癒しの島 台湾・台北旅行記

2007年02月24日 | 海外にお出かけ

  

癒しの島台湾 台北旅行記  BY 茂手木良夫

台湾”と聞いただけで血が騒ぐ。現役時代の昭和52年3月下旬から55年8月まで「台北駐在員」として、家族共々生活して以来、家内になんと謗られようと、マイレージが溜まると台湾に行きたくて、居てもたってもいられなくなる困った性分である。

3年越しの「故宮博物院」の改装がようやく終わったので、友人に声をかけ奥様6名を含めて15名で出かけることになった。

今回の旅行のコンセプトは ① 故宮を2日間に分けてじっくり見る ② 豪華ホテルに泊まる ③ 美味しい豪華な食事をする ④ 台北郊外を1日散策する ⑤ 日本統治時代の記念碑も見る である。旅行社はジャルパックにお願いしたが、行程やホテルは全てこちらで決めた。出発日は春節(2月18日)の飾りも見られる2月10日から14日にした。この時期にしては珍しく、雨が多い基隆や九�囲でも天気が良かった。

概略日程は

  • 第1日 EG201便で台湾へ。淡水観光後に、圓山大飯店へ、新館CITY-VIEWの8・9Fに4連泊
  • 第2日 「忠烈祠」の衛兵交代を見てから「故宮博物院」、「鼎泰豊」で昼食後に市内観光
  • 第3日 午前中「故宮」をイヤーホンガイドで自由見学、雲南料理の昼食後に市内観光(「六氏記念碑」も見学)、夕食はシェラトンホテルの翠園で約3時間の「ミニ満漢全席」
  • 第4日 東北海岸の「黄金博物園区」(金爪石);「九�囲」;「野柳」;「テレサテンのお墓」を見学後、「新濱」で鉄板焼きの夕食
  • 第5日 「祖師廟」(三峡);「鶯歌」陶器の街を観光し住都ホテルで昼食後に、EG204便で帰国

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旅日記

 第1日 曇り ほぼ予定通り桃園空港に到着、桃園から台湾海峡の海岸沿いに北上し約1時間で淡水に到着。「紅毛城」(サント・ドミンゴ城・写真右)を見学。「紅毛城」は1629年スペイン人により築かれ、オランダ;鄭成功・清朝、イギリス領事館、日本統治を経て1980年漸く台湾の所有となった300余年の歴史を見てきた第1級古跡の城である。雨は降らなかったが曇り空で夕日が見られず残念であった。その後淡水の古い街並みを散策してホテル(圓山大飯店・写真下)にチェックインした。夕食はホテルの広東料理を食べたが、ちょうど某氏の誕生日にあたり最後に誕生祝のケーキも頂いた。

 

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第2日 うす曇 忠列祠・故宮・中正記念堂・龍山寺

 9時から始る「忠列祠」の衛兵の交代を見る。昔は正門と本堂だけの交代儀式が、多くの観光客に見られるように?正門からの道中で時間をかけてショウを繰り返している。本堂の回廊にある「共匪」「抗日」烈士の資料を見る観光客はほとんどいない。我々も早々に故宮に向う。

ガイドの黄さんに改装なった故宮博物院を約2時間案内してもらう。ちょうど改修記念の「大観(特別展)」をやっており大混雑であったが、北宋の「汝窯 の特別展などで多くの“世界の宝”を見ることができた。(NHKの夢の美術館・世界の宝100選に台北故宮博物院から9つ選ばれており、そのうち7つを見ることができた) 3年前には「ヒスイの屏風」など人気の宝物数点は3ヵ月毎の展示品の変更でも変えることなく見られたのだが、今回は「ヒスイの屏風」を展示していなかった。

