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2017-02-13 17:31:19 | 記事保守

70年前の虐殺現場発掘 生々しくて中断も スロベニア

ラシュコ=喜田尚

2017年2月13日03時20分

 人口206万人の欧州の小国スロベニアで、第2次世界大戦直後の虐殺現場の発掘と遺体の収容が、昨秋から本格化している。ファシスト勢力やその協力者と見なされ、共産党を中心とするパルチザン勢力に殺された人は、数万人に上る。社会主義の旧ユーゴスラビア時代は語ることが許されず、民主化後も政府の対応は遅れた。犠牲者の尊厳回復や、歴史解釈の違いを超えた和解が期待されている。

 スロベニア中部ラシュコ村の山中にフダヤマ炭鉱がある。中腹の入り口から水平に延びた坑道をまっすぐ奥へ約320メートル。さらに左へ約200メートル進むと、足元に大人がやっと入れる穴があった。ほぼ垂直に掘られた立て坑への入り口だ。木製はしごを下ろして十数メートル下りると、その先は粘土状の土で塞がれていた。

 「上から遺体を落としてここまで積み重ね、あとから埋めたんだろう」

 現場管理を担う元炭鉱職員のイワン・ケンダさん(73)が言った。

 発掘は「秘密集団埋葬地に関する政府委員会」が昨年10月、7年ぶりに再開。2009年までに発掘した地点から、今回は2カ月でさらに4メートル掘り下げ、約600の遺体を収容した。

 坑の深さは45メートル。委員会は、残る約30メートルにまだ2千~3千の遺体が隠されているとみている。

 ユーゴスラビア王国の一部だったスロベニアは第2次大戦中、ドイツ、イタリアなど枢軸国に占領された。ドイツが降伏した1945年5月、共産党を中心とするパルチザン勢力が国を掌握。捕虜の民兵や、周辺国から来たファシスト勢力の兵士を、裁判も行わないまま、同年9月ごろまでに大量に「処刑」した。遺体は森や洞窟に埋められ、総数は数万~10万に及ぶとされる。

 一般市民の犠牲も多かった。委員会のヨジェ・デズマン委員長は「ファシストと無関係でも、『将来の共産党政権の敵』と見なされれば殺された」とする。

 91年に旧ユーゴから独立する…直前に発足した委員会の活動は当初、調査が主体だったが、2000年代半ばからは現場の発掘と遺体の正式な埋葬を目指した。

 全土で約600カ所とされる現場のうち、フダヤマ炭鉱は大規模なものの一つだ。発掘には08年7月に着手。現場を隠すため、坑道を約100メートルにわたって塞いでいた11の壁やがれきの塊を8カ月かけて手作業で崩し、計787人の遺体を収容した。

 だが、当時の政府は発掘継続と遺体の埋葬を認めず、作業は止まった。

 委員会委員でリュブリャナ大のミチャ・フェレンツ教授(歴史学)は、政府の対応の理由を「ショックが大きすぎた」と話す。他の現場で見つかる遺骨と異なり、収容された遺体はミイラ化し、殺害の状況を生々しく伝えていた。女性の遺体も多く、お下げの遺髪が大量に見つかった。

 パルチザンの「人道犯罪」は、その勝利の結果生まれた旧ユーゴの正当性にも直結する。政府は、歴史認識が分かれる議論が過熱するのを恐れたと見られる。

■「尊厳」訴え新法

 首都リュブリャナの獣医師ヨジェ・ユルコビッチさん(61)の祖父は大工だったが、南東部の洞窟で殺害されたとみられる。敬虔(けいけん)なカトリック信者だった。逮捕の理由は不明だ。

 一方、父親は占領下でパルチザン闘争に身を投じた。当時19歳。収容所の警備を命じられ、「処刑」直前の人々の中に偶然、自分の父の姿を見つけたが、何もすることができなかった。

 民主化後に現場を訪れて泣き崩れた父は、98年に他界した。

 「独立から20年たっても、犠牲者を置き去りにした議論が続くのか」。09年のフダヤマ炭鉱の発掘中断に、ユルコビッチさんは落胆した。

 ユルコビッチさんの働きかけで、キリスト教系保守の野党「新スロベニア」が15年、発掘と遺体の埋葬を促進する法案を提出した。それが発掘再開につながった。同党は定数90の下院でわずか5議席だったが、ツェラル首相の最大与党が賛成に回った。

 新スロベニアのリュドミラ・ノバク党首は「この問題で社会を分断させてはならない。人は正しく埋葬される権利を持つ。尊厳の問題だと訴えた」と話す。

 新法で年50万ユーロ(約6200万円)ほどの予算が保証され、計画的な発掘が可能になった。16年秋から19カ所で開始した。10月には、09年以来フダヤマ炭鉱に保管されたままだった遺体を埋葬する式典が東部マリボルの墓地で行われた。

■隣国間にも課題

 残った問題は、隣国クロアチアの犠牲者の扱いだ。

 クロアチアでは第2次大戦中、親ナチスの民族主義組織が他民族を大量に殺害した。終戦で多くの部隊が報復を恐れ、オーストリアに進駐した英国軍に降伏しようとした。しかしパルチザンに引き渡され、スロベニアで殺害された。

 東部には、1万数千人のクロアチア人の遺体が埋められたとみられる戦車塹壕(ざんごう)跡もある。

 委員会は、発見される遺体の扱いの判断をクロアチア政府に求めているが、回答は得られていない。

 91年に同時に旧ユーゴからの独立を宣言したスロベニアとクロアチア。スロベニアが10日で戦闘を終えたのに対し、クロアチアは民族主義政権のもと内戦に陥った。第2次大戦時の親ナチス組織と、多民族で構成されたパルチザンをめぐる被害と加害の議論はスロベニア以上に波紋が大きい。パルチザンによる虐殺の立証が、分断をあおる右翼民族主義勢力を再び勢いづかせるのを恐れる声もある。

 だが、クロアチアで人々の戦争体験を記録してきたNGO「ドキュメンタ」のベスナ・テルシェリッチさん(54)は「戦争をありのまま見つめるには、被害者や加害者がどちらの側かという考えを捨て、すべての人の苦しみを受け入れる必要がある。それがまだ理解されていない」と話す。(ラシュコ=喜田尚)

     ◇

 〈ユーゴスラビアのパルチザン〉 第2次世界大戦で、戦前のユーゴスラビア王国の領土はナチス・ドイツなど枢軸国やファシスト勢力によって分割された。チトー書記長率いる共産党が中心のパルチザン勢力は、武装蜂起を呼びかけた。パルチザンは多民族で構成され、徐々に支持を獲得。自力で全土を掌握し、終戦後の45年11月に「ユーゴスラビア連邦人民共和国」の建国を宣言した。

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