福岡城西キリスト教会 説教要旨

これから城西キリスト教会の礼拝で話された説教を掲載します。

信教の自由ー神ならぬものを神としないー

2017年02月12日 | 日記
説教題:信教の自由
     -神ならぬ者を神としない-
説教箇所:申命記5章:6-10

信教の自由の日の意味
昨日、2月11日は「建国記念の日」でした。しかし、わたしたちキリスト教会や、心ある市民団体はその日を、建国記念の日としてではなく、・・「信教の自由を守る日」としてきました。
それはどうしてでしょうか・・・・・多くの人達が、信教の自由が脅かされると感じているからです。・・その根拠として憲法改悪の動きが極めて謙虚であることです。

そもそも戦後のある時期から「憲法を変えようとする動き」は日本社会の底流にありました。いわゆる自主憲法というものです。2012年12月16日の衆議院選挙で自民党が圧勝し、安倍政権が誕生しました。また、昨年2016年7月10日、参議院選挙で自民党単独で過半数を取る勝利を納め、これまた安部自民党が圧勝しました。その夜、安部さんは、NHKの番組に出演して「いよいよ憲法審査会に議論の場が移る。議論し、どの条文をどのように変えるか集約されていく」、と憲法改正に必要な手続きを行う考えを表明しています。盟友の公明党の山口代表が、「9条の改正は必要ない」という釘を差していますが、・・・どうでしょうか・・簡単に抜けそうな釘に思えて心配です。

実は安部さんはこの時に遡る3年前の1月30日の衆議院代表質問の中でも、「まずは、96条の改正から取り組む」、明言しています。(ちなみに96条は憲法改正の要件に関する条項です。ですからそこから手を付けるという安部さんの頭の中は極めて具体的であります。)このように憲法改正の動きは一層、具体的で加速しています。

このような中で、建国記念の日という国家の祝日を、・・「信教の自由を守る日」、として持つ、それもそのことを覚える礼拝として持つ、ということは、このような動きに対する、・・・ささやかであっても、・・・私たち、福岡城西キリスト教会の抵抗の意思の現れだと言うことができましょう。

わたしたちキリスト者は、かっての歴史において、・・・神ならぬものを神にした苦い歴史をもっています。ここにおいでの多くの方は、私も含めてそうですが、その直接の経験はありません。それゆえ私たちは、過去の歴史から今一度、学び直す必要があると思います。今日は、約70年前の日本のバプテスト歴史から、・・また、約400年前のバプテストの歴史から、学びたいと思います。それは、先人の苦難を無にしないためです。そしてこの機会に、信教の自由を守りぬく決意をする。それが私達に今日与えられた説教の目的です。


神ならぬものを神とする
最初に(信教の自由が曲げられ)・・神ならぬもの神としたわがバプテストの歴史について語りたいと思います。それは神ならぬものを神とすると、「こうなる」、ということを今日の私たちにも教えてくれるように思うからです。
それは、1941年、11月に開かれたバプテストの第三回総会のことです。・・1941年と言えば、今から76年前で、私も含め、ここにおいでくださっている多くの方はまだお生まれになっていません。かろうじてそこにお座りの秋山緑さんが16歳、安藤先生が11歳の頃のことです。その他には数名の方がいらっしゃる程度です。

その時の総会のプログラムを知れば、愕然とさせられる思いがします。実はプログラムには、まず「国民儀礼」というものがありました。・・・これがどういうものか、といえば、「宮城遥拝」というものでした。・・宮城とは、いまでもなく皇居を指します。遥拝の「遥」は、遥か、という字で「拝」は拝むという字です。・・・ですから、すべての皇国の民は、天皇の臨在される皇居を遥かかなたから拝む、ということを意味しています。そしてそれは文部省が制定した「礼法要項」、というものに詳しく規定されていた、ということです。

流石に、プログラムには、あきらかに天皇を拝む「宮城遥拝」、とは書けず、「国民儀礼」と記した訳です。ここにバプテストの先達の苦悩の跡が偲ばれます。 ともあれ、この「国民儀礼」と称される宮城遥拝は、各教会にもじわじわと浸透していったようです。ある牧師の子弟は、・・・・少年時代・・信徒の人たちが、礼拝の前に、宮城のある方角の壁に向かい最敬礼をした姿を鮮明に覚えている、と言っています。・・・・・・・明らかに国家が宗教に介入してきた結果、神さまを礼拝するよりも先に、天皇を先に拝むということになりました。これは私たちの国でも信仰の自由が大きくねじ曲げられ、神ならぬものを神にしたという事例だと言えましょう。

