海鴨

俺は所詮飛べない家鴨なのか・・・。
あひる隊長の気まぐれ小説劇場。
ぽちりぽちりと綴って行くッス。

1DIVE  ドラゴンロード

2007年09月06日 | 小説 海鴨
青い、碧い、ブルー、一面のブルーの中にいた。
360度見渡す限りの大海原に雲一つ無い青空が続き遥か水平線を目指して大型クルーズフェリー飛龍は進んで行く。
裕人はトップデッキにハワイのABCストアーで買った折りたたみのゴザを広げ、オリオンビールの缶を開けた。
シャワーを浴びた後の喉にビールが美味い。
普通に内地でオリオンビールを飲んでもたいして美味くはないのだが、沖縄では気候に合うのかやたらオリオンビールが美味く感じる。
また沖縄に向かう気分を盛り上げるのにもオリオンは良い。
昨日、名古屋港フェリーターミナルを午前11時半過ぎに出港したクルーズフェリー飛龍は途中で大阪南港に立ち寄り深夜に出港、高知沖から日向灘に進んだところか。
飛龍が就航する以前は名古屋港からは沖縄行きのフェリーはなく、大阪まで名阪国道を飛ばして行かなければならずその手間が無くなった分つくづく便利になったものだと裕人は思っていた。
就航したばかりのクルーズフェリー飛龍は設備も豪華で展望サウナにジャグジー、ダイビング・プールまで備えていた。
(就航当時は乗船中にダイビングの講習まで行ってしまえると云う謳い文句であったが、2007年現在では利用者もいなかったのか木で蓋をされた状態である。サウナとジャグジーも営業を停止している。)
裕人が良いなと思ったのは、旅客料金が一番下の2等寝台でも6人部屋にシャワーとトイレが備え付けで部屋に置いてあるテレビからは最新の映画ビデオが絶え間なく流されていた事である。
その為昨夜は深夜まで映画を見ていたので少し寝不足だった。
「せめて沖縄に着く前に少しは焼いておかないと・・・。」
そう考えていた裕人はTシャツを脱ぎショートパンツ姿になってコパトーンのオイルを全身に薄く塗り付けゴザの上に横になった。
甘いコパトーンの香りが鼻につくが、乗客も少なく人目を気にする必要はない。
まだ4月半ばではあったが暖かい陽射しに吹き抜ける海風が心地良く、太くて低いフェリーのエンジン音や振動もあって軽い眠りについていった。

東海地方のある地方都市に暮らす裕人は学校卒業後名古屋で機械工具メーカーの営業として2年程働いたが、元来の旅好きの性分が災いとなって長期休暇が取り辛い営業職を辞め電器メーカーの従業員として働く事になる。
比較的GWやお盆休みも長期休暇が取りやすくなり休暇を取っては日本全国各地にツーリングに出掛ける様になった。
しかしそれも何年かは良かったが次第に長期休暇も取り辛くなりやがて退職。
やがて自動車メーカーの期間従業員等して働いては契約を終えると旅に出掛ける様になっっていた。

