(「ダビンチコード」以来マグダラのマリアは注目の人だがこの絵は何ともセクシー。上野で開催中のプラドプラド美術館のアントリーネス・ホセの「マグダラのマリアの被昇天」と顔と衣装が似ている)は良かった。ホームページのバーチャルツアーや本を読むのも所詮生兵法で先入観が入ってしまい良し悪しだ。それにしてもロマノフ王朝の財力に物を言わせて「後から寄せ集めした美術館」と言ったらお叱りを受けるかな?・・・

Sankt20_1 第7日 7月5日(水) 晴れ [郊外のエカテリーナ宮殿と夏の宮殿を観光] 今日は郊外に出るので渋滞をさけ8時に出発、9時から約2時間「エカテリーナ宮殿」の豪華な部屋を見学。「琥珀の間」も見られた。井上靖の「おろしや国粋夢譚」に出てくる大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁し帰国の許可を得た部屋はどこか?興味があったが、ガイドの説明では大広間ではなく別の小さな部屋だった。昼食後に「ピョートル大帝の夏の宮殿」を約2時Sankt21_3 間半見学。運河の先はバルト海、ここはもう北緯60度・北欧という印象だった。(実際ヘ ルシンキからフェリーが運航されている) 金ぴかの噴水は凄いけど成金趣味だ!思いの ほか埃っぽくズボンも靴も真っ白。心がけのいい人から靴ブラシを拝借した。今夜はOPでバレー「白鳥の湖」を見に行く人のために早めに市内に戻ったが、渋滞もなく早く着いたので夕食の前に街を散策し、夕食後に「ニコライ堂」(写真左上)も入場見学して、ホテルにOPに行かない3人だけ送ってもらった。モスクワホテルに帰ってから、道向こうの「アレクサンドル・ネフスキー大修道院」(13世紀の聖人を祀るためピョートル大帝により1710年創立)の「チフヴィン墓地」の有名人墓を20時半から約1時間見物、ドストエストスキー(写真右)・チャイコフスキー・ボロディン・ムソルグスキー・リムスキーコルサコフなどの墓を見た。

Sankt22_1 第8日 7月6日(木) 晴れ [空路モスクワ経由帰国へ]  出発前に、昨夜は入れなかった「アレクサンドル・ネフスキー大修道院」に入り、「トロッキー聖堂」(写真左)の朝のミサの邪魔にならないように静かに教会内部を見物した。残念ながらアレキサンドル・ネフスキー公を初め歴代の公達の遺体の一部が納められている銀の箱はミサの邪魔になるので見られなかった。11時にホテル出発。サンクトペテルブルグの国内線でモスクワに向かう。安全検査が厳しく且つ処理が遅いので手続きに時間がかかる。約30分遅れでモスクワ国内空港に到着。例によって荷物がなかなか出てこない。国際線の検査も3回と厳しく、靴を2回脱がされた。接続を待って約1時間遅れで出発。コースは安全のため日本海上空を避け、カムチャッカ半島から北海道を通るコースに変更になり成田に約50分遅れで到着。

 

 *紹介出来なかったロシア世界遺産紀行の数々の写真をアルバムにまとめています。

       アルバム 「ロシア世界遺産紀行」 をご覧下さい。

まとめ

  1. モスクワ郊外の「黄金の環」、「最古の街ノヴゴロド」そして「サンクトペテルブルグ」はもう一度行きたい街だった。特にサンクトペテルブルグは教会・樹木より高い建物はなく(厳密に言うとあるが目に付きにくい)中世の街並みを大事にするヨーロッパの都市にいるような感じで帰りたくなくなった。(せめて1週間くらい滞在したい)
  2. 今回の旅行は全体に“いたせりつくせり”でゆったりした行程だった。毎食水が出たのはありがたかった。食事は美味しかった、この時期だけだろうが、こんなに野菜が豊富に出るとは思っていなかった。

ご参考までに

  1. ビザの取得に3週間くらいかかる。この間パスポートを旅行会社に預けるので海外旅行は出来ない。
  2. 往きのJAL客室乗務員から「ビデオ」の持ち込みは税関に申請する必要があるといわれたが、添乗員から不要といわれた。規則では海外製品の持込は申請しておかないと帰国時に税関で問題になるが、モスクワ国際空港には税関がなく、ノーチェックで入国できる。(厳密にいうと税関はあるが申請書を出すと携帯品のカタログや価格表がないと審査に数時間以上かかり、後の日程に影響してくる。(他国でも同様、規則と実際の運用に差がある)
  3. 寒暖の差が激しく、風も強い。緑が多いが結構埃っぽい。神経質の人は洋服&靴ブラシを持参すると良い。
  4. この時節だけだろうがホテルに蚊がいた。
  5. 教会を見学することが多いが、ミサの最中では俄か信者になる必要があり、女性はスカーフを被る。男性は脱帽。 撮影・私語禁止。
  6. 宮殿・美術館では小型でもリュックサックは持ち込み禁止。女性が持つ小さいバッグならOK。
  7. アシスタントガイドの話ではサラリーマンの平均月収は6万円、ボーナス年末2ヶ月・誕生月に半月分出る。勤務は9(10)~17(18)時、残業はやらない、有給休暇は4週間、半分は夏に取る。休暇は積み立てて翌年以降に使える。兼業は実質認められている。ナターリヤさん(かわいい女学生、ベラルーシ・キエフ出身)は将来日本語の教師を目指し大学院で日本語を勉強中で、ガイドのアルバイトで月300~400US$の収入を得て、兄夫婦のセントラルヒーティングのマンションに一部屋間借りしている。普通の家庭の生活費は800~1000USドルぐらい。若い人は結婚しても住宅が買えないので親と同居するしかない。教育(国立)・医療は無料。ロシア人はウォッカ(40度)をストレートで飲む。
  8. トヨタ工場の「日本語が話せる人」の月給は6万円と安い。アシスタントガイドのアレキサンダーさん(男性)はトヨタは勤務時間が長い(残業をさせられる)兼業が出来ないので応募しないと言っていた。
  9. 地下鉄料金はモスクワは15ルーブル;サンクトペテルブルグは12ルーブル均一料金。ペテルブルグの地下鉄は高速で且つ数十メートルの深さまで突進していく感じでベルトにしっかり捕まっていないと怖い。プラットフォームにある行き先表示は、左上が行き先(終点)で、右上が今いる駅の名前。
  10. モスクワとペテルブルグには車専用の高速道路はない。
  11. モスクワ国際空港のDUTY-FREE SHOP では日本円が使える。価格表はEURO$だった。

 


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