そして礼拝は、「開会式」と記されました。・・・「礼拝を礼拝式と言えない」、何と悲しいことでしょうか! そして付け加えるなら、実はその時、私たちのバプテストという団体は既に存在していません。なぜなら1939年の6月に、それまでキリスト教の諸宗派は、時の政府により日本基督教団という団体に統合されていたからです。その時、私たちのバプテストはその教団の第4部というところに加盟させられ、・・・そういう背景の中で、第三回総会が開かれたのです。

ともあれ、1941年11月、今でいえば日本バプテスト連盟の総会に於ける礼拝、それはとても神礼拝とは言えません。・・・どうみても、十戒の第一の戒め、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」に違反していない、とは言えません。違反しています。ですから信教の自由が損なわれると、・・・私たちは今日のような神礼拝ができないということになります。

かってのこうような礼拝を献げても神さまはちっともお喜びにはならないでしょう。そしてそればかりか、このように信教の自由が失われる時には、同時に、・・私たちバプテストが大事にしてきた政教分離が失われ、各個教会主義が失われ、・・・会衆主義も万人祭司主義も何もが、ガタガタにされていくのです。つまりバプテストの体をなさない。バプテストは、息をしながら死んでいる、そういうことになっていきます。


神ならぬものを神としない
しかし一方で、バプテストには、神ならぬものを神としなかった歴史があります。バプテストの源流を造ったトマス・ヘルウィスという人の人生からそのことがわかります。・・・・この誇るべき私たちの先達をご紹介したいと思います。舞台は、イギリスで、時代は、16世紀の半ばから17世紀の初頭にかけてのことです。(日本だと、室町・安土桃山、そして江戸時代の初め)・・・・イギリスでは1534年、ローマカトリック教会と断絶し、英国国教会が名実共に国の宗教になりました。そのことは同時に英国国王が、政治と宗教の最高の権力者となることを意味しました。従ってその英国国教会が絶対の権力を握り、従わないものには、国家への反逆者としての厳しい処罰を加えたのです。
・・・当時のイギリスには既に1517年のマルティン・ルターの宗教改革の情報が既に入っていました。しかし未だカトリックの権威主義に支配されていました。・・・・ルターの宗教改革から90年後の1607年、・・・後にバプテストの源流を造ることになるトマス・ヘルウィスとその同志、総勢80名は、信仰の自由が認められないイギリスを脱出し、オランダへ亡命しました。その5年後の1612年、ヘルウィスは、今度は10人足らずの同志と一緒に、もう一度、殉教覚悟でイギリスに戻ります。そして自分たちの信仰告白に基づく教会をロンドン郊外に起てました。・・・これが最初のバプテスト教会の誕生と言われるものです。

そのトマス・ヘルウィスが、強く主張したのが、万人祭司主義(互いに祈り合う。聖書を教え合う)、会衆主義(教会員の合議で決める)、各個教会主義(自分たちの教会のことは国教会からの指示ではなく、自分たちで決める、という自主独立のこと)です。とり分け高らかに謳いあげ、主張したのが、信教の自由についてでした。

・・なぜ、ヘルウィスは信教の自由について強く主張したのでしょうか。当時は、現在、わたしたちが自明の如く行っている礼拝はできませんでした。例えば、聖書を自分の国の言葉で読むこと、・・これが許されていませんでした。説教を聞くこと、・・・これも許されていませんでした。礼拝の中で自由に祈ること。自由祈祷と言いますが、・・・・それも許されていませんでした。・・・・・許されていたのは、ただおとなしく黙ってミサにあずかることだけでした。