裕人は学生の頃からオートバイでツーリングに出掛けるのが好きでバイクに乗る前から北海道にツーリングに行くのが夢だった。
何度かの北海道ツーリングで最北端の宗谷岬、最東端の納沙布岬を制したライダーは必然的に今度は南の九州を目指す。
当然、裕人も九州一周ツーリングでは本土最南端佐多岬到達を目指した。
亜熱帯の植物が生い茂る佐多岬の突端の展望台に立った時、この先の海は沖縄まで続いているとしみじみと感じた。
「行ってみたい。バイクで沖縄も走ってみたい・・・。」
そう思った裕人は翌年沖縄を目指す事になる。
そう目指すは最南端の波照間島に最西端の与那国島、そして日本の秘境西表島・・・。
初めての沖縄ツーリング。
それは沖縄本島は勿論、離島の石垣・西表・波照間・与那国を走破する旅だった。
しかし、与那国は遠い・・・遠かった。
1994年当時、フェリーを乗り継いで最短時間で与那国島に到達するには、土曜日の夜大阪南港AB岸壁を19:30に出港する琉球海運のわかなつおきなわに乗船し、月曜日の朝7時に那覇新港着。船内清掃等により一旦船を下船して20時に石垣へ向けて出港、石垣着は火曜日の朝8時でフェリー与那国は翌朝水曜の10時出港で所要時間は4時間半あまりもかかるのだった。
自宅を出発してから5日。
船中3泊に石垣で1泊。
与那国に到着した時、「こんな遠い所、2度と来れないぞ・・・。」と思うのだったがダイビングを始めてからは度々訪れる様になる事を当時の裕人は知る由もなかったのである。
やがて裕人は今回の旅によりスキューバ・ダイビングの面白さに取りつかれその深淵へと引き込まれて行く事になるのだが、この時はまだCカードを所得しダイバーになる事ぐらいしか考えてなかった。
そう、今回で3回目となる沖縄ツーリングでの最大の目標は大好きな西表島でスキューバ・ダイビングの講習を受ける事であった。
元々素潜りで魚や貝を獲ったりするのが得意ではあったのでダイビングには興味があった。
グァムで体験ダイビングをした事もあった。
でもダイビングはお金の掛かるスポーツだとしてあえて手は出さないでおこうと思っていた。
それが心変わりしたのが2回目の沖縄ツーリングでの出来事であった。

裕人の2回目の沖縄ツーリングでの目標は秘境と呼ばれる西表のジャングルを縦走する事であった。
縦走を難無くこなした後はキャンプをしながら釣りや素潜りをして魚や貝を獲って楽しく過ごした。
素潜りの為にフィンとマスク・シュノーケルは勿論、ウェットスーツにウェイトまで持参していた。
星砂の浜のリーフの外で潜ると別世界が広がっていた。
太陽に煌めく珊瑚の谷に群れる魚達。
透き通る水の中に青く何処までも続くブルーが水深20mの水底までも照らし出していた。
沖の方から滑空して近付いて来た初めて見るマダラトビエイに裕人は大興奮。
夢中になって何度も素潜りを繰り返した。
しかし、持参したウェイトが仇となった。
夢中になるうちに水底近く20mも潜った時であろうか、左足のフィンのベルトが外れてしまった。
フィンのベルトを付け直すには息が続かない、ウェイトもバイクのシート下に入れて苦労して持って来たので捨てる事は勿体無くて出来ない。
裕人は何とか右足のフィンキックだけで水面まで辿り着けないかと必死だった。
命の為にウェイトを捨てろと心が叫ぶ。
いやでもウェイト捨てるのは惜しいと別の心が答える。
まだ水面までは10m以上もある。息が持つかどうか分からない。
心の中で葛藤を繰り返しながらも右足のみで必死に泳ぎ続けた。
水面まであと5m、もう息も続かないと思った時突然視界が狭く暗くなった・・・ブラックアウトか? 裕人が「もう駄目だ、ここで俺は死んでしまうのか?」と思った時水面に到達した。
思いっ切りシュノーケルクリアをして息を確保する。
ほっとした。何とか生きてる。
水面まで辿り着いた。
しかし、何とか呼吸を確保する事が出来たもののウェイトを着けている上に片足フィンの為キックし続けていないと沈んでしまう。
左足のフィンのベルトを付け直して履き直そうとするが少しでもシュノーケルの先が水中に入ってしまうともう息をこらえる事が出来なくなってしまっていた。
呼吸を続けてないと水を飲み込んで死んでしまう様な衝動に駆られていた。

