++++ (登場人物) ++++
(友清鈴世)
ζ~( `m´)~ζ (友清鈴世)
・天行居の女宗主
昔 ピンクレディーのミーちゃんに似ていると言われた事がある
台風進路図は 台風が大きくなってゆく予想図であると思っていた
人生ゲームをやる時 職業選択時に 毎回必ず「タレント」を選ぶ。
|・) (チラリズム秋元)
・宮地神仙道の問題児と呼ばれている。
島根県と鳥取県の区別がついていない
吉田神道から 「ヒトモドキ」と呼ばれている女の子である。
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ (緑っち)
・住吉大社の 女装巫女
最近 「田舎に帰りたい」と口にする事が増えてきた
本人が語る夢は 「チラリズム秋元に 酒の相手をさせたい」
チラリズム秋元を 吉田神道に入れようと奮闘している。
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| 天行居 |
(友清鈴世)
ζ~( `m´)~ζ |・)
(友清鈴世)
ζ~( `m´)~ζ 「…まあ また問題児がやって来たのですか。」
|・) 「友清教学というのはですね
わたくしは 八万書店版の 友清歓真選集の1巻しか読んでおりませんけれも、
日本や神道を至上とする結論に急ぎ、
仙道に対する研究不足から 仙道を軽んじたり
仙道に関する誤った概念を是として主張している、
こういう点が 散見されております。」
|・) 「まず 菩薩や明王などは 実在するものではないとする点ですが」
|・) 「これは 非常な誤りであり、
もし 菩薩や明王などが 日本に実在するものでないとすれば、
仏教の中で 尸解仙が現れる事はないはずです。
しかし実際は大陸仏教の中で 日本よりも多くの尸解仙を 現在もなお輩出しています。
単なる 低級な神がかりを根拠に "明王や菩薩は存在しない"とする主張は
明王や菩薩が 存在しない証明には なり得ません。」
|・) 「そして 仙道において "他人を褒めるな"と謂うような思想は無く、
太上感応経の元となった 功過格においては むしろ
"聖賢の徳や 他人の善行を称揚する事で その人の功徳となり、
逆に 他人の善行を称揚すべき時にしない事で その人の罪過となる" とあり」
|・) 「 それが太上感応経の中では "人の善を楽しむ事で功となる"
"人の善を蔽う事で罪過となる"
"他人の才能の称すべきを見て それを抑えてしまう事で罪過となる"
という文になっておりまして、
友清歓真の思想は 太上感応経から見れば 罪過を助長しかねず、
少なくとも 太上感応経を読誦する 宮地神仙道から見れば
宮地神仙道とは 異なる思想という事になります。」
|・) 「 そして また一方で
仙家の 師資相承の重要性について述べている訳でありますが」
|・) 「 宮地神仙道という名称と定義が生まれたのは 戦後であり、
水位師や厳夫師の書かれたものの中に 宮地神仙道という言葉は含まれておらず、
天行居が宮地神仙道を継承したという主張に関しては
宮地威夫師か 清水師かの どちらかから継承した場合にしか あり得ない訳で、
では どちらから継承したのでしょうか。」
(友清鈴世)
ζ~( `m´)~ζ…
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ 「…もーみーじーちゃん♪
山口県は 海の幸と 山の幸が揃っている場所という事で
一緒に 美味しいものを食べてから
吉田神道式で 神拝しましょうねー♪」
|・)
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ 「…山口県と言えば やっぱり まずは 甘い ういろう。
ういろうは 全国区になっているみたいね。
だけど もみじちゃんは
アタシの股間の ういろうを食べていいの♪」
|ミ サッ!
知る由もないけれど・・士農工商幕府が
政権を握り幕府が統治していた数百年間
・・明治維新までは江戸文化・百花繚乱
身分制度・・年貢米男尊女卑それが
当たり前・・・江戸数百年の文化も
ペリーが黒船で浦賀にやって来て
大砲の音とともに明治維新文明開化
この世界はずっと変遷の歴史を繰り返して
いる・・浦島太郎が乙姫様から宝の
パンドラ箱を龍宮城から貰い受け・・
浮き世に持ち帰り・・・・秘められし封印の
禁断の箱を開けたが故の文明開化・・今
という時節が流れ来たりて到来
テポドンが笑ってお笑い転げる時節
到来の暁・・文明の循環は・・曳いては
寄せる波のように歴史も繰り返し・・・
また原始時代からリピートを繰り返す
悲喜交々なる漣なのかも・・・・め
では 島倉千代子さんで
愛のさざなみを リクエストよろしく
ゆーちゆー&もみさん 感謝
|・)…
上の掲載部分、
仏教や仏の存在を否定しようとするあまり、
「神がかりで 仏名を名乗る存在がいた事を挙げて
精査もせずに 坊主か何かの霊と断定しながら
それを 仏が存在しない証拠にする」という
論理として成立しない事を 主張しているばい。
こういう事が論理として成立するならば
「西洋魔術儀式で 天照大御神を召喚する儀式を行って
神が降臨しなかったから
天照大御神は存在しない」
と 主張しているようなものに見えるばい。
また
「他人の善を称揚しない国は
自然と善が衰えて 悪が栄えてゆく」
というのが道理で、
「日本人は民度が高いから
他人の善を称揚しなくても
神国だから 自然に善が保たれる」
という思想が 単なる幻想でしかないのは
今の「善を称揚しない日本」を見れば 誰でも感覚的に理解できる事ばい。
太古神法や 本田霊学において
そのような思想が含まれているのかは 存じないけれど
少なくとも 宮地神仙道や仙道の思想とは反対ばい。