岡山城 (岡山市)

2011年06月19日 | お城めぐり

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岡山城 ( 烏城・金烏城 ) 岡山県岡山市

宇喜多秀家(1572-1655)が1597年に築いた岡山城の三重六階の堂々たる天守閣。内部に城主の生活空間・城主の間もあった全国的にも珍しい天守閣は昭和の時代まで生き残り昭和六年(1931)には国宝に指定されたが、昭和20年の空襲で焼失した。国宝の名残は月見Oka011tenshu03_2櫓のそばに「國寳岡山城月見櫓」の碑があることでも分かる。現在の天守閣は昭和41年に復元されたものである。大入母屋造りの基部に高楼を重ねた「望楼型」の様式で、黒の下見板を張っているため、黒色のイメージが強く、姫路城に比して「烏城」、金箔瓦もインパクトがあるから「金烏城」とも呼ばれている。

旭川に面した廊下門(復元・写真左)を入ると本丸中の段(表向)に、この中の段には藩政庁・藩主公邸である御殿があったそうで、地表にその御殿の書院・広間・中奥など間取りが分かるように画かれている。また周りには数多くの櫓があり、北西角に月見櫓がある。本丸唯一の現存建築物で、外観二層櫓だが中の段から見ると写真のように三層となっている。前述の通り天守とともに国宝の指定を受けていたが、現在は国の重要文化財の指定である。

不明門(あかずのもん・写真)は中の段から本段に上がる正門、そのにふさわしい風格を備Oka022akazunomonえた櫓門、普段は閉じられたままだったので不明(あかず)と名付けられた。廃城令のときに廃棄され、天守とともに復元された。不明門を通りOka031tenshu抜けると本段、ここには本段御殿、つまり藩主の私邸・日常生活の場があった。一般の藩士は本段に出入りすることはなく、中の段との出入り口である不明門は閉じられていた。御殿での下働きの者は六十一雁木門から出入りしていた。天守閣の金箔瓦や鯱鉾が美しい、写真は旭川側からOka032ishigakiのものだが、本段からの天守左の白い建物は塩蔵である。またこの天守閣は天守台が不等辺五角形で1階平面は五角形であるが、上層階に向かうにつれ四角形に修正する形になっている。この岡山城で楽しめるのは石垣で、野面積み(のづらづみ)・打ち込みはぎ・切り込みはぎなど時代による違いも見ることが出来る。写真左は中の段には発掘調査で分かった石垣が保存されている。現存櫓は月見櫓以外に少し離れた内山下小学校の校庭に「西丸・西手櫓」がある。西端を守る隅櫓で1603年頃建築、市教育委員会の説明案内板には月見櫓とともに国指定の重要文化財に指定されているとある。

 


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