 参考 「國立故宮博物院・大観・北宋汝窯特展

昼食は「鼎泰豊」(忠孝店)の小龍包など飲茶を75分待って食べた。(私は家族とこの忠孝店の前のマンションに3年間住んでいた) 昼食後に「中正記念堂」・「龍山寺」を見物し、お土産屋(カラスミの「伍中行」・中華工芸館)にも寄った。夕食は台湾料理(欣葉本店)、台湾人の食生活が変わってきたのか「蜆の醤油漬け」、「塩水蝦」や「芋粥」など昔馴染みの料理が出てこないので少しがっかり。腹一杯になったので「士林夜市」をざっと見物してからホテルに帰る。(写真左:中正記念堂・蒋介石像 右:龍山寺)

 

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第3日 うす曇 故宮と市内観光

故宮博物院の開館時間の9時から各自日本語のイヤーホンガイドで3時間見物。昨日より参観者も少なく、2度目とあって気分的にもゆっくりと見られた。昼食は台北で唯一の雲南料理店「人和園」で雲南料理(過橋麺とグリーンピースのスープが有名)を食べた。午後は「士林官邸公園」と「六氏先生の墓(注*)」を見て、お茶屋により休憩後に、関羽を祭る「行天宮」を見物し、シェラトンホテルの翠園で「ミニ満漢全席」を約3時間かけて堪能した。(写真左)最後になんと誕生日の人がおり、誕生祝のケーキも頂いた。

 注* 六氏先生 台湾の日本統治は1895年に始まるが、1895年7月文部省学務局長心得伊澤修二は教育の整備に6人の先生を選抜し台北市士林に「芝山巌学堂」を作った。しかし翌年の元旦(伊澤だけが帰国していた)、清朝残党のゲリラ約100人に惨殺された。教育者として“身に寸鉄も帯びず”命をかけて教育に当たるという六氏先生の芝山巌精神は以後の台湾教育の指針とされた。1995年台日の関係者で「士林国民小学校創立100周年」行事があり、殉職した六氏を悼み、「六氏先生の墓」を現地ゆかりの公園に建て直した。

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第4日 晴れ 黄金博物園(金爪石) 九份 野柳 テレサテンのお墓

 1923年当時皇太子だった昭和天皇の訪台に合わせて、金爪石に「太子賓館」を作ったが、皇太子は宿泊しなかった。終戦後は台湾電力の管理下におかれたが、3年前に近辺を公園化し「黄金博物園区」として一般に開放した。他に金鉱博物館や坑道などがある。

「九份」は古い街だが、1995年映画「非情城市」がベニス映画祭でグランプリをとり、そのロケ地として観光名所に復活した。細い沿道のお土産屋が並び、坂道のあるどこかノスタルジックの街である。

基隆に戻りホテルのレストランで昼食後に、太平洋を右に見ながら海岸線を北上し「野柳」に着いた。「野柳」は波と風で浸食されてできた奇岩の海岸である。「野柳」から車で約1時間走って、「テレサテンのお墓」に着く。バブル華やかなりし頃、風光明媚な山を公園墓地にして売り出した。立派なお墓が立ち並ぶ一番奥に「テレサテンのお墓」がある。人が近づくとテレサテンの歌声が聞こえてくる。台北に戻り、夕飯は新濱で海鮮&ステーキを2時間かけてゆっくり食べて台湾最後の夜を迎えた。(写真左:九份の街並み 中:野柳の奇岩 右:テレサテンのお墓)

 

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第5日 晴れ 三峡・鶯歌

 帰りのフライトが1時間早くなったため(昨夏の時刻表から冬用に読み替えミス) 三峡は「祖師廟」の見学だけにして、鶯歌(陶芸の街)の買い物も早々に空港に向った。「祖師廟」(写真)は北宋の民族的英雄陳昭応(清水祖師)を祭り、石柱の彫刻が見事なお寺である。近くには日本時代の街並みが残る老街があるが今回は時間がなく見物できなかった。成田に到着時には風が強く着陸のやり直しで一瞬肝を冷やしたが2度目は全く揺れずにスムースな着陸だった。

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 集合記念写真(228和平公園にて)

T04043

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