彼は既にプロテスタントの思想にも接していただけに、この権威的な礼拝には耐えることができませんでした。・・トマス・ヘルウィスは、「神への信仰は専ら、神とその人の間の事柄であり、国王の介入するところではない」、それゆえに信教の自由は、「異端者であれ、イスラム教徒であれ、ユダヤ教徒であれ、いかなる者に対しても、この世の権力によって制限されてはならない自由」であるとまで述べました。・・・・今日では当たり前とされているこれらの事柄を、この当時の国王、ジェームズ1世に嘆願することは、それは命がけの嘆願を意味しました。・・・・そして実際、後になって、ヘルウィスは非合法の礼拝をおこなったとの罪で、捕えられ獄中にて死んでいます。

しかし、確かにヘルウィスは死にましたが、・・・彼が種を播いたバプテストの信仰は世界中に播かれ、芽を出し、花を咲かせていきました。その結果は私たち日本のバプテスト教会でも、私たち城西教会でも見ることができます。(信徒手帳、城西教会の信仰告白を紹介)・・・・そしてトマス・ヘルウィスが主張した信仰に従って、信仰生活として生きる、というバプテストの信者は今や全世界で3500万人とも言われます。

トマス・ヘルウィスは、国王ジュームズ1世に対して、・・・・先に述べた嘆願書において、「王は、いつかは滅ぶべき人間であり、神ではない」と言っています。・・・・ヘルウィスは、「あなたにはわたしをおいてほかに神があってはならない。」、という十戒の第一戎に殉じ、神ならぬものを神にしなかったのです。・・・・しかし、生前ヘルウィスが勝ち取った目に見えるものはほとんど何もありませんでした。ヘブライ人への手紙は、「信仰は望んでいる事柄を確信し」、と言います。ヘルウィスが、来るべき将来に、信教の自由が保障されることを確信し、天に召されたかどうかは分かりません。・・・しかし、神は覚えてくださり、・・国王の側ではなく、ヘルウィスの側に立ってくださいました。おそらく神はヘルウィスが望んだ以上のことで応えてくださったと思います。

 わたしたち一人一人にも、神から十分な恵みが与えられています。(神の前にあっては、私たちは罪深く、本来死ぬべきものです。・・・にもかかわらず、赦されているのがその意味です。)
それ故、信教の自由を覚える日、改めて、私たちもまた、信仰の先達のトーマス・ヘルウィスのように、「神ならぬものを神にしない」、という決意を深く心に刻みたいと思います。
それは神に赦された者として、神に対する恵みへの応答であるからです。また信仰の先達が流された血を無にしない、という私たちの誠実さでもあるからです。

 しかし、最後に私たちは、私たちの弱さにも、正直、目を向けなければなりません。信教の自由の歴史を振り返ってみると、残念ながら私たちは、本当に血を流し、肉を切られて信教の自由を勝ち取った訳ではない、ということがわかります。現在の私たちの信教の自由は、プロテスタントの信仰の先達やバプテストの信仰の先達の遺産によるものです。・・・苦労しないで得たものは、簡単に手放す、ということは私たちが人生で経験していることです。・・・そういう意味で信教の自由を脅かす事態が生じつつある今、私たちは本気で信教の自由を守れるのか、「主よ 我らを守り給え」、と祈らずにおれません。

 そこでもう一度、いゃ何度でも「あなたにはわたしをおいてほかに神があってはならない。」、というこの十戒の言葉を心に刻みつけ、私たちは、他の何者でもない、・・主イエスのみに従う、という信仰の決意をしたい。・・・・・・決意だけではなく、それを実行する者になる!、
・・・それはとても困難な道でありましょう。しかし、それはまた真のクリスチャンに「なる」、という機会をいただくことでもあります。なぜなら、人はバプテスマを受けたからクリスチャンになるのではなく、・・・・・あらゆる困難な中、・・・キリストに従って歩む時のみ、・・・・真のクリスチャンに「なる」からです。・・・・・ここにいる一人一人は、今日、今、真のクリスチャンになる入場券を、また1枚いただいたのです。


お祈りしましょう。・・「わたしは主、あなたの神」、と宣言してくださる天の神様、み名を心から賛美します。信教の自由を守る日の礼拝をありがとうございました。どうぞ、信教の自由を次世代の子供、孫へと引き渡すことができるように助けてください。私たちが、いつも神ならぬものを神としないように助けてください。私たちの救い主、イエス・キリストの名を通して祈ります。       アーメン。



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