裕人は諦めてウェイトベルトに手を掛けウェイトを外した。
すうっと手を抜けウェイトは水底に向かって落ちて行った。
ウェットスーツの浮力により浮力を確保される。
余裕で呼吸を整える事が出来た。
安心したのとウェイトが惜しかったのが心の中で交錯したが、こんな事なら早く水底でウェイトを捨てていれば良かったと馬鹿らしく思う裕人であった。
難無く左足のフィンを付け直して履き直す事も出来た。
裕人はウェイトを失ってウェットスーツの間々深く潜ってウェイトを取りに行く事が出来ず残念でしょうがなかったが、無事生きてる事に感謝した。
もう一人で素潜りは止めた方が良いなとつくづく思った。

そんな出来事があった旅の終わりに西表は大原港の待ち合いでダイビング器材を入れたメッシュバックを抱えた一人の少女と話す機会があった。
少女は楽しそうにスキューバダイビングの面白さや西表の海の素晴らしさについて語ってくれた。
その時、裕人は思ったのだった。
次に西表に来る時には絶対ダイバーになってやる。
そしてもっと深い所や綺麗な珊瑚の中を潜ってみたい。
いろんな魚やマンタや海亀も見てみたい。
もっと西表の海を知りたいと・・・・・。
そんな夢を描いてでの今回の旅立ちであった。

裕人は沢山の自動車のボディが流れるラインの中でインパクトレンチを使って部品を取り付ける作業を行っていた。車の仕様に合わせて急いで数個の部品を掴み取りボディに乗り込んでボルトを締め付けて行くと最後の部品のボルトだけが上手く締め付けられずネジが上がってしまった。
もう次の車に取り掛からないといけない所までラインは進んでしまっている・・・ダメだ、焦る、間に合わない、インパクトレンチのエアーホースがボディに引っ掛かり弾け飛んだ所で目が覚めた。
なんだ夢か・・・。
先日まで働いていた自動車工場での夢だった。
もう辞めた後なのにこんな夢見なくても・・・。

気が付くと船は宮崎県沖を航行していた。
レストランの昼食の案内放送があったので昼食を取る事にする。
部屋に戻ってシャワーを浴び日焼けオイルを綺麗に流した後、自販機でオリオンの缶ビールを買いレストランに急ぐ。
メニューに少し迷ったが無難なカレーにした。
シャワーを浴びたりして時間が遅かったのか窓際の席が空いたので窓際の席に陣取る。
都井岬を右に眺めながらオリオンを飲みカレーを口に運んだ。
カレーの味は普通だが何年か前にツーリングで訪れた都井岬で馬の写真を撮ったりした事を懐かしみながら食べる昼食は格別だった。
食後はフェリー左舷側の展望スペースのイスに腰を下ろしコーヒーを飲みながら愛読書である大藪春彦のアスファルトの虎の最終巻パート14を読み始めた。
アスファルトの虎は大藪春彦氏のハードボイルドの集大成と云える作品であり、男の全ての夢と願望が詰まった裕人のお気に入りの本であった。
その巻数の多さから裕人は旅の友として長年愛読して来たのである。
そんな愛読書も最終巻を迎え、裕人には今回の旅が感慨深いものになるに違いないと思えて来ているのであった。

ドラゴンロード。
裕人は沖縄・琉球に続くフェリーによる海上の道は竜宮に通じる道、そう龍の道・ドラゴンロードであると秘かに呼んでいた。
海上に続くフェリー航路を道路に例えバイクで走って行く気分でフェリーに乗り込むのである。
裕人は日本全国をバイクで走り回りツーリングしていた。
残すところは離島を巡る旅ぐらい。
そんな離島も北は礼文に利尻から隠岐島、壱岐や対馬、五島列島も走った。
その中でも取り分け沖縄に向かう長距離航路は好きな沖縄と共に別格の旅情を誘う旅であった。
今回の旅ではどんな出会いや出来事が待ち受けているのか裕人の期待を乗せて飛龍は海上を南へと進んで行く。
遠くに種子島が見えて来た。



気が向いたらまた更新するね。続くッス。




海鴨 CAPTAIN DUCK

2005年10月29日 | ダイビング
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