「ケッツが痒いぃばイワスが大漁」
ケッツはケツ、つまりお尻。
そのまま受け取ると、お尻が痒くなるとイワシが大漁になる、ということになろう。
しかし、逆にイワシの最盛期にはお尻が痒くなりがちだ、という意味にもとれる。
考えてみると、ことわざ、というより、季節感を表現したものかもしれない。
これを知っている世代はだいぶ上になった。
私ぐらいの世代が知っているか知らないかの境界線だろうと思う。
私世代でも知らない人はまったく聞いたこともないというから、
こうした古いコトバを知っているかどうかということの差は、
その家の家族構成、居住地、一族のテリトリー、対話の環境などによるだろうと考えられる。
私など古いこと、消えつつあることを知ることにヨロコビを覚えるので、
我が家のこうした「語り継ぎの環境」の良さには心から感謝している。
さて、このフレーズの持つ意味であるが、残念ながら正解はよく判らない。
しかし現代のように衛生管理の行き届いた時代ではなかった頃の戒めも含まれるのではなかったと想像できる。
いずれにせよ、こうやって残されて来たもの、消えつつあるものをマジメに想うことで
またひとつ宮古の水産文化や風土が楽しめるのだということを
じょじょに水揚げが増えてきたイワシを眺めながら考えていた朝なのだった。
ケッツはケツ、つまりお尻。
そのまま受け取ると、お尻が痒くなるとイワシが大漁になる、ということになろう。
しかし、逆にイワシの最盛期にはお尻が痒くなりがちだ、という意味にもとれる。
考えてみると、ことわざ、というより、季節感を表現したものかもしれない。
これを知っている世代はだいぶ上になった。
私ぐらいの世代が知っているか知らないかの境界線だろうと思う。
私世代でも知らない人はまったく聞いたこともないというから、
こうした古いコトバを知っているかどうかということの差は、
その家の家族構成、居住地、一族のテリトリー、対話の環境などによるだろうと考えられる。
私など古いこと、消えつつあることを知ることにヨロコビを覚えるので、
我が家のこうした「語り継ぎの環境」の良さには心から感謝している。
さて、このフレーズの持つ意味であるが、残念ながら正解はよく判らない。
しかし現代のように衛生管理の行き届いた時代ではなかった頃の戒めも含まれるのではなかったと想像できる。
いずれにせよ、こうやって残されて来たもの、消えつつあるものをマジメに想うことで
またひとつ宮古の水産文化や風土が楽しめるのだということを
じょじょに水揚げが増えてきたイワシを眺めながら考えていた朝なのだった。