苦楽の彼岸 山あるき 森あるき

こんにちは!umebocです。
主に近畿の山々をうめ子と2人で歩いています。

2011年5月06日(金)【桟敷ヶ岳/京都北山】 其の一 《完》

2011-06-01 | 京都周辺エリア
京都北山を代表する山は?
との問いに、必ず名前の上がるだろう桟敷ヶ岳。
桟敷ヶ岳の名前は、平安時代、皇位継承争いに破れた惟喬親王がその山頂に桟敷を作り、
都を遠望したという故事に由来する。
惟喬親王は文徳天皇の第1皇子(長男)として生まれながら、ついに皇位に着くことはできなかった。
後に出家し、山奥に隠棲してからは質素な生活の中で詩歌を楽しみ、54歳で没する。

山には、その山を舞台にいろいろな歴史が残っている。
こういうものをポツポツとでも良いので、拾い集めていると、とても山を身近に感じられる。
そう、事前の下調べは重要なのだ。



さて、出町柳の駅から京都バスに乗り、終点の岩屋橋まで。


季節柄?わりと人が多い


9時10分、岩屋橋バス停に到着する。
この先にある志明院には花見に来る人が多いようだ。

志明院はシャクナゲ(石楠花)で有名なのだ。
また、司馬遼太郎さんのエッセイの中に「石楠花妖話」として、
志明院を訪れた際に遭遇した怪異が描かれている。
宮崎駿監督が「もののけ姫」の着想を得た場所でもあるとか。
とにかく京都怪異の総本山と呼ばれる神秘性のある寺らしい。

しまったなあ、この知識を行く前に知っていたら、
司馬遼太郎さんの時代小説の大ファンであり、魑魅魍魎話の大好きなボクは、
確実に寺に寄り道をしていただろう。

「あら!?知らなかったの?」
などと、うめ子まで知っていたではないか。
もちろん寺など完全に無視して歩いてしまったのだが、なんとももったいない。

確かこの時、ボクの考えていたことといえば・・・

「はあ、シャクナゲが奇麗だなあ」

あ~、大損だ。だから下調べをしておけと言っているのだ。自分に。



とにかく北西へと道路を歩く。



ん?分岐か

9時29分、桟敷ヶ岳はこちらですよ!という分岐を無視し、道なりに進み5分ほど歩くと左手に小屋。
さらに歩き、9時36分、志明院へ到着する。
寺の手前(右手)から山道へと入り、階段を上り志明院を左下に見下ろしながら先へと進む。
志明院の庭には満開のシャクナゲが咲き誇っていた。はあ、奇麗だなあ。








大きな岩

右へと岩を回り込むように進む。
道がわかりにくく、右へ進もうとするボク達とは逆に左へと男性が進んでいく。
そこへこの辺りに詳しい女性組が来たので確信を持って大岩の右へと進む。
男性も間違いに気付き右のルートへ引き返してきた。









賀茂川の源流のひとつに数えられる谷道を歩く。岩がゴロゴロしていて歩きにくい。
このあたりでは、派手な色をしたクリンソウを見ることができた。











9時55分、6体の地蔵を通過し、薬師峠に到着する。

薬師峠から少しのぼった所には誰かの墓がある。
道はようやく歩きやすくなり、スギ林へと入るが、またすぐに急な坂を上ることになる。














ぐぐっと右方向へ急坂を上ると、あたりは天然林へと変わる。















10時05分、岩茸山への分岐に来た。
どうせここまできたのだから、岩茸山へも登ることにした。





寄り道にしては面倒な上りが続く。









コバノミツバツツジ(学名:Rhododendron reticulatum)



急な坂が続き、思った以上に遠い。なかなかにキツイのだ。
岩茸山の手前で、同じく岩茸山を目指すおじさんと一緒になる。
おじさんはボク達とは別の道で来たようだが、前回は岩茸山に行き着けなかったそうで、こちらも不安になる。

800m付近から東へと進む。






10時35分、岩茸山へ到着する。
これといって特筆すべきものはない。811m。

おじさんとは分かれ、桟敷ヶ岳へと北東方向へと進む。



スギ林


10時40分、途中で通過した鞍部で、桟敷ヶ岳まで40分という道標があった。




鞍部からすぐに林道に合流する。
しばらく歩き、林道から別れて天然林へと突入する。











10時47分、反射板のある開けたところに出てきた。
いったん林道に合流し、すぐに右へ。
尾根歩きとなる。















送電鉄塔が見えてきた。















11時00分、鉄塔の周囲は広場になっていて、展望も良く、桟敷ヶ岳まであと少しである。
大事をとって(?)ここで昼休憩をとることにした。





おにぎりにみそ汁。無敵の組み合わせだ

ん?ハタと気付いたのだけれど、おにぎりは昔から「おにぎり」であったか?
そんな言い方をしていたのだったか?
待て、ボク達の子供の頃は「おむすび」と呼んでいたのではなかったろうか。
そうだ。思い出した。おむすびころりんすってんてんの「おむすび」がボク達の地域での呼称だったはずだ。
なぜ今まで「おにぎり」と言ってしまっていたのだろうか・・・
どうもコンビニの影響であるような気がする。きっとそうに違いない。
これからは「おむすび」と呼ぼう!

それにしてもひと汗かいたあとのおむすびは至上の美味である。
日帰り山歩きでもなにか料理をしてみようかと思うけれど、
それはおむすびを殿堂入りさせておかなければ、話が進まない。

11時00分~11時23分、昼休憩。


さて、出発だ

この広場は両サイドに展望が開けていて、この季節とても気持ち良く休憩ができた。










鉄塔から桟敷ヶ岳まではあっというまだ。
一度下ってから、上りきればそこが山頂である。










11時35分、桟敷ヶ岳山頂に到着した。
石積みがあり、大きなニホントカゲが巣食っていた。

食事も終わっていたし、山頂ですることもなかったのですぐに下りはじめる。





うめ子の居るあたりからいっきに下る

「え?ここから下るの?」というような、正規ルートとは思えない急勾配の斜面を下る。













はなはだ危険を感じる。
手ごろな木が無く、いざというときに掴むことも出来ない。
ぬかるんでいたりすれば、かんたんに転げ落ちてしまうだろう。
下に行くとチャート石なども混じりはじめ、余計危なくなってくる。





檜皮職人のようにうめ子が樹皮を剥がしているように見えるが、実際はびくともしていない


危険ながらも茶目っ気を出しつつスギ林の中を下る。
普段の山歩きなら、ルートを逸れて無茶をしているとしか思われない。


                 







伐採地


だいぶ下に見えている林道まで下る。












伐採されて丸裸のせいか、地表が甚だしく荒れている。
とにかく歩きにくい。
やるせない荒れた場所だったけれど、あちこちに草木の若葉が見られたのがうれしかった。








林道手前、谷にかかった丸太橋を渡るうめ子


12時02分、林道に出た。ここは「祖父谷林道出合」と呼ばれているようだ。








林道をダラダラと歩く。
左手には以前に歩いた魚谷山なども見えていた。











お約束、エアー洗顔
















12時20分、車止めの門を通過し、舗装路に出た。






門からすぐに桟敷へと続くルートがあった


ここも急斜面だけれど、ボク達が来たルートよりはましなのではなかったろうか。


12時42分、左手に橋があった。右側は大きな岩盤が露出している。
















                                   シャクナゲと私


岩屋橋に近付いてきた。朝は気付かなかったけれど、わりと観光地色が濃いようだ。












14時00分、岩屋橋バス停に戻ってきた。しばらくするとボク達を入れて6人がバス待ち。
バス停の前は岩屋川が流れていて、かなりの清流である。
川の向こうは広場もある。何に使われているのだろうか。

バスは30分に出発なので、バス停横のトイレで着替えなどを済ませる。

14時16分にバスが来たのだけれど、下車した人は1人だけ。
その人も一旦は降りたもののすぐバスに乗り込む。
不審に思った運転手さんが問いただすと、

「いやあ~、辺境めぐりですよグフフ」

変な人である。でも、楽しそうである。

14時30分、バスにて帰途についた。


9時10分から14時00まで。昼休憩時間を入れて4時間50分の山歩き。
また来ても良いなと思わされる、なかなか楽しい山だった。それじゃ、まったねー。


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