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死:人はブラックホールに落ちてゆく

2017-05-14 11:09:53 | つれずれぐさ

私は学生の頃、一度だけ気絶をしたことがあります。その体験が死と何か共通するものがあるかは私が実際に死んでみないとわからないのですが、その時私の頭の中に展開された世界は概ね以下のように記憶されました。それは背景のない空間に白いローブをまとった女性が白い馬にまたがって少し離れたところでこちらに向いている。それで声でもなく、身振りでもなく、それでも私にこちらにおいでと誘っている。私は横たわって上半身を起こした状態で、その方に行こうともがくが体が動かない。そして、少しの気絶からこの世界に戻ってきました。私が気絶している間に私の中で過ごした時間の長さとこの現実世界の時間の長さには違いがあるように感じました。
人間には右脳に死が始まるときに始めて活動をする部位があります。そこは血圧がすごく下がってしまった状態になって初めて機能し始めます。それは人を死の恐怖から解き放し天国へと導くための組織なのかもしれません。(死のために生体組織が発達するのは進化論に合わないようですが)それでは、その組織はどのように機能するのでしょう。臨死体験を語る人たちにはかなりの共通点があります。そこに出てくる世界はきれいなお花畑だったり子供のころの楽しい世界だったりのようです。多分その組織に刷り込まれた風景なのでしょう。そして、時間の経過がゆっくりとしていきます。時間、例えば1秒は絶対的なものと感じますが、人間には絶対的なものはありません。人の世界ではすべてが相対的で、頭のなかで好きなように決められた世界です。時間も頭がそこに作り出される世界です。臨死の世界に入った人には楽しく、組み込まれたか、過去の楽しい記憶から美しい世界が現れ、時間はだんだんゆっくりと進み、最後の1秒を刻むことなく止まってしまうのです。現実世界にいる人には医者からご臨終ですと死が宣告されますが、その肉体の死を迎えた人の時間は最後の時で永遠に伸びて続いていきます。そう、その人の意識の中では自分は楽しいお花畑にいて、死が訪れることはありません。
それはちょうどブラックホールに落ちて行くとき時間が止まってしまうのと同じようです。(全く正確ではありませんが比喩として)そう、死とはブラックホールに吸い込まれて、そこに永遠に存在することなのです。

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