彦根城 (滋賀県彦根市)

2008年12月13日 | お城めぐり

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彦根城 (別名・金亀城)

近世のお城で天守閣が現存するのは、弘前・松本・丸岡・犬山・彦根・姫路・松江・備中松山・丸亀・1a0004_4 宇和島・松山・高知の12箇所である。このうち国宝に指定されているのは松本・犬山・姫路・彦根の4城。今回紹介するのは彦根城である。写真は彦根城の北東にある玄宮園の庭から撮影した。魚躍沼の向こうに臨池閣と天守が撮影できる絶好のポイントだ。

1a0010 彦根城は大老職を出した井伊氏の拠点として置かれた平山城、山の名が金亀山と呼ばれていたので、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれている。井伊直継が元和8年(1622)に築城したとされている。天守は3重3階。一層目の軒に並ぶ切妻破風は大小、また奥行きにも変化を持たせている。二層目は南北に唐破風、東西に入母屋破風が設けられて、金の装飾や華頭窓が美しさを引き立てている。

 

彦根城の見どころを順に紹介しよう。表門橋に向かう沿道に松並木が1a0003 いろは松で、往時は47本(現在は34本)あっていろは松と呼ばれた。通行の妨げにならないように地上に根が出ない「土佐松」が使われた。いろは松を過ぎて表門橋に来ると佐和口多門櫓(写真右)が見える。明和8年(1771)に再建されたものだが重要文化財に指定されている。中濠とマッチしてとても美しい。表門に向かう左側に馬屋がある。17世紀末に建てられ藩主の馬がつながれていた。こけら葺きの立派な建物で、城内に馬屋が残っているのはこの彦根城だけとのこと。

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表門から坂を上がって、廊下橋(写真右)の下を通り左回りに上がると鐘の丸に出る。この1a0006 橋は現在架け橋のようになっているが、当時は左右に腰壁があって中の様子が見えないように屋根もあったので廊下橋と名付けられた。茶店があってちょっと一服しながら天秤櫓(写真上)をゆっくりと観察してみると面白い。橋を中心に左右に2重2階の隅櫓が作られて天秤のように見えるので天秤櫓と呼ばれた。天秤櫓は長浜城の大手門を移築したものと言われている。左右対称のように見えるが、左右(東西)の窓の数、東西の隅櫓の屋根の向きの違いなどが分かる。左(西)半分の石垣は大修理で造り替えられたので、左右違う積み方になっている。

1a0008 天秤櫓から緩やかな石段を進むと太鼓門櫓(写真右)に出る。太鼓門櫓は本丸の表口をかためる櫓門で、ここで太鼓を打ち鳴らして城中に合図をしたことでこの名がついた。櫓門を過ぎると本丸跡に出る。天守の前には大広間などがあったが、明治になって天守以外の建物は取り壊された。天守も解体の危機があったが、明治天皇が北陸巡幸のあと彦根を通られたときに保存するように指示をされたので、今も往時の姿で残っている。

天守の中は復元天守でないので、急な階段であるが3階なのであまり苦にならない。天守の1a0009 窓にはすべて金網が張られており今ひとつの感じ、外から見てその美しさを楽しむ天守だと感じる。天守の裏には西の丸があり、少し歩くと西の丸三重櫓(写真左)がある。中に入ることが出来る。この一帯には桜がたくさん植えられているので春にはお花見のスポットになる。東側の黒門から出ると玄宮園・楽々園がすぐそばにある。帰りにはゆっくりと散策をお勧めする。玄宮園(写真下)は彦根藩第4代藩主井伊直興が造営した大池泉回遊式庭園で、中国の宮廷に付設した庭園を玄宮と称していることからこの名が付いたそうである。いろは松から玄宮園までゆっくり散策に90分くらい用意したい。

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