岩田亨の短歌工房 -短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎-

短歌、日本語、斎藤茂吉、佐藤佐太郎について考える

塚本邦雄・小論:

2011年08月23日 | 作家論・小論
 塚本邦雄はモダニズム歌人である。岡井隆はこう言う。

「モダニズム短歌に、既成の価値や既念の破壊といふ性挌を求めるなら、この< パソ・ドブレ >五首(=歌集・水葬物語のなかの五首連作のタイトル)などは格好の作品である。」:モダニズム代表歌集を読む・塚本邦雄「水葬物語」(「短歌現代」平成16年9月号)

 モダニズムは近代主義ともいわれ、伝統主義に対立して現代的文化生活を反映した主観的芸術の総称。20世紀初頭に登場してきた新しい芸術傾向、立体主義未来派・ダダ・シュルレアリスム等が含まれる。

 ここに問題が二つ生じる。

 第一は、塚本邦雄が「伝統主義」に対立していたのかということ。むしろ伝統、特に王朝和歌の雅から多くを学んでいる。

 著書のなかにも「定家百首・良夜爛漫」「王朝百首」「藤原俊成・藤原良経」「雪月花:良経・家隆・定家名作選」「新古今集新論」などがある。

 塚本邦雄自身も次のように言う。

「勅撰集の撰進成立は、全く不測不定である。古今集から後撰集。後撰集から拾遺集へは、ほぼ半世紀隔たってゐる。拾遺から後拾遺へは八十年の歳月がある。その間に何人かの歌人は生れて人と成り、秀歌紹唱を数多残しても、つひに勅撰の誉を知らずに果てて行ったことだらう。」(現代歌人文庫「塚本邦雄歌集」・歌論)

 つまり伝統的な王朝和歌の作品鑑賞だけでなく、その成立過程まで熱心に研究している。塚本自身の作品もよく読めば、雅であり優雅である。王朝和歌のそれとは勿論異なるが同質感が濃く漂う。技巧の駆使、言葉の絢爛さなどだ。

 歌集の命名にもそれがあらわれている。「装飾楽句」「水銀伝説」「感幻楽」「星餐図」「閑雅空間」「黄金律」など、「雅」への憧憬のようなものが感じられる。


 そこで第二の問題。モダニズムがはいってきたのは20世紀前半(昭和初期)。モダニズム短歌の前川佐美緒や初期の斎藤史と塚本の「水葬物語」とは敗戦という一線によって隔たっている。これを理由の岡井隆は「水葬物語」をモダニズムと呼ぶのにワンクッション置く。

 春日井建も歳月(1950年代初頭から1990年代まで)とともに、塚本短歌が変わってきたことをもって、「塚本邦雄を語るのは容易ではない」という。

 僕はもうひとつ加えたい気がする。既成価値観への反逆も半世紀続けば、既成価値のひとつになる。前衛が永久に前衛であり続けることはできないし、塚本邦雄が歌壇の重鎮になるにつれ、それは一つの権威となり、多数の模倣者を生む。

 僕は塚本邦雄の全作品を読んだ訳ではないが、印象としては1950年代60年代中ごろまでの塚本邦雄の作品に一番こころ動かされる。

 その意味で高度成長期に至るまでの期間の「戦後モダニズム」「前衛短歌の一翼」と呼ぶのがふさわしいのではないか。

 また塚本邦雄が王朝和歌を研究する一方、「茂吉秀歌・全5巻」を著したのは何故か。正岡子規は旧派和歌の聖典だった古今和歌集否定のために万葉集の「写生」を持ち出した。その孫弟子の島木赤彦・斎藤茂吉・土屋文明は万葉集の研究をした。

 塚本邦雄は「万葉調」が捨てた「雅」の復活を図って王朝和歌を研究し、斎藤茂吉を越えようとしたのではないだろうか。「モダニズム」でありながら「伝統的王朝和歌」と一見相反するものを研究したのはそのためではないか。

 塚本邦雄はそのごく初期に斎藤茂吉調の歌を作っていたと、安森敏隆に聞いたことがある。

「戦後モダニズムとして< 雅 >の復活を図り、実作上ては斎藤茂吉を越えようとした」

 これが塚本邦雄の実相に近いのではないだろうか。「美を極めた男」(春日井建)という言葉には根拠がある。


付記:< カテゴリー「身辺雑感」「歴史に関するコラム」「短歌史の考察」「佐藤佐太郎の独自性」「作歌日誌」「短歌の周辺」「斎藤茂吉の短歌を読む」「作歌・小論」 >をクリックして、関連記事を参照してください。
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