悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

夢二式美人画ではないもう一人の竹久夢二

2005-12-10 12:52:00 | 文学・文芸・芸術


          <これも竹久夢二>


典型的な夢二式美人画は、細面のしなやかな姿で描かれている。下に
ある「入場券」の下のほうの絵などは典型的な夢二式美人画である。

しかし、挿絵画家としての夢二、ポスター画家としての夢二絵はあまり
見たことがないので、一見しただけではわからない。今日はその挿絵
やポスター画を数枚見ながら、イメージとの落差を探ってみたい。


     
            <竹久夢二美術館入口風景>         



               
          <下の絵は典型的な夢二式美人画>

   ***************************

       

      < 童謡雑誌「金の星」に掲載された、野口雨情作詞 
            「子守唄」の竹久夢二の絵         >

       ( この絵には夢二式女性画のイメージがある。)

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~     


        

        <銀座資生堂で開催された「雛によする展覧会」の
         ポスター(昭和5年)>

       (直ちに竹久夢二の絵のイメージには結びつかない)   

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

    
          

           <大正4年「婦人之友」1月号付録>
               「手製半襟の図案」    

   ********************************************************* 
        
                    

                         <昭和初期 東京銀座千疋屋広告図案>


       *************************************************              

          

                 <婦人之友社発行雑誌「新少女」大正5年1月号付録>
                 「家族双六」画

      ****************************************************

        童謡童話雑誌「金の星(当初の名前は「金の船」)」は、大正
     時代の童謡・童謡曲・童画・童話世界の指導的、先進的役割
     を果たしたが、当時のメンバーを見ると、今でいうところの
     「超一流」の作家ばかりである。このメンバーはすごい、の
     一語に尽きます。

         初代編集長 野口雨情
         画家・執筆者
           島崎藤村、有島生馬、岡本帰一、若山牧水
           西条八十、沖野岩三郎、山本 鼎、竹久夢二、
           志賀直哉ほか多数                        


      

     <上記は童謡童話雑誌「金の星」の表紙。右下の
       「子守唄」が竹久夢二画で、後は全部、岡本帰一画>

  *******************************************************
       
 <夢二の先入観としてのイメージ、夢二式美人画の世界>
     
                 


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

         竹久夢二は天才的な画の才能を持っていますが
     早稲田実業学校は4ヶ月で、自ら退学しています。
     
     センチメンタルとか大正浪漫とか、恋多く、漂泊の
     人生などといわれていますが、本当にそうだったの
     でしょうか。

     ともかく49歳11ヶ月で病死するまで、絵画・デザ
     イン・詩・童謡の広い範囲にわたって能力を発揮
     しています。作詞・絵ともに夢二作といわれている
     「宵待草」の大流行によって彼のイメージは決定
     づけられたのでしょう。

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

     <中庭の鯉を見ながら一休みしましょう。>

     


      

 美術館の前の通りは   
 暗闇(くらやみ)坂といいますが、江戸時代からこの周辺は、谷や坂が
 多いところで、昼なお暗いところから幽霊坂とか暗闇坂という名前が
 ついたのです。小石川、上野周辺はものすごい数の「・・坂」があります。

 逆に、上野の森は、身を隠す場所もないほど広いので、「忍ばず」と
 いい、忍ぶが岡と呼んでいたのです。

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