全国で12ある現存天守、中国地方には2つ存在する。備中松山城(岡山県)と松江城(島根県)だ。この夏休みにこの2つを訪ねることにした。
新大阪→岡山→備中高梁 この路線の乗り換えには少しこだわりがあって、お盆休みに入ることもあって早々に特急券の手配をした。伯備線は特急やくも381系リニューアル編成(パノラマ型)に乗車したい。岡山から最初に出るパノラマ型やくもは9時5分発の5号だ。これに間に合う新幹線もこだわって、この春開通した九州新幹線N700系さくらに乗ることにした。さくらには3度目の乗車だが、青磁器を思わせるような白藍色のボディーのさくらへの乗車は爽やかで気持が良い。普通車指定席(写真)に乗車したが、2列&2列のシートはレールスターよりずいぶん快適になっている。
岡山駅で出発を待つやくも5号 先頭のパノラマグリーン1号車
新幹線さくらはお盆で満席だったが、やくもは比較的空いていた。倉敷を過ぎるとやくもは山間に入る。あっという間に備中高梁駅に9時41分に到着した。改札口を出て左側にコインロッカーがある。手荷物を預けて今度は右側にある観光案内所に、乗り合いタクシーをお願いする。9時50分発を始発に毎日4便、ふいご峠まで届けてくれる。ひとり420円、普通にタクシーで行くと2000円近くかかるから有難い。第1便は私一人だけだ、帰りも車中で予約しておくと便利である。狭い山道を15分ほど登るとふいご(鞴)峠、ここには十数台駐車できる駐車場がある。
鞴(ふいご)峠から備中松山城へ
駐車場の奥から松山城への登山道の入り口がある。備中松山城本丸までは700m、20分ほどの登りだがそれなりに厳しい山道だ。山道はあとどのくらいなのか心配になるが随所に案内板があって、写真のように備中松山城へ600mというように案内板がある。また「登城心得」なる立て札あり、「あわてずゆっくりと歩むべし」とか「この先悪しきにつき気をつけて歩むべし」などと城主からの注意書きがあり、たどり着くとその高札には「よくぞまいられた」とねぎらいの言葉、ユーモアたっぷりで楽しい。途中石垣が見えて、案内を見ると中太鼓櫓跡とある。山頂の本丸から城下への連絡に使われていたのであろう。石垣から想像するとそれなりの大きさの櫓だったことが分かる。この櫓跡からは高梁市街地がよく見える。南に向かっている写真で右側に高梁川に沿って国道180号線、中央に伯備線備中高梁駅が見える。当時もここからは城下がよく見えていたに違いない。
大手門櫓跡から本丸へ
例の高札に「よくぞまいられた」という案内板を過ぎると、間もなく大きな石垣が見え始めて大手門櫓跡にたどり着く。左の写は足軽箱番所跡から北の方向に撮影したもので、大きな石垣や土塀が見える。この地点から西へ少し進みぐるっと回り込んで、三の丸・厩曲輪、二の丸方向、そして本丸に上がることになる。掲載のすべての写真はクリックして頂くと大きな画像で見ることが出来ます。左は案内パンフレットにあった小松山城案内図である。このままでは見づらいと思うが、図をクリックして頂くと大きな図で見ることが出来ます。大手門跡から天守や二重櫓までの位置関係がよく理解頂けると思う。足軽箱番所を左に上り、道なりであるがすぐに右に上る石段を進む。左手に少し長い土塀が見える。四角の矢挟間と丸い筒狭間を備えた「三の平櫓東土塀」である。厩曲輪の土塀の一部とともに歴史を重ねた現存の土塀である。天守・二重櫓とともに国指定の重要文化財となっている。写真は上から撮影したもので、奥の狭間5つ分の土塀が現存、あとは復元。
大手門跡に 三の丸跡 三の丸から黒門に
いよいよ本丸に ふいご峠から20分ほど山道を上りつめて、突然目の間に大手門の石垣が広がる。ここからは松山城の遺跡が目白押しに出てくるので目が離せない。三の平櫓土塀を過ぎると三の丸に、三の丸から少し狭い階段を黒門に向かう。右に曲がって広い階段に出ると黒門跡、その先が厩曲輪、そして二の丸櫓門跡に続く、この先は本丸だ。天守閣も見えてくるがここではその手間にある五の平櫓(写真左)とその左に隣接する六の平櫓に注目しよう。この二つの櫓とその間にある南御門は1997年に復元された。五の平櫓下の階段(写真右)を上がり、突き当りを右に曲がると南御門でここが天守閣への入り口だ。備中松山城を紹介している写真の多くは天守閣の手前に五の平櫓を従えたアングル(写真左)である。私も今回いろいろなアングルをトライしたが、やはりこのアングルが一番だと思う。天守閣見学を後にして、五の平櫓右を進んで二重櫓に。最初の写真は振り返って後ろを望む、しばらくすると左に本丸東御門、さらに奥に進み搦手門に、最後の写真が腕木御門、いずれも復元。
二重櫓(国指定重要文化財)
天守閣の北側にある二重櫓、本丸の内からでも見えるが五の平櫓右から本丸を回り込んで後曲輪から見る(撮影)ほうがよく観察できる。備中松山城には3つの国指定の重要文化財があり、天守・三の平櫓東土塀と並んでこの「二重櫓」で、いずれも現存の遺構である。残念ながらこの二重櫓の内部は見学できない。天守と同じように天然の自然石を基礎として、石垣を組んでその上に櫓が建設されている。いろいろ調べたが、この二重櫓の用途はよく分からない。おそらく食料などの貯蔵が目的ではなかったかと想像する。
備中松山城天守
二重櫓から二の丸方向に戻り、五の平櫓と六の平櫓の間にある南御門から本丸に入る。正面に見える天守、大きな自然石群の上に石垣を組んで建設されている。二層の本瓦葺の入母屋造に唐破風出格子窓があって小さいながらも風格がある。臥牛山は大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰からなり、南から見た山の様子が牛が寝ている姿に似ているとして臥牛山と呼ばれるようになった。その中の小松山の山頂(標高430m)に配備されている備中松山城は、三の丸・二の丸・本丸と階段状に築かれ、天守の現存する城の中では随一の高さの誇る山城である。この城の歴史は古く13世紀中頃にこの地の地頭に命ぜられた秋葉三郎重信が大松山に砦を築いたことが始まりで、その後小松山に移り縄張りは変化するが16世紀の備中兵乱には21の砦が築かれた記録があり、山全体が大きな要塞になっていた。現在の天守などは天和3年(1683年)に水谷勝宗により修築されたと伝えられている。写真右は本丸の中から見た五の平櫓と六の平櫓(いずれも復元)とその間にある南御門。天守の石段を登って中に入ると細長い部屋になっており中央に小さな階段ある。この部屋は八の平櫓からの接続廊下である。天守一階の東側には冬には城番が暖を取ったのであろう囲炉裏がある、山城ならではの設備である。一階の奥、一段高い部屋がある、装束の間である。籠城のときの城主の居室になり、いざ落城のときは城主一家の死に場所でもある。二階には守護の神々を祭る御社壇がある。写真左は階段、踊り場が付いて折れ曲がっている。敵が容易に上れないように幅も一人しか通れないように狭く勾配も急である。このような階段に出会えるのも現存の天守だけである。右の写真は二階の武者窓(連子窓)から南の二の丸方向が見えた。この連子窓は外から中が見えにくく、中からは広角に敵兵の動きが見える。ざっとこの城の見学にはふいご峠からの往復に40分ほど、城内の見学に1時間ちょっと、合計2時間ほどが適切である。(ふいご峠を離れるとトイレはない)
天守入り口 天守一階 囲炉